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「18年間の浪人生活」経て李在明政権の初代首相務めたキム・ミンソク氏、与党代表へ

2025年3月7日、ソウル汝矣島の国会で開かれた「共に民主党」最高委員会議で、当時の李在明代表とキム・ミンソク最高委員が会話を交わしている=シン・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社

 17日、韓国の与党「共に民主党」の党大会で代表に選ばれたキム・ミンソク議員(62)は、「今後、さらに大きな内憂外患の荒波が押し寄せるだろう」とし、「数十年にわたり積み重ねてきた忍耐とささやかな知恵をもって、同志たちと共に、新指導部と共に必ず突破していく」と述べた。キム代表は党代表就任演説で、「今日から民主党は夜明け前から走り出す」とし、暮らしの問題を重視する政治、裾野を広げる政治、有能な政治を行うと宣言した。

 キム代表はソウル大学総学生会長出身で、1980年代の学生運動を率いた「86世代」の代表的人物として知られる。1996年の第15回総選挙で、32歳で最年少の国会議員(ソウル永登浦乙)に当選し、政界入りした。2000年には、当時の金大中(キム・デジュン)新千年民主党総裁の秘書室長を務めた。「順風満帆」だったキム代表の人生に下り坂が訪れたのは2002年から。議員職を辞して挑んだソウル市長選挙で落選したキム代表は、同年に行われた大統領選挙における盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補とチョン・モンジュン候補の一本化の過程で、新千年民主党を離党し、チョン候補の「国民統合21」に合流した。いわゆる「大統領候補一本化推進協議会問題」は、キム代表の政治人生を通じて貼られたレッテルとなった。

 その後、18年に及ぶ長い浪人生活を送った。キム代表は2014年に新政治民主連合が結党された際、「民主党」という党名の放棄に反発して院外民主党を結成した。2016年に新政治民主連合が「共に民主党」に党名を変更し、院外民主党を吸収合併したことで、(民主党に)復帰した。2020年の第21回国会議員選挙で18年ぶりに返り咲きを果たしてからは、李在明(イ・ジェミョン)党代表体制下で首席最高委員を務めた。李在明大統領は、政権の初代首相として息を合わせたキム代表について、「政府が成し遂げた数々の成果があるが、その中で最も大きな役割を果たした」と称えた。キム代表は2日、釜山(プサン)での合同演説で、自身の離党歴などに触れ、「ひとたび息子として生まれた者は永遠の息子(紆余曲折があったが、自分が民主党の息子であることに変わりはない)であり、(自分は)帰ってきた放蕩息子だ」と述べた。

 キム代表は全党大会直後、集中豪雨の被害を受けた慶尚南道巨済(コジェ)を訪れた。18日には、逝去17周忌を迎えた金大中元大統領の墓所を参拝し、全南光州市の国立5・18民主墓地も訪れる。19日には、慶尚南道金海(キムヘ)の烽下(ポンハ)村を訪れ、盧武鉉元大統領の墓所を参拝し、梁山(ヤンサン)の平山(ピョンサン)村で文在寅(ムン・ジェイン)元大統領を表敬訪問する。

大田/チョン・ヘミン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/assembly/1273289.html韓国語原文入力:2026-08-17 22:10:36
訳H.J

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