「日本軍性奴隷被害女性たちに対する謝罪と補償の問題を、ほとんどの人が韓国と日本の問題とだけ考えています。それは大きな間違いです。 この写真を見れば…」
20年間、慰安婦被害のおばあさんの写真を撮ってきたドキュメンタリー写真家の安世鴻(アン・セホン)氏(44)の話を聞き、5坪もない展示場に入る。ソウル・通義(トンウィ)洞の写真空間「流歌軒(リュガホン)2館」には、アジア5カ国のおばあさんたちの悲しい顔が掲げられていた。 色鮮やかなカラー写真には、目の下の肉がたるみ皺が幾重にも重なり、歯の抜けた彼女たちの姿がある。
1996年の「ナヌムの家」取材が契機に
20年間慰安婦被害ハルモニを追い求め
3年前、右翼の脅迫に屈せず東京展示を敢行
中国・フィリピン・インドネシア・東チモールなど60人
21日まで写真・証言を加えたプレビュー展示
日本の右翼、再び圧迫攻勢…展示基金を募金中
青光りする竹の家で、目を輝かせて振り返る東ティモールのカルミンダ・トウおばあさん。16歳の時に妹と共に日本軍性奴隷として連れて行かれた彼女は、アルツハイマーを病んで記憶を失い一人では動くこともできない。 口をしっかり閉じてフィリピンの紫色の路上に立つヒラリア・ブスタマンテおばあさんは、17歳の時に性奴隷として連れて行かれ、毎日3~5人の日本兵を相手にした。 「慰安婦制度を運営した朝鮮、台湾とは違い、他の地域では現地女性たちを拉致して性的奴隷として調達するなど、強制性がはるかに深刻だ」というのが安世鴻氏の話だ。 地域ごとにそれぞれ異なる色彩がカラー写真の中で光っているが、陰うつなおばあさんの表情は終始一貫していた。 慰安婦問題が現在進行形であることを物語る写真と言えようか。
16日から流歌軒で始まった安さんの展示は『重重-消すことのできない痕跡』というタイトルがついている。今年の夏と秋、3回にわたって開かれる連作展示の開始点として、一種の準備行事であるプレビュー展示会(21日まで)だ。昨年6~9月、中国、フィリピン、インドネシア、東チモールなどを巡って撮ったアジア5地域の日本軍性奴隷被害おばあさん60人余の写真を要約したものなどだ。 プレビュー展の出品作に写真を追加し、おばあさんの証言を加えて8月4~16日に同じ場所で本展示を開き、続いて9月4~13日には東京新宿のセッションハウスで巡回展示を継続する予定だ。
安氏は96年『社会評論 キル(道)』の記者としてナヌムの家のおばあさんを取材したことがきっかけで性奴隷被害女性の人生を追及し今日まで深く掘り下げてきた。2012年、東京のニコンサロンで中国に残った朝鮮出身慰安婦おばあさんの人生を撮った写真展を右翼の脅迫の中でも敢行したことが活動状況を浮上させる契機になった。当初の展示契約を破棄しようとするニコン側に対抗して、展示取消仮処分訴訟を起こして勝訴し、結局展示を敢行した彼は、その後日本各地での展示を通して慰安婦問題の実状を知らせることに邁進し活動家としても強い印象を植え付けた。
彼は、今回の三回にわたる連作展示が作家の履歴としても重要な転換点になると話した。「性奴隷被害女性問題はアジア全体の現実です。 他の地域の女性たちも残酷な被害に遭ったが、現地の政府は真相究明にもほとんど関心がありません。 2012年の日本展示を契機に他のアジア地域の被害女性たちに多数会って、さらに活動領域を広げなければならないと考えるようになりました。 慰安婦問題が韓日間の問題に限定されるものではなく、感情ではなく理性の次元からの大衆の自発的な参加により日本政府の謝罪と補償を強制する力を確保することが究極的な目標になるでしょう」
彼は今回のプレビュー展を通じて2012年から被害おばあさんを応援するために韓国と日本の市民と共に推進してきた「重重プロジェクト」を知らせ、参加を促すことに注力するつもりだ。 “重重”は被害おばあさんの顔に幾重にも刻まれた皺を意味するが、各界各層市民の自発的な参加を通じて募金活動で力を集めるという意味もある。「連作展示の費用とおばあさん応援基金を用意するためのクラウドファンディングをポータルのダウム「ご一緒に」のサイトで進めています。 先月初めから募金を進行中だが、あまりうまくいっていません。7月15日まで982万ウォン(約108万円)を目標にしましたが、現在は200万ウォン(約22万円)がやっと集まったところです。 さらに熱心に忠実に知らせて、プログラムを準備したいと思います」
日本展示のニュースが知らされ、すでに日本のネット右翼の圧迫も始まった。 現地展示場に「慰安婦は偽りだ」 「右翼の展示も一緒に開かなければならない」などの脅迫性電話をかけ、「日本から出て行け」というファックスも舞い込んでいるという。 彼は「数年前から右翼の攻勢で多くの曲折を経たし、あまり気にはしていないが、日本政府や右翼があらゆる論理で性的奴隷責任を回避したり誤った導きをすることを無条件に誤りだとして責め立ててはいけない。 物理的現実の前で重重プロジェクトに参加した私や市民が、さらに強い実力で解決しなければならないと常に肝に銘じている」と話した。
インタビューの最後に、作家は自ら作ったという日本展示の広報物を見せた。「おばあさんに刻まれた記憶こそが未来へのメッセージ」と書かれていた。