「私がより遠くを見渡せたとしたら、それは巨人たちの肩の上に乗っていたからだ」
英国の科学者アイザック・ニュートンが使用したことで有名になった言葉です。ニュートンの偉大さと慎み深さを同時に示しています。
韓国の大統領は前任者の成功と失敗に多くを依存せざるを得ません。尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領も同じです。初代の李承晩(イ・スンマン)大統領から朴正熙(パク・チョンヒ)、全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)、金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)、文在寅(ムン・ジェイン)大統領の業績の上に尹大統領は業績を積んでいます。
尹大統領は12年ぶりに国賓として米国を訪問しました。ジョー・バイデン大統領と首脳会談を行い、韓米核協議グループの設置を決議したワシントン宣言を採択しました。上下両院合同会議で演説も行いました。
尹大統領の今回の国賓訪問は、国際社会において一段と高まった大韓民国の地位を示す契機となったと評価しています。米国は韓国の最も重要な同盟国です。歴代のすべての大統領が大韓民国の国益のために韓米同盟を重視し、強化しました。尹大統領の今回の訪米も、韓国の重要な外交的成果として記録されるでしょう。
しかし、どうも後遺症をやや残したようです。米国の核の傘はさらに強固になったということですが、朝鮮半島情勢はむしろより不安定になりそうです。北朝鮮、中国、ロシアとの関係は悪化しています。これは一体どういうことでしょうか。尹錫悦大統領は何を間違ったのでしょうか。
国益を阻害する「対決的世界観」
尹大統領があれほど強調した「価値観同盟」が問題だと思います。彼は今回の同胞懇談会で、「両国は自由と人権、そして普遍的価値観を共有し、それを根幹として国際社会の連帯を実践していく最上のパートナー」だとし、「韓米同盟は利益を取引するものではなく、自由を守るために血で結ばれた同盟だ」と述べました。韓米関係を「血盟」と規定したのです。
かつての大統領たちも、韓米同盟を強調するためにこの程度の表現は使っていました。問題は、尹大統領の発言は単なる修辞ではないというところにあります。
尹大統領はこれまでの人生を検察官として歩んできた人です。人を犯罪者と非犯罪者に区分する習性があります。政治を白黒論理に沿って善と悪の対決と捉える傾向があります。怒りと憎悪を基本エンジンとする対決フレームが彼の頭の中を支配しているのです。共に民主党と市民社会をイデオロギー的レッテル貼りで攻撃した4・19記念演説を、米国の上下両院合同会議での演説でもそのまま繰り返しました。
国内政治を見つめるこうしたイデオロギー的色分けを、尹大統領は国際政治にもそのまま投影していると考えられます。韓国と米国と日本は自由の価値を共有する同盟、つまり「味方」で、これに対抗する北朝鮮と中国とロシアは「我々が退けるべき全体主義勢力」と認識しているということです。
実際に今回の韓米共同声明では「台湾海峡の平和と安定の維持の重要性を再確認した。違法な海上領有権の主張、埋め立て地域の軍事化や強圧的行為を含め、インド太平洋における一方的な現状変更のいかなる試みにも強く反対する」と中国を念頭に述べています。共同記者会見では、「ロシアのウクライナ侵攻のように、罪のない人命被害を引き起こす武力の使用は、いかなる場合でも正当化できないという共同の立場を確認」したと、ロシアを念頭に述べています。
尹大統領のこうした認識と行動は非常に危険なものです。永遠の敵も永遠の同志もいない国際社会の冷酷な現実とかけ離れたものです。歴代の韓国大統領の対外政策路線から外れるものでもあります。
19世紀末、列強の角逐にまともに対処できず国を失った韓国国民は、誰もが「国益を最優先する実用主義の外交路線」を体得しています。解放直後、「米国を信じてはならず、ソ連にだまされるな。日本が立ち上がる。朝鮮人は気をつけよ」という歌が流行したのもそのためでした。
変わらなかった「国益最優先実用」路線
歴代の大統領たちも、国内政治の理念や路線は様々でしたが、対外関係では「価値観や理念」ではなく「国益最優先実用路線」を採ってきました。韓米同盟ではなく、常に大韓民国の国益を中心に判断しました。例外はありませんでした。
1953年に李承晩大統領が米国に韓米相互防衛条約の締結を強く求めたのは、北朝鮮の再侵攻を防ぐためでした。米国に圧力をかけるために反共捕虜を釈放してもいます。
朴正熙大統領は1972年の7・4南北共同声明で、自主・平和・民族大団結を統一の3大原則として発表しました。1973年には「我々に対して敵対的でない限り、理念と体制を異にする共産諸国に対しても門戸を開放する」とする6・23宣言を発表しました。米国の軍事力に対する依存を減らすために自主国防に努め、さらには核兵器を開発しようとすらしました。
全斗煥大統領は1983年の中国民航機不時着事件、1985年の中国の魚雷艇および艦艇による領海侵犯事件、1985年の中国空軍爆撃機不時着事件、1986年の中国空軍機亡命事件などを、国交のなかった中国と信頼を築き、関係を改善する機会としました。
盧泰愚大統領の北方政策は遠交近攻戦略によるものでした。北朝鮮の門戸を開くために、ソ連・中国とまず国交を樹立しました。盧泰愚大統領の北方政策と対北朝鮮政策は、金大中大統領の太陽政策へとつながりました。
金大中大統領は生涯にわたって朝鮮半島の平和を研究し、苦悩した経世家でした。1971年の大統領選挙に出馬し、4大国安全保障論を打ち出したほどです。彼の見識と執念は、2000年に史上初の南北首脳会談という歴史的事件を生み出しました。
金大中大統領は自叙伝の最後の章「人生は考えるほど美しい」に、外交・安保についての自身の哲学をまとめています。彼の人生に占める外交・安保の比重が非常に大きかったからです。ぜひ一度読んでみてください。たとえばこんな内容です。
「韓国の4強外交は『1同盟3親善体制』とならねばならない。米国とは軍事同盟を固く維持し、中国、日本、ロシアとは親善体制を維持しなければならない」
「朝鮮半島は4大国の利害が複雑に絡み合う、機会かつ危機の地だ。溝に入った牛となって口笛を吹きながら両側の草をはむのか、それとも列強の鉄格子に閉じ込められて彼らの餌へと転落するのか、それは完全に我々にかかっている。国の責任者や外交官は誰よりも目覚めていなければならない」
盧武鉉大統領は、大統領になる以前は「反米主義者だったらどうだというのか」と言っていましたが、大統領になってからは韓米自由貿易協定を締結し、イラク派兵も行いました。国益が重要だったからです。
尹大統領が「クールだ」と言っていたMBの卓見
実用主義を掲げた李明博大統領はどうだったでしょう。彼は大統領になるはるか以前から中国との間を行き来していた経験がありました。1988年にアジア水泳連盟会長の資格で広州を訪問していますし、1991年には民間使節団としてチョン・ジュヨン会長とともに北京を訪問しています。
李明博大統領が当選すると、韓中関係がどう扱われるかに注目が集まりました。期待と懸念が交錯したのです。李明博大統領は、韓米同盟を強化しつつも韓中関係は進展させられるということを中国に理解させることに注力しました。中国への国賓訪問を機に、両国関係は「全面的協力パートナー関係」から「戦略的協力パートナー関係」へとに格上げされました。ビジネスマンらしい手腕でした。
尹大統領は検事時代に、李明博大統領の時代が「クール」だったと評価したことがあります。大統領になってからは、世論の反対を押し切って李大統領を赦免までしました。李大統領の参謀たちを要職に多く起用しました。外交・安保の実力者、キム・テヒョ国家安保室第1次長が代表的な例です。
ならば、他の大統領の助言は置くとしても、李明博大統領の外交・安保分野の助言は受け入れるべきでしょう。李明博大統領は国政回顧録『大統領の時間』にこのような知恵を残しています。
「私は、どちらか一方との関係が強まれば他方との関係は悪化するというようなゼロサム論理が、韓米関係と韓中関係に適用される必要はないと考えた。外交は様々な分野にわたる複合多重の関係から成り立っており、韓国が必要とし追求する韓米関係と韓中関係を米国と中国に同時に理解させるようにしていかなければならないと思う」
どうでしょう。卓越していませんか。もちろん李明博大統領の時代と今とでは国際情勢が大きく異なります。ドナルド・トランプとジョー・バイデン大統領の米国は中国をけん制し、同盟国に同調を迫っています。韓国にとってかつてに比べ選択の余地があまりないのも事実です。
いくらそうだったとしても、米国と日本は「良い国」、北朝鮮と中国とロシアは「悪い国」と区分する尹錫悦大統領の考え方は受け入れられません。「韓米日」対「朝中ロ」の対決構図で朝鮮半島の危機を高めることは、国の運命と国民の命を担保にばくちを打つも同然だからです。
まとめます。様々な波紋や批判はありますが、私は尹大統領の愛国心を信じます。だからこそ申し上げます。
尹大統領には米国国賓訪問後に、早急になすべきことがあります。2つです。
1つ目、悪化の一途をたどっている中国およびロシアとの関係を積極的に改善すべきです。2つ目、与野党の代表たちとの会談や記者会見を行い、訪米の成果を説明し共有する必要があります。
そうしてはじめて、韓国国民は少しは安全たりえます。そうしてはじめて失敗が避けられます。みなさんはどうお考えですか。