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建設労組幹部たちが語る…「正当な労組活動」の夢、混乱、そして涙=韓国

登録:2023-06-14 07:24 修正:2023-06-26 07:07
「驚くべき成果」である建設労組の団体協約をもって 
現場交渉する地域幹部らの涙
先月16日、ソウル世宗大路で開かれた建設労組弾圧中断要求一斉スト決起集会で、建設労組の故ヤン・フェドンさんに対し黙祷する参加者たち/聯合ニュース

 7章に分けられた28条項、附則4条項からなる5ページの団体協約。

 特別なことは何もない。「週40時間の労働と有給休日賃金支給基準(補充協約)、組合員であることを理由に雇用などで差別をしないこと、労組専従者の活動を保障すること、紛争の平和的解決」などが書かれている。勤労基準法と労働組合法が規定した内容を確認し、現場の状況に合わせて一部を具体化した程度だ。2021年に建設労組土木建築分科と専門建設業者が結んだ団体協約は、今年まで全国の型枠大工、鉄筋工など土木建築分科の組合員3万8000人余りの大半に適用される。

 何も特別なことはなさそうな団体協約とその後の交渉過程について話していた時、建設労組忠清南道支部のイ・サンホさん(59)、光州・全羅南道支部のイ・ジュンサンさん(42)、釜山・蔚山・慶尚南道支部のキム・テミンさん(55)はそれぞれの姿で例外なく涙を見せた。突然の涙に戸惑い、眼鏡拭きで素早く目頭を拭う者。涙ぐみながら話を続ける者。言葉を止めてため息をつく者。イ・ジュンサンさんが言った。「この数ページの団体協約に、実に多くの人の汗と涙が込められているんです」

建設労組の団体協約は、労働制度の死角地帯に置かれた不安定労働者たちが企業を越えた規模の労組として団結し、使用者(事業者)団体に属した企業と当該産業の労働条件全般に影響を及ぼす枠組みを作ってきたという点で注目された。正規職中心の「企業別交渉」が当然な職場の現実において、このような交渉は労働市場の二重構造と不平等を克服する代案と見なされた。三人は建設労組の団体協約を現場で適用するよう要求し、管理する仕事をしてきた。それは、先月1日に自ら体に火をつけて亡くなった建設労組江原支部のヤン・フェドン支隊長が「正当な労組活動」と遺書に書いた仕事、「共同恐喝」の容疑などで起訴された仕事と同じだ。だからこそ、泣いている三人は「ヤン・フェドンたち」だといえる。

建設労組大田・世宗・忠清建設支部の団体協約//ハンギョレ新聞社

 「ヤン・フェドンたち」は建設現場を越えたところにもいる。産業の特性により失業状態にある場合が多く、勤労基準法上の労働者性が完全には認められない、あるいは使用者が曖昧な下請け・特殊雇用労働者の様々な交渉と団体協約は、最小限の労働条件を守る命綱だった。2023年春、ようやくつかんだと信じていた交渉と団体協約を奪われた貨物労働者やプラットフォーム労働者も、同じ恐怖を訴えた。「私たちの要求も恐喝、脅迫だったのでしょうか」(配達プラットフォーム労組のホン・チャンイ委員長)「身一つで競争に追い込まれることになりました」(貨物連帯釜山地域本部のコ・ジョンギ梁山支部長)

 ハンギョレはソウルで建設労組の1泊2日闘争が繰り広げられた5月16~17日、ヤン・フェドンさんと同じ仕事をしていた建設労組の地域幹部たちに会い、労組加入から団体協約締結、そして最近の状況に至るまでに体験した希望と混乱、挫折について話を聞いた。さらに、似たような境遇に置かれた貨物労働者やプラットフォーム労働者に会った。不安定労働者の交渉と団体協約を対象にした政府の攻勢の中で、韓国社会が失いつつあるものは何かを振り返るために。

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団体協約 : 定着、公正、自負心

仕事を求めて渡り歩いていた三人の建設労働者が労組に集まった時点はほぼ同じ、2010年代半ばだった。忠清道出身の建設労働者であるイ・サンホさんの30年余りの建設労働者人生にまつわる記憶も、労組加入以前はほとんどが故郷の外にある。「1986年アジア大会の時、1日7~8千ウォンもらって城南(ソンナム)に橋を架けていたのを覚えています。その頃から渡り歩いて働きました」。彼が会社と雇用関係を結んだ期間は長くて1年。勤続期間1年未満が94.3%(2021年基準)に達する建設業では当然のことだった。雇用の不安定さは、滞在先の不安定さと一致する。「オヤジ(チーム長)を通して人づてに仕事を見つけましたからね。『現場が巨済島(コジェド)だが行けるか』と言われたら行かないといけません。済州島(チェジュド)に行った時は雨がたくさん降って、お金も稼げずに帰ってきました。家族とゆっくり食事をすることもできませんでした」。組織され始めたばかりの建設労組忠南支部に2015年に加入し、イ・サンホさんは初めて定着した。組合が地域内で働き口を提供してくれたおかげだ。

 キム・テミンさんもその頃、「こんな生活を続けるくらいなら」という思いから、建設労組釜山・蔚山・慶南支部を訪ねた。彼は「下手をすると3カ月以上、日常的には1カ月分の賃金を踏み倒され、いざオヤジについて現場に行ってみれば『工事代金はこれしかない。これだけでやってくれ』と言われることも日常茶飯事だった」と語った。彼が労組活動を始めたばかりの2015年基準で建設業の未払い賃金額は2488億ウォン(約250億円)、全産業の賃金未払いの19.1%を占めた。イ・ジュンサンさんは「そんなとき不満を言えば、顔にお金を投げつけられ『出て行け』と言われるのもずいぶん見てきました。チーム長以上とは目を合わすこともできないんです」と語り、その頃の「対等であり得なかった」労使関係を伝えた。

 定着、公正な報酬、対等な労使関係を夢見て、三人は建設労組に入った。入ってくる労働者が増え、大邱・慶北(2006年)を皮切りに光州・全南(2013年)、釜山・蔚山・慶南(2015年)等の地域で、労組と地域の企業が圏域別に団体協約を結び始めた。次第に広がっていったこの動きは、2017年、ついに建設労組土木建築分科(型枠大工や鉄筋工などが組合員である分科)が全国200余りの専門建設業者(鉄筋コンクリート連合会)と中央交渉をする段階に至る。マンション団地など規模の大きい工事を行う専門建設業者のほとんどが団体交渉に含まれた。民主労働研究院のイ・チャングン研究委員は「厳しい環境で労組を組織し、使用者を集めて交渉の場に出させ、具体的な賃金水準と労働条件を対等に決めた建設労組の成果は非常に驚くべきこと」だと指摘した。

 「中央交渉→圏域単位の補充交渉と団体協約締結→業者が地域に現場を設けたら、地域幹部らが団体協約履行を要求し、労使関係を管理」する建設労組と会社との関係が定着した。賃金協約および団体協約に含まれた労働条件は組合員だけを対象としたものだが、自然に建設労働全般に影響を及ぼした。建設労組と会社が合意した賃金水準は、建設業の標準賃金となる役割を果たした。2018年に1万5千人程だった建設労組土木建築分科の組合員数は、現在3万8千人ほどに増えた。キム・テミンさんは「多様な業種の労働者が労組加入したいと言って訪ねてきた」と言った。

 建設労組の地域幹部になった三人は、団体協約をもって各地域で工事を始める業者を訪ねて行った。イ・ジュンサンさんは「そんな時には、私たちが現場を構造的に変えるんだという自負にあふれていた」と語った。そして「ヤン・フェドンさんもそうだったろう」と付け加えた。

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過渡期 : 葛藤、交渉、理解

 三人は「団体協約の解釈と履行をめぐって交渉初期に混乱があった」という点を否定しなかった。ただ「労使が自ら接点を探ろうとしていた時期だった」と説明した。

 イ・ジュンサンさんは「光州地域も最初の3~4年は過渡期を経験した」と語った。労使関係の概念が希薄な建設業に交渉と団体協約、履行が定着するには時間が必要だった。「会社は労組のチョッキを見ただけでもドアにカギをかけてしまいました。『我々は不法請負を使う』とあからさまに言う業者もありました。組合員もいない各種の労組が民主労総建設労組の団体協約書に印鑑だけ押して労組専従費だけ取っていくという実際の“たかり”もあったし、会社側に無理な要求をする組合員もいましたから」

 最大の問題は雇用だった。短期入職と失職が繰り返される労働環境で、地域に定着できる働き口の持続的な供給は労組の重要な役割だ。再下請けなど不法雇用を最小化し、建設業の労働条件を建設労組の団体協約水準に改善するためにも、組合員の一定した雇用が維持されねばならなかった。ただし、現在の制度で労使が雇用問題を交渉対象にできるかどうかは明確でない。不完全な制度のもと、建設労組の団体協約は雇用に関しては、「組合員優先採用」の代わりに「会社は開設される現場に組合員であるという理由で雇用を差別しない」という一種の妥協地点を見いだした。その解釈をめぐって業者と論争し、妥協点を見いだす仕事が地域幹部に任された。

 キム・テミンさんは「我々の地域のこの職種の組合員の割合を示して、この程度の工事規模で差別のない組合員雇用人員はどれくらいかを提示した」と説明した。イ・サンホさんは「労組法を提示して交渉拒否は不当労働行為だと主張したりもした」と話した。集会やデモを行ったり、会社の産業安全保健法違反を通報する場合もあった。雇用されていない状態では団体行動権である争議行為が制限されるので、集会・デモ・不法通報など市民の一般的な権利を活用したわけだ。

 ただ、最近になってより根本的な妥協点が生まれた。イ・サンホさんは「私たちが状況を突破していく方式は、仕事で勝負すること」だと言った。「現場の組合員に『仕事ができなくてはいけない』と小言をたくさん言いました。4、5年ほどそうやって仕事の腕を磨くように言って、今では外部の業者が初めて私たちの地域に入ってきたら、まず周りに一度聞いてくるように言います。私たちが仕事の腕がよくないと言われたら、組合員を入れませんからって」

 組合員と会社の間に対立が生じた時に労組がこれを仲裁するという役割も、会社に提示する「ニンジン」だった。キム・テミンさんは「客観的に見て労働者が無理なことを言っていれば、組合員を説得したり他の現場に移したり、地方労働委員会まで行った事件では会社側に立ったこともある」と説明した。小規模で不確実な雇用関係が蔓延したために「労務管理」の概念が希薄な会社(下請け)に代わって、労組幹部は労働者を督励し、会社との対立を最大限解決していく労務担当者のような役割も担った。

 イ・ジュンサンさんは「特に地域では、日常的に会社と対話が行われた結果、労組と専門建設業者が互いの事情を理解するようになって一種の『信義誠実の原則』が生まれた」として「彼らも元請けとの関係では最低入札制で入ってくるしかない『乙(社会的弱者)』であり、これを考慮して私たちも譲歩するところは譲歩すべきだと考えるようになった」と語った。避けられない労使の摩擦を、処罰ではなく自律的な交渉で解決し、「労働争議を予防・解決することにより産業における平和の維持と国民経済の発展に寄与する」というのは、労組法第1条に書かれた志向点だ。労働者の数と現場の規模が小さい地域から、労組法の志向が徐々に定着しつつあった。

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崩壊 : 弾圧、葛藤、涙

 昨年末から始まった建設労組に対する政府の大々的な捜査は、このような交渉過程をターゲットにした。三人はそれぞれ捜査機関の取調べを受けた。公正取引委員会と雇用労働部などがそれぞれ公正取引法、採用手続き法違反などを挙げて取り締まりに合流した。大統領は建設労組を「建暴(建設労組暴力団)」と呼んだ。

 建設労組の組合員2万5千人が集まって「建設労組は正当だ」と叫ぶかたわらで、イ・サンホさんが涙声になって話す。「苦労して作ってきた労使関係が、恐喝、脅迫、建暴という言葉で全て崩れてしまったのです。団体協約は紙切れになり、現場での対話は途切れてしまいました」。彼はついに涙をこぼした。「申し訳なくて。組合員たちに申し訳なくて。仕事に就けないでいる組合員が多いのに、よく話をしていた業者たちも会ってくれません。これらが全部自分のせいのように思われて。ヤン・フェドンさんもそんな気持ちだったんじゃないでしょうか」

 建設労組に対する政府の圧迫は、不法に対する取り締まりと処罰を越えて、現場で労組の交渉と団体協約を切り崩しているものとみられる。建設労組が15~17日に土木建築分科の組合員を相手に緊急アンケート調査をした内容によれば、回答者2262人のうち、現在失業中の労働者は27%だった。建設労組のチョ・ウンソク政策局長は「組合員雇用が昨年12月より30%ほど減り、多いところでは70~80%減った支部もある」と話した。「最近(現場で)民主労総の組合員の雇用に対してどのような態度の変化があるか」という質問に対し、回答者610人中346人(56.7%)が「民主労総の組合員は初めから使おうとしない」と答えた。イ・サンホさんは会社との対話が定着してからはほとんど行わなかった「工事現場早朝集会」を、今年に入って毎日行っている。対話が消えたところに対立が始まった。

 建設労組の組合員が感じる恐れは、何よりもこの間の交渉と団体協約履行で積み上げてきた「建設現場で働く基準」が崩れているという点だ。「建設会社の態度にどんな変化があったか」という質問(複数回答、回答数4219)で、建設労組組合員の32%が「現場に不法雇用された労働者が多くなった」と答えた。「会社側が作業のスピードを上げることを強要する」(16.3%)や「作業が残っているにもかかわらず現場から出ることを要求する」(14.6%)という回答もあった。イ・ジュンサンさんは「建設現場の問題に政府が介入するとしても、不合理な構造はそのままにして労組だけを一方的に叩くのであれば、建設業は10年、20年前の、基準もなく不法が横行していた時代に戻るだろう」として、「そうすればまた労組はその不合理さを乗り越えて激しくならざるを得ないのに、なぜこういう非効率的な戦いを繰り返すのか分からない」と言った。

 恐れと申し訳なさと涙でつづられた1泊2日を終え、三人は17日に再び自分の地域に戻った。今後、交渉を復元し団体協約の意味を取り戻すために奔走するだろう。尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は建設労組の1泊2日の集会に対して「いかなる不法行為も放置、無視、あるいは容認しない」と発言した。続いて25~26日、下請け、特殊雇用労働者など非正規職が労組法第2条・第3条の改正を通して団結権・団体交渉権・団体協約締結権を要求するために開いた1泊2日の集会では、非正規職労働者三人が連行された。

 ヤン・フェドンさんの死に込められた意味、不安定労働者の労使関係をめぐる希望と挫折、消えた労使の対話が産業秩序に及ぼす影響に関しては、ここでは言及しなかった。

パン・ジュンホ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/1093762.html韓国語原文入力:

訳A.K

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