ハルビンに開館した記念館を巡って "安重根(アン・ジュングン)は日本の初代総理を殺害し、死刑判決を受けたテロリスト" と言った日本の官房長官と "安重根義士は我が国の独立と東洋の真の平和を守るために献身された義人" という我が国外交部の舌戦が最近熱い。 1909年10月26日ハルビン駅で安重根義士が伊藤博文を拳銃で処断するや、京城(ソウル)の英字新聞に "天主教人 安応七(アン・ウンチル)" の挙事と報道された。 朝鮮大牧区(現在のソウル大教区)ミューテル主教は、安義士は天主教人ではないと抗議した。 トーマスというクリスチャンネームが明らかになると「教会外の人物」(冷淡者)だと応酬した。 ウィレム神父の下で牧師として活動した篤い信者であったことが明らかになり、死刑前に懺悔をしたいと二人の弟を主教に送ると、安義士に聖事をさせまいと禁じた。 それでもウィレム神父は刑務所を訪ねて行き、安義士は懺悔をして天主教人として殉国した。 ソウル大教区は結局ウィレム神父を朝鮮から追放した。
1974年に発足した‘天主教正義具現司祭団’(以下‘司祭団’)は、韓国天主教において‘信仰の試金石’だった。 聖職者も信徒もその前では胸の内を隠せず‘暴かれて’しまう。 10・26が起きたその週に "主教様、司祭団を処罰しなさい!" という要旨の広告を出した49人の韓国‘元老司祭’は、歴史に‘救国司祭団’として残った。 90年代法王庁の保守官僚や駐韓法王大使は、この集団をなぜ制裁しないのかと韓国主教団に繰り返し訓戒したが、主教は安重根(トーマス)義士を冷遇した前轍を踏まないよう知らぬフリで通した。
ところで、現政権が聖堂でミサ講論の中で出てきたある司祭の北方境界線関連発言を口実にして大統領を前面に出して言論を総動員し‘司祭団’を乱打する中で、ソウル大教区の前・現職教区長が結集した。 先ず、ヨム・スジョン大主教が昨年11月24日、明洞聖堂ミサ講論で 「司祭の政治参加は誤りで、政治構造や社会生活組織に介入することは司祭がすべき仕事ではない」と断言した。 米国の時事週刊誌<タイム>が2013年度の人物として選んだフランチスコ法王が同月同日に「聖職者は社会秩序と共同善の成就に必要ならば、人間生活のすべての面で意見を陳述する権利がある」(‘福音の喜び’ 182項)と公表したが、ヨム大主教は現職法王の最初の教書を反古同然にしてしまったわけだ。
その一週間、大韓民国の主流テレビとラジオ、新聞が天主教大主教一人の言葉を広報するのに注いだ熱意を見れば、宗教の政治的中立を装ったヨム大主教の政治的発言が既得権層にどれほど待ち望まれた‘福音’であったかがよく分かる。 教会は‘人権の砦’であるのに‘反共の砦’と勘違いした一部の信徒が、ヨム枢機卿に鼓舞されたためか‘従北司祭は北へ行け’、‘従北主教を打倒せよ’というプラカードを持ち、聖堂前でデモをして神父の講論が耳に障ると言って奇声をあげ聖堂の門を蹴飛ばし出て行ったり、ミサの最中の聖堂に乱入したりもした。
その騒動が静かになることが不満だったのか、今度はソウル大教区前職教区長のインタビュー記事(1月15日)を上げた。 いくら言論が冷遇する老人とはいえ、<中央日報>は "一時間ほど進行された2012年5月引退以後初めての言論インタビュー" としては、わずか385字120単語を本人の発言だとして引用し "一部司祭ら、欲にかまけたとんでもないこと…偽り予言者だ" というタイトルをつけて、チョン・ジンソクを‘救国枢機卿’に任命するというハプニングを行ったが、この記事を載せた報道機関と保守信者は今一度‘宗教的オルガスムス’に身を震わせる様子だ。 チョン枢機卿の聖書的論拠はモーゼが導いたイスラエルのエジプト脱出だ。
フランチスコも自ら法王職白書に該当する上の文書で旧約聖書‘出エジプト記’とモーゼを引用している(20項と187項)。 法王は "私は我が民が体験する苦難をはっきり見たし、泣き叫ぶ彼らの声を聞いた。 私が今やお前を送るから、我が民をエジプトから引き出せ" という言葉を引用して "すべてのキリスト人とすべての共同体(教区)は貧しい人々の解放に神様の道具となるべく呼ばれた。 したがって教会は外に、社会に出て行かなければならない" と宣言する。 また、フランチスコは文書97項で、教会内で予言の真偽を区分する基準として "教会を教会の外に導いていく動き"、"貧しい人々に肩入れする投身"、"イエス キリストを中心に迎えて十字架の道を歩んでいる" の3点を挙げる。 したがって読者たちには当然に疑問が起きる。
先ず、"韓半島の繁栄のために南北韓の間に間隙と緊張を緩和してください" (ヨハネ・パウロ2世), "韓半島の非核化という目的を達成するために平和的方法を通じて、すべての当事者に対する尊重の中で解決が摸索されなければなりません。 北韓にいる国民たちに人道主義的援助を追求し強化することを要請します" (ベネディクト16世), "韓半島に和解のプレゼントを下さいと神に祈ります。 韓国民全ての利益になるので、両側に会談と可能な解決を模索するように祈願します" (フランチスコ)は、法王3代の念願にしたがって着実に南北和解を試みてきたのに‘北方境界線’の政治的悪用を指摘した‘司祭団’と、平壌(ピョンヤン)教区長代理を受け持っていながらも、北韓を訪問した韓国司祭に対し平壌の奨忠(チャンチュン)聖堂でのミサを禁じ、信者の自発的対北韓援助を実質的に遮断し、大教区民族和解委員会をマヒさせた大主教チョン・ジンソク、両者のうちどちらが予言者にふさわしいか?
次に、"21世紀の新しい福音宣教は貧しい人々に肩入れする正義の実現" という社会教理どおり、居住権を守ろうとしていた‘龍山惨事’犠牲者、数千名の不当解雇に抗議して20人余りが自殺で抗議した双龍(サンヨン)自動車労働者のために1年余り路上でミサを奉げ続け彼らの声となり、済州(チェジュ)を‘平和の島’として守るために済州教区長と共に何年も身をもって阻止してきた聖職者修道者らと、そのような住民と労働者の涙と悲鳴に一切耳をふさいできたし、政府当局に仲裁を出したこともなく、2010年に韓国主教会議が "4大河川事業がこの国全域の自然環境に致命的な損傷を負わせるだろう" と憂慮する時局宣言を出すや、単独会見で4大河川事業を擁護し韓国主教団全体に水を飲ませたソウル大教区長チョン・ジンソク、二人のうち誰の姿勢が予言者らしいか?
最後に、去る40年間、官製言論の絶え間ない中傷謀略の中で公安当局の盗聴と軟禁は茶飯事であり、逮捕と拷問、投獄を無数に経験してきた‘司祭団’、いつも郊外の聖堂ばかりに発令を受け‘辺境司祭’と呼ばれる神父、この地の人権と民主を夢見てきたすべての人々が既得権層から‘アカ’と非難され、この社会で‘ハンセン氏病患者’扱いを受けている現実で、いつも彼らを抱いてきたのでその服からはハンセン氏病患者のにおいがしていて‘従北司祭’という罪目まで首にかけられたその神父が背負っている血まみれの十字架と、華麗な絹の服の胸元でカチャカチャと鳴る枢機卿の黄金の十字架、二つのうちどちらがイエスが負った十字架と似ているのか?
‘貧しい人々の父’として賞賛を受けるフランチスコ法王と彼の教えを、40年も操り上げて実行してきたあの司祭たちは‘神の人’(‘予言者’の別名)として "今日も明日もその翌日も、その道をずっと歩かなければならない。 予言者はエルサレム以外の他所で死ぬことができないためだ。" ただし彼らの後を遠くからついて行く信仰人は "天地創造以来流されたすべての予言者の血に対する責任をこの世代が負わなければならないだろう。 アベルの血から、祭壇と神の家との間で殺されたザカリヤの血に至るまで" (ルカ11,50および13,33)というイエスの怒りの声において内心を見咎められずに恐ろしい決断を下さなければならない。
ソン・ヨム前西江(ソガン)大教授・前 主教皇庁大使