原文入力:2011/10/18 12:06(1728字)
63才のパク・ムハク神父の "李明博独裁を打ち砕こう" 発言に対し
チョン議員が言及した‘独裁’朴正熙政権の時、パク神父は大学生
←チョン・ヨオク ハンナラ党議員
"インターネットで見ると、ある神父様は‘今回の選挙を通じて李明博独裁を打ち砕こう’と言ったというが本当に残念で苦々しい。その神父様は独裁が果たしてどんな状況なのか経験してご存知なのか。私は中学校1学年の時、10月維新を迎え、大学生の時は10・26と12・12事態に出会いました。 その時は4人が集まっただけでも緊急措置違反でした。 独裁とはまさにそういうこと、息をしようにも息が吸えないような状況、息をすること自体が苦しいのです。」チョン・ヨオク ハンナラ党議員が去る17日、自身のブログ(www.oktalktalk.com)に書いた文だ。チョン・ヨオク(52)議員が‘独裁が果たしてどんな状況なのかを経験してご存知なのか’と話しかけた神父は他でもない原州(ウォンジュ)教区、安興聖堂のパク・ムハク(63)神父だ。パク・ムハク神父は去る10日、第44次月曜時局祈祷会で「10月26日。朴正熙が死んだ日。ソウル市長の再補欠選挙があります」として「ソウル市民が本当に目覚めて正しく投票するなら国民を弾圧し独裁政治を日常的に行う李明博政権を押し倒す開始点にならざるを得ないと思います」と話した。
パク・ムハク神父はチョン・ヨオク議員より11才年上の元老神父だ。チョン議員が中学校1学年だった1972年10月維新の時、パク・ムハク神父は数えで24才であり大学生であり神父だった。パク・ムハク神父は講演でも明らかにしたように「1974年チ・ハクスン主教様が監獄に行き原州教区が中心になって、また毎日デモを行って、学校へ行けば毎日休校令がくだされ家に帰って、そうするうちにまた学校に行けばまたデモを行って…。」として朴正熙政権下で独裁に立向かい戦ってきた。
チョン議員は文で「北韓のそのすさまじい人権弾圧と滑稽な3代世襲には何も言わないで‘李明博独裁 云々’ということは本当に理解できません。 本当の独裁が何なのかを知らないのではないのか-本当に独裁闘争をしようとするなら北韓に行って‘本当の正義実現’をするべきではないだろうかと叫びたい心情です」と書いた。
講演でパク・ムハク神父は、チョン議員が‘残念で苦々しかった’と書いたという話の後、維新時代の経験を話した。パク神父は「私は朴正熙統治下で中高等学校の6年、大神学校6年、軍隊3年. 補佐神父である時に朴正熙が死にました。朴正熙が18年間を奪いました。朴正熙時代にはずっとそのように朴正熙治下の下で生きて死ぬのだと思いました」として「いつも明け方になればセマウル(新しい村)の歌を歌い、維新体制に突入してからはいつもデモをして過ごしました」と維新時代を回想した。
パク神父は「明洞聖堂祈祷会の時、キム・スファン枢機卿様のお言葉が今でも鮮やかに思い出されます。‘朴正熙政権が私たちを容共主義者に追い立て、アカに追い立てるが、教会が2千年続いている間にアカと言われたのは初めてだ。そして教会を迫害した政権には今まで滅びなかった政権はない。私たちが容共主義者やアカでなく、私たちを容共主義者に追い立てアカに追い立てる朴正熙政権が容共主義者でありアカだ’という話をしました。その時、私が転役して2学年に復学した時だが、そのお言葉が生々しく胸に残っています。その時が1974年ですね」とキム・スファン枢機卿の明洞聖堂祈祷会を思い起こした。
パク神父は「本当にその独裁者らの話では、真にみじめでその独裁者がどれほど国民を弾圧して死に追いやったのか…。それが結局、全斗煥政権まで続いたが…。このような姿が独裁者らの姿です」として独裁政権批判を継続した。
デジタルニュース部
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/501265.html 訳J.S