「今まで子どもたちの悲鳴が聞こえてきそうで怖くて行けませんでしたが、新年を迎えて一度くらいは行かなければと思い、夫と一緒に惨事現場に行ってみました。ジハンのことが思い出されて、座り込んで泣くしかありませんでした」
携帯電話に名を表示し、空に掲げた…
俳優の故イ・ジハンさんの母親のチョ・ミウンさん(54)は、誰もが新年の夢を膨らませていた1日昼に梨泰院(イテウォン)惨事の現場を初めて訪れ、かなりのあいだ座り込んで泣いていた。これまでは恐怖で現場に行ってみる気も起らなかったが、新年を迎えて勇気を振り絞った。チョさんは「あの狭い路地で、いったいあれほど多くの子たちがどのように命を失うことになったのか、信じられない。最後まで真相究明に努める」と話した。
梨泰院惨事から65日目の2023年元日、50人あまりの遺族はソウル龍山区(ヨンサング)の梨泰院広場に設けられた市民焼香所に集い、新年を迎えた。大みそかの夜11時30分ごろに市民焼香所に集まった遺族たちは、1月1日午前0時に合わせて犠牲者の名の表示された携帯電話を空に掲げて犠牲者の名を呼んだ。この日集まった遺族たちは1日午前2時まで、恋しい家族を思い出し、慰め合いながら共に過ごしたという。
1日朝、市民焼香所に集う遺族たちは、亡くなった家族を思いながら涙を流した。梨泰院遺族協議会のイ・ジョンチョル代表(55)は、「生前、ジハンが『人が多くなく、日の出がよく見える場所』を見つけておいた、新年にはそこに行こうと言っていたのだが、結局行けなくなった」とし、「他の人たちにとっては喜ばしい新年が、遺族にとっては最も悲しい日のひとつになってしまった。時間が経てば経つほど、子に先立たれた苦しみが増す」と語った。
故イ・サンウンさんの父親(57)は「毎年一緒にいた娘なしには新年は過ごせないと思い、焼香所に来て他の遺族と慰め合った。新年には明洞(ミョンドン)聖堂で結婚したいと言っていた娘を思いながら、遺影の前に『星になったサンウン、会いたい。永遠に明るく輝け』というメッセージを置いてきた」と話した。
遺族の新年の願いはやはり「真相究明」と「責任者処罰」、そして「大統領の心からの謝罪」だった。故チェ・ミンソクさんの母親のキム・ヒジョンさん(55)は、「新年には私たちの子どもたちがどのように惨事に遭ったのか、その過程が明らかになり、責任者の処罰および再発防止対策が早急に実施されねばならない。そうしてはじめて息子の死亡届を出し、部屋にある遺骨箱を納骨堂に安置できると思う」と語った。「10・29梨泰院惨事遺族協議会」は先月31日に報道資料を発表し、その中で「2023年には10・29梨泰院惨事の徹底した、聖域なき真相究明と責任者処罰が実現することを願う」と述べている。
犠牲者と遺族に対する2次加害がやんでほしいという「願い」もある。キム・ヒジョンさんは「30日の2回目の公式追悼祭で倒れた。焼香所の前などで『子どもたちは遊びに行って死んだ』、『麻薬をやった』のような暴言で子どもたちが濡れ衣を着せられているのを見ると、数千本の刀が改めて胸に突き刺さるように感じる。2次加害を加える人々には、子どもたちが被った苦しみを考えてみてほしい」と話した。
焼香所を訪れた市民とボランティアたちも、それぞれ梨泰院惨事の犠牲者のために祈った。10分以上犠牲者の遺影を見て回ったユ・サンフンさん(45)は、「惨事後、梨泰院1番出口に作られた追悼空間に行ったことがあるが、犠牲者の顔は見たことがなかったため、市民焼香所に来た。新年には遺族の望む真相調査が行われ、責任の所在が明確になることを願う。遺族にとって慰めはそれだけだと思う」と語った。この日初めてボランティア活動にやって来た大学生のイ・ウィジョンさん(26)は「とんでもない惨事が起き、惨事後には遺族の同意なき犠牲者名簿の公開や遺族に対する2次加害などのとんでもない問題が相次いだ。新年は誰もが安全で幸せな1年になることを願う」と話した。