今月8日に遺体で発見された国民権益委員会(権益委)の腐敗防止局のK局長(51)は、キム・ゴンヒ女史のブランドバッグ受け取り事件の処理問題で大きな圧力を感じていた。9日、このような証言が故人の周囲から相次いだ。同事件の調査実務を総括していたK局長は、事件を捜査機関に移牒しようという自身の意見に反して権益委首脳部に「終結」を押し付けられたことで、周囲に苦しみを訴えていたという。
この日、葬儀の営まれた世宗市(セジョンシ)の世宗忠南大学病院斎場を訪れた権益委の元高位幹部のAさんは、「(K局長が自ら命を絶ったのは)キム女史のブランドバッグ事件についての圧力のせいだということは、権益委の先輩や後輩たちの間では公然の事実。あの人はもともと義侠心が強く、正義感がある。(死の原因は)ブランドバッグだというのは100%、120%(明らかだ)」と口惜しさをあらわにした。
英国で腐敗防止分野の修士学位を取得し、最近では働きながら行政学の博士号を取得するなど、誰よりも腐敗防止業務に熱心だったK局長は、上層部の圧力に非常に苦しんでいたはずだという話だ。Aさんは、「自分の信念とは合わない決定をすることで(上の指示に)従わなければならなかったのだから、K局長の性格では本当につらかっただろう。周囲の同僚たちの目に『権力にしっぽを振る奴』と映るのではないかと、どれほど自責の念にかられただろうか」と話した。
K局長の遺族も、葬儀に訪れた野党議員たちとの面談で、「十分な真相調査が行われればと思う」との意見を伝えた。K局長の叔父(77)は、「寡黙な性格だったので、一日や二日の不満で行動したのではないはず」と話した。
権益委の関係者のBさんも、「故人が苦しんでいたということは同僚たちも全員が知っていることだった。終結決定に多くの批判や嘲笑のコメントが書き込まれ、苦しんでいた」と話した。
権益委の内部では、K局長は全員委員会の前後に指揮系統の上役のチョン・スンユン副委員長との確執があった、とも語られている。権益委の関係者のCさんは、「K局長としては、自分たちが調査した通りに、全員委員会に(議論の事前資料として)1案と2案を提示しなければならないが、そうではなかった」とし、「全員委でチョン副委員長は、『チェ・ジェヨン牧師がか弱い女性を巧妙におとり捜査に利用した』と述べ、少数意見を示すという権益委員には『法に反する』と言っていたから、(K局長が)苦しくなかったはずはない。苦しくて辞めようとしていたという話も伝え聞いている」と話した。
野党「共に民主党」と国会政務委員会の関係者たちも同じ趣旨のことを語った。権益委は先月12日、民主党の補佐陣に対して業務説明会をおこなったが、K局長はその時、キム女史のブランドバッグ受け取り事件の調査に質問が集中し、「個別の事件はお答えできない」、「秘密維持義務のためお答えできない」とばかり繰り返したという。ある出席者は、「K局長は『お答えできない』と言っていたが、とてもつらそうだった。潔く堂々としているのではなく、ひどいストレスを抱えているように見えた」と語った。
非営利団体「韓国透明性機構」はこの日の論評で、「死亡した公職者はブランドバッグ事件の処理などをめぐって上役との確執を抱え、深刻な屈辱と挫折を感じていた可能性が高い」とし、「国民権益委員会が独立の反腐敗清廉機関へと生まれ変わるためには、国民権益委員会を全面的に改革しなければならない」と主張した。
全国公務員労組もこの日の声明で、「腐敗防止業務の専門家として20年以上この仕事をしてきた公職者にとって、今回の(ブランドバッグ)事件の終結処理は非常に苦痛だっただろう」とし、「捜査機関はブランドバッグ事件の調査をめぐって上層部の圧力や不当な介入があったのかを徹底的に調査し、真相を糾明すべきだ」と述べた。