‘独島(ドクト)問題’もそうだが、‘日本海’に固執する日本右派は隣人と仲むつまじく一緒に暮らすつもりが当初からない特異な部類の人間群像という気がする。 両国間に挟まっている海の国際公認名称を一方の国名にしなければならないと固執すれば、‘よし、そうしよう’と言う相手国があるだろうか。 相互が合意していくらでも別の良い名前を付けることができるはずなのに、どうしても‘日本海’に固執して隣人との紛争も辞さない彼らの精神構造がとても気になる。 もちろん、だから狙いがあるのだろうが、愚かに見える。 哀れむべきニッポン!
韓国政府が‘韓国海’でもなく‘東海’を日本海と併記しようと言うことも納得し難い。 その二つを併記してみても、世の中はどうせ‘日本海’だけを記憶するだろう。
日本右派のそんな姿勢は、韓半島を独自歴史主体として認定したくない彼らの根深い傲慢、相手に対する無知と偏見、特に近代以後にねつ造された歴史を繰り返し注入する意図的政策の結果だ。 相手の苦痛を推察することさえできない一種のサイコパス。 日本の独島や性的奴隷(慰安婦),日本海に関連した挑発は、ほとんど相手国に対する宣戦布告にも等しい。 いや、宣戦布告と見なして正面から対応しなければならないのではないか? 人はこれを頑なで軽薄なナショナリズム的過敏反応というかも知れないが、本当に危険なのは日本右派のそんな過剰ナショナリズムであり、それに対する無対応かもしれない。 近代以来、いや豊臣秀吉の日本統一以来、日本の過剰ナショナリズムは東アジア最大の不安定要因であり、時に数百万、数千万の罪なき犠牲者を出した悲劇の源泉だった。 これに対する批判を頑ななナショナリズムの所産と言うことこそが、日本右派の複製品である右派主流談論に抱き込まれた頑なで危険な小児病だ。
中塚 明 日本奈良女子大名誉教授(歴史)の<現代日本の歴史認識 その自覚せざる欠落を問う> <これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史>を見れば、日本識者の韓半島に対する破壊的な無知と誤解、偏見、傲慢は左派・右派を分けない。 中塚教授は、日本が誤った道に外れ始めたのを1904~1905年の露日戦争以後、本格的には1931年の満州侵略以後だと主張する日本人たちの‘常識’がどれほど危険なものなのかを鋭く指摘する。 明治維新以後、露日戦争まで日本は天皇以下皆が国際法を遵守しながら成功裏に対応したが、露日戦争以後に軍部が無謀に大陸侵略に駆け上がりながら落ち目になったという神話、すなわち‘昭和時代逸脱’主張を土台にした‘常識’。 その核心問題は、そこには主体としての朝鮮(韓半島)がないということだ。 東学農民と義兵の抵抗、3・1抵抗と抗日武装闘争、無数の朝鮮人犠牲、朝鮮社会破壊などは完全に無視される。 日本の失敗は‘15年戦争’、すなわち1931年の満州侵略から始まる。
日本は露日戦争以後に誤ったわけではなく、征韓論に代表される朝鮮の犠牲に基づいて帝国主義に走った明治維新からして、すでに誤りだったと中塚教授は指摘する。
東学農民戦争が起きて120年。 1894年日帝がそれを口実に朝鮮王宮を占領し、日清戦争を構えることによって近代日本は誤った道を歩き始めた。 日本の国民作家と言われた司馬遼太郎もそう書いたが、安倍政権はまさにその時期を‘坂の上の雲’、すなわち日本の理想として描き、そこに戻りたいようだ。 本当に危険だ。
文化部記者 sdhan@hani.co.kr