「こんなに多くの方々が駆けつけて下さったのを見ていると、希望という言葉しか思い浮かびません。父が皆さんの声を聞いて病床から起き上がりそうな気がします」
5日、「ペク・ナムギ農民の快復祈願と民主回復、民生再生のための汎国民大会」に続いて開かれた「ペク・ナムギ農民の快復を祈願するキャンドル文化祭」で、ペク・ナムギ氏(68)の次女、ペク・民主化(ミンジュファ)氏は舞台に上がり涙声でこう述べた。
同日午後7時頃、ペク・ナムギ氏が入院しているソウル・大学路(テハンノ)のソウル大学病院の前で開かれたキャンドル文化祭には、ソウル広場から大学路まで行進を終えた3万人(主催側推定、警察推定では1万3千人)の市民が参加した。
ペク・民主化氏は、「あちこちで泣いてばかりでしたので、この場では泣かないように(堪える)練習をしてきましたが、今のは悲しいからではなく、寒いにもかかわらず、この時間までに多くの方々に集まっていただいたことに感激したから出るうれし涙です」と語りかけた。
ペク氏は「実をいうと、こんなに多くの方々がここまで来られるとは思っていなかった。私は国に対する恨み事をいうつもりで出てきたけど、こんなに多くの方々を前にすると、希望という言葉しか思い浮かびません。今年30になりますが、見回してみると、自分より若い人たちも多いようです。韓国の希望を見ているよう」と感激した。
ペク氏は続いて「父がこの声を、心を一つにして伝える真心を聞いて、病床から起き上がりそうな気がします。起き上がって直接感謝の言葉を述べられるように、最後まで私たちと(行動を)共にしてもらいたい」と述べた。ペク氏は発言を終えてから、集まった人たちに向かって何度も「ありがとうございます」と感謝を伝えた。
ペク・ナムギ氏の長女ペク・ドラジ氏も「夢にも思わなかったほど多くの方々が病院前まで父の快復を祈って行進してくださったことに感謝します」とし、「今後もこのように私たちを守ってほしい」と訴えた。彼女は「政府はいまだに父について何も言ってこない。今日のことで何かを感じて欲しい」とし「皆が心を一つにしただけに、父も意識を取り戻すと信じている」と述べた。市民たちは何度も 「頑張れ」と叫んで2人の娘を応援した。
ペク・ナムギ氏と共に農業に営んでいるというある農民は、舞台に上がってペク・ナムギ氏の人生を紹介した。
「ペク・ナムギ先生は貧しい宝城(ポソン)の山の谷で暮らしていましたが、貧しい農民でも分かち合いながら暮らすコミュニティを夢見て生きてこられました。ペク先生は『ホラン(アゲハ)蝶』という親睦目的の頼母子講運動を提案しました。『ホラン』というのは、ポケットの古語であり、蝶とは『分かち合い』と『空にする』という意味です。この運動が韓国社会全体に広がって、美しい世の中、暖かい世の中になってほしいです」
文化祭は午後8時20分頃、市民たちが互いに手を取り合って民衆歌謡『一緒に行こう、私たちの道を』を合唱することで幕を下ろした。
韓国語原文入力: 2015-12-05 21:19