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大統領は統治者ではなく政治家…野党代表と会うべき=韓国

登録:2023-10-09 08:31 修正:2024-05-20 11:31
ソン・ハニョン先任記者の「政治舞台裏」 
イ・ジェミョン代表の会談提案拒否 
依然として被疑者、透明人間扱い 
歴代大統領は直に会って突破口 
対話・妥協「政治の本質」追求すべき
尹錫悦大統領が10月4日、ソウル松坡区のオリンピック公園オリンピックホールで開催された在郷軍人会創設71周年記念式典に出席し、国民儀礼を行っている=大統領室提供//ハンギョレ新聞社

 領袖とは集団の長を意味します。領袖会談とは、大統領と野党第一党の党首が2人で会って行う政治会談を意味します。

 共に民主党のイ・ジェミョン代表が尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領に不意打ちで領袖会談を提案したのは9月29日でした。拘束令状が裁判所によって棄却されてから2日後のことです。

 「尹錫悦大統領に、民生(国民の暮らし)について話し合う領袖会談を提案いたします。少なくとも12月の通常国会までは政争をやめ、民生の解決に没頭しましょう。大統領と野党の代表が条件なしに会い、民生と国政について虚心坦懐に話し合い、できることは迅速にできるようにすることを願っています」

 「暮らしの問題の核心は経済であり、経済は心理です。大統領と野党が膝を突き合わせるだけでも回復のシグナルとなることでしょう。国民にせめて一抹の希望を与えることができれば、国民の暮らしが半歩でも良くなれば、これらすべてが国政を全面的に担う大統領と政府与党の成果となるでしょう」

会談提案を「代理拒否」

 イ代表の領袖会談の提案について、尹大統領は少し困惑しているようです。記者たちが大統領室に何度も尋ねましたが、大統領室の公式の立場は「考えはない」というものでした。代わりに、国民の力のユン・ジェオク院内代表が4日後の院内対策会議でこんなことを言っています。

 「国民の暮らしのために政府がなすべきことがあり、国会がなすべきことがある。イ・ジェミョン代表のハンストと逮捕同意案処理、令状審査などで国会が事実上まひ状態に陥っている間、大統領は国益のための外交強行軍を続けて、秋夕(中秋節)の連休期間にも民生安保のための行脚を続けていた」

 「イ・ジェミョン代表が一言の謝罪もなく、いきなり民生領袖会談を持ち出したのは、実際は国民の暮らしの問題に関心があるからではなく、大統領との会談を通じて自らの政治的地位を回復しようという政略的意図があるとみられるというのが、国民の多数の見方だ。イ・ジェミョン代表が本当に暮らしの問題に没頭したいのなら、与野党指導部間の対話チャンネルを実効的に復元するのが先だ」

 ユン院内代表の発言は尹大統領の意を反映し、与党内部の調整を経たものだと考えなければなりません。

 これには2つのメッセージが込められています。第1に、イ・ジェミョン代表には犯罪被疑者として国会をまひさせた責任があるというものです。第2に、対話したいなら、尹大統領ではなく与党のキム・ギヒョン代表と会えというものです。一言で言えば領袖会談の拒否です。

 興味深いのはメディアの態度です。イ代表は領袖会談を秋夕当日に提案しました。秋夕の連休中、新聞は休刊していました。領袖会談に関する記事、社説、コラムが一斉に掲載されたのは、10月4日付の新聞です。

 ハンギョレは「尹大統領はイ・ジェミョン代表と会え」という社説を載せました。京郷新聞の社説は「政治・民生に力を注ごうという領袖会談、尹大統領も応じるべき」でした。領袖会談を受け入れよという注文です。

 国民日報の社説は「与野党、民生政治の復元に向けて言葉より行動の時」、ソウル新聞は「与野は4者会談行い民生解決のため膝を突き合わせよ」、世界日報は「イ・ジェミョン攻防から脱し民生政治を復元せよというのが秋夕の民意」でした。与野党いずれも譲歩して政治を復元せよという注文です。

 東亜日報、中央日報、韓国日報は社説を書いていません。朝鮮日報の社説は特異でした。その見出しは「領袖会談要求の前に、イ代表がまひさせた国会をまず正常化すべき」でした。

 「これまで国会をまひさせてきたのはイ代表自身だ」

 「野党代表が与党代表を差し置いて大統領に会うことばかりに固執するのは、民生ではなく政治的な目的が別にあると考えざるを得ない」

 「拘束令状が棄却されるやいなやイ代表がこれ見よがしに領袖会談を提案したのは、『今や司法リスクは振り払った』と主張したいからだろう。令状棄却をまるで無罪判決であるかのように見せようという意図だ。イ代表は今後のさらなる捜査と裁判を経て、有罪か無罪かが明らかになるだろう」

10月4日付ハンギョレ社説//ハンギョレ新聞社
10月4日付朝鮮日報社説//ハンギョレ新聞社

相手が憎くても認めるのが政治

 領袖会談はするなというわけです。ユン院内代表の論理とぴったり一致します。尹大統領も同じ考えでしょう。しかし、このような認識は非常に危険です。

 第1に、政治の第一原則は、どんなに憎くても相手を否定せず認めることです。しかし尹大統領は、党大会を通じて正当に選出された野党の代表を透明人間や虫のように扱っています。刑事事件の被疑者だからというのがその理由です。そのような論理では、大統領はほとんどの政治家と会うことができません。政治家はあらゆる告訴・告発事件で立件されるのが現実だからです。

 第2に、大統領は政治家です。しかし尹大統領は自らを政治家ではなく統治者だと思っているようです。キム・ギヒョン代表やイ・ジェミョン代表より一段高い超越的存在であると勘違いしているようです。大統領は国民のために「統治」し、政治家は国会で政争に明け暮れるという構図は、かつての李承晩(イ・スンマン)、朴正熙(パク・チョンヒ)、全斗煥(チョン・ドゥファン)独裁が作った反政治主義のフレームです。

 韓国の歴代の大統領は、与野党の関係が行き詰まった際には領袖会談で突破口を開いてきました。独裁者だった朴正熙、全斗煥両大統領も領袖会談を行っています。

 朴正熙大統領は在任中、民衆党のパク・スンチョン代表、新民党のユ・ジンサン総裁、同党の金泳三(キム・ヨンサム)総裁、同じく同党のイ・チョルスン総裁と、合わせて5回の領袖会談を行いました。ユ・ジンサン総裁とは2度会っています。全斗煥大統領は1987年6月抗争の渦中に、統一民主党の金泳三総裁と領袖会談を行いました。金総裁はこの席で、4・13護憲措置の撤回を求めました。

 盧泰愚(ノ・テウ)大統領は平和民主党の金大中(キム・デジュン)総裁と2度の領袖会談を行いました。金泳三大統領は民主党のイ・ギテク代表、新政治国民会議の金大中代表と領袖会談を行いました。

 金大中大統領はハンナラ党のチョ・スン総裁、同党のイ・フェチャン総裁と8回にわたって領袖会談を行いました。イ・フェチャン総裁は領袖会談を総裁会談と呼びました。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は与党の総裁ではありませんでしたが、ハンナラ党の朴槿恵(パク・クネ)代表、同党のカン・ジェソプ代表と会談しました。

 李明博(イ・ミョンバク)大統領は統合民主党のソン・ハッキュ代表、同党のチョン・セギュン党代表、民主党のソン・ハッキュ代表と会談しました。朴槿恵大統領は領袖会談をしていません。その代わり、セヌリ党のキム・ムソン代表、新政治民主連合の文在寅(ムン・ジェイン)代表と大統領府で3者会合を行いました。

朴槿恵大統領、セヌリ党のキム・ムソン代表、新政治民主連合の文在寅代表の3者会合を伝える2015年3月18日付ハンギョレ//ハンギョレ新聞社

 文在寅大統領は自由韓国党のホン・ジュンピョ代表と領袖会談をたった一度だけ行っています。その代わり与野党の代表たち、与野党の院内代表たちとよく会っていました。

 このように大統領と野党党首が一対一で会う領袖会談は年々減り、大統領が与野党の代表や院内代表たちと一度に会う会議方式が増える傾向にあります。

「不意打ちを食らっても頻繁に会うべき」

 しかし尹大統領は、与野党の代表や院内代表と一度に会う場も避けています。実に珍しいケースです。

 大統領と野党の会談は、形式は重要ではありません。頻繁に会うのは無条件に良いことです。与野党は権力をめぐって争うライバルであると同時に、国をともに引っ張っていく協力者だからです。

 領袖会談については、歴代大統領も野党の党首たちも言いたいことが多くあるはずです。私は金泳三、イ・フェチャンの2人の例をあげたいと思います。

 1975年5月、朴正熙大統領と新民党の金泳三総裁との領袖会談が行われました。金泳三総裁は維新憲法の撤廃、大統領直選制改憲、東亜日報の広告弾圧事態の解決、金大中氏の軟禁解除などを求めました。ところが、金泳三総裁が1974年に亡くなったユク・ヨンス女史の話を切り出すと、朴正熙大統領は涙を流しながらこんなことを言ったそうです。

 「金総裁、私には欲がありません。妻は共産党に撃たれて死にました。こんな寺のような場所で長くやるつもりはありません。民主主義はやります。だから少しだけ時間をください」

 「朝鮮の連中は問題があります。私が政権を手放すことが事前に知られたら、すぐに変な奴らが出てくるでしょう。大統領として仕事をするうえで様々な問題が生じます」

 2人で話したことは秘密にしようと朴正熙大統領は言い、金泳三総裁は受け入れました。しかし朴正熙大統領は、民主主義をするという約束を遂に守りませんでした。金泳三大統領は後日、回顧録に「朴正熙の涙と約束は偽りだった」と書いています。しかし、2人がそのような会話を交わしたこと自体は真実だったはずです。人と人とが会えば、腹を割って話し合うことができるのです。

 ハンナラ党のイ・フェチャン総裁は金大中大統領と7回にわたって総裁会談を行いました。イ・フェチャン総裁は会談後、毎回裏切られたと言って「七会七背」という言葉を残しました。それでも「大統領と野党総裁との会合や対話は頻繁にあるべきだ」と述べています。「与野党は争う時には争ったとしても、大統領との会合は政局を解決する最も確実な解決策であり、コミュニケーションを取り合いながら国を憂い、話し合う姿そのものが国民を安心させる」というのがその理由でした。尹錫悦大統領がイ・フェチャン総裁の助言を聞き入れてくれることを私は願っています。

 まとめます。尹大統領は労働・年金・教育改革を約束しました。3大改革は国会での立法が必要です。野党の協力がなければ不可能です。2024年の総選挙の前であっても後であってもそれは変わりません。

 尹大統領が野党と会わないというのは、政治をやらないということに他なりません。政治をやらない大統領は存在しえません。大統領は政治家だからです。これこそ、尹錫悦大統領が一日も早く野党と会うべき理由です。

ソン・ハニョン|政治部先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/1111239.html韓国語原文入力:2023-10-08 07:30
訳D.K

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