「令状に記されたこの『恐喝』の文字だけは消えてほしいと言っていました。糖尿病がひどくて数日休まなければならない時も、組合員の役に立たないのではないかとすまながっていました。いつも自分のことを『誇らしい民主労総建設労組江原建設支部のヤン・フェドンです』と紹介していました。そんな人の自尊心を無残に踏みにじったんです」(江原建設支部のキム・ヒョヌン事務局長)
「労働者が主となる世の中を必ず作ってくれ」という遺書を残してメーデーの1日に焼身自殺を図った末に亡くなった、建設労組江原建設支部第3支隊長のヤン・フェドンさん(50)を追悼するために4日、建設労働者たちが集まった。3500人あまりの建設労働者らはこの日、ソウル龍山区(ヨンサング)の大統領室前に集まり「建設労組全国拡大幹部上京闘争」を行った。
彼らは不安定な間接雇用がまん延する建設現場における労働組合の特別な意味を強調する一方、労組活動を「違法」扱いする政府を批判した。民主労総のヤン・ギョンス委員長は「建設労働者は労働組合を通じて生存の道を探った。労働組合を通じて建設現場を安全なものへと変えてきた。建設労働者がノガダ(日本語の「土方」が変化したもの)やどん詰まりの人生ではなく、労働者として生きられるよう変化させてきた」とし、「それを違法だと、不正だと、暴力だと罵倒し、恐喝犯におとしめた尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権がヤン・フェドンを殺した」と述べた。一般的な採用手続きがない建設現場において、労働組合は雇用と労働の条件を団体交渉で定めており、建設産業において最低限の労働条件を守る役割を果たしている。ヤンさんはこのような交渉を担う労組幹部だった。
労働組合に対する大々的な捜査への不満も爆発した。集会に参加した建設労働者たちは決議文で「建設労働者による憲法に保障された労働三権要求はあまりにも常識的なものであり、その正当性は数回にわたって主張し、立証してきた」とし、「しかし返ってきたのは、労働法ではなく刑法を適用しての拘束令状請求の乱発と強圧的な捜査だった」と述べた。国際労働機関(ILO)結社の自由委員会は2004年、建設労組による政府への陳情に対し、政府が労組活動に恐喝や脅迫などの容疑で刑法を適用したことは「正常な労組活動の発展に不利な、威嚇的で恐ろしい雰囲気を造成しうる」と指摘している。
集会に先立ち、この日正午ごろ、ヤンさんの葬儀がソウル大学病院斎場で開始された。弔問に訪れた仲間たちは、葬儀会場の前で抱き合いながら涙を流した。祭壇に置かれた遺影の中のヤンさんは「団結闘争」と記された赤い鉢巻きを巻いていた。
政治家の弔問も相次いだ。共に民主党のイ・ジェミョン代表はソ・ヨンギョ、パク・チュミン、チン・ソンジュンの各議員らと弔問に訪れ、「これ以上国民の命を守るべき国のせいで国民が自殺するようなことがあってはならない。厳しい環境ではあるが、労働者のみなさんも死を選ぶことなく、生きて闘ってほしい」と述べて故人の冥福を祈った。正義党のイ・ジョンミ代表らも弔問に訪れ、故人を追悼した。
当初は静かに葬儀を営もうとしていた遺族は、ヤンさんの遺書を見て労働組合に葬儀を委任することにしたという。よってヤンさんの葬儀は「労働組合葬」として営まれる。出棺などの葬儀日程と建設労組の闘争日程はまだ決まっていない。ただし、葬儀が営まれているソウル大学病院斎場の前では、毎日午後7時に「労組弾圧に抗して散華したヤン・フェドン烈士追悼ろうそく文化祭」が開催される。