<梨泰院惨事を生き延びた人々に送る励ましと連帯の手紙を順次掲載します。ハンギョレと「10・29梨泰院惨事被害者権利委員会」は、犠牲者家族と生存者、目撃者、救助者が一緒に10月29日とその後の話を交わす場も設ける予定です。先に災害を経験した人たちと人権・災害専門家が共にします。>
いかがお過ごしですか。アンニョン(安寧)という言葉も、お元気ですかという言葉も使えず、言葉を選びながらごあいさつ申し上げます。
私はセウォル号惨事で弟を失った、檀園高校2年5組パク・ソンホの長姉パク・ボナです。
寒い冬が来ました。お体はいかがですか。少しでも食事はしていらっしゃいますか。年末、輝くクリスマスツリーのライトや楽しそうな人々の中で寂しい思いをしておられるのではないか、あるいは元気に過ごそうと努力する姿に罪悪感を感じておられるのではないか、心配しています。どれだけつらい思いを抱えておられるのか、私には想像もつきません。
2022年10月29日のその日を私も忘れることができません。忘れられるわけがありません。犠牲者の方々、生存者の方々の物が片付けられた日、梨泰院駅に行ってきました。市民が書いた手紙を一つひとつ読み、犠牲になった方々を偲んで書いた手紙と犠牲になった方々の写真をしばらく眺めていました。菊の花と手紙を捧げ、永遠に忘れないと、あきらめずに皆さんのそばで最後まで共にすると誓いました。私だけでなく、多くの人が涙を流しながらその場にしばらく佇んでいました。
惨事当日、そして惨事後の政府の対処や人々の2次加害が、セウォル号惨事後に私たちが経験したこととあまりにも似ていたので、心が痛みました。
そして申し訳ない気持ちになりました。セウォル号惨事以降、安全な社会、より良い社会をつくるよう努力する、二度と私たちのような人々が生じないようにすると誓って行動しましたが、結局、再び多くの方々が犠牲になり、怪我をし、苦痛を受ける姿を見て、もっと私たちがちゃんとしていれば、という罪悪感でこの手紙もなかなか書けませんでした。
申し訳ありません…どれだけつらかったことでしょう。安心して話せる所や聞いてくれる人がいなくて余計につらかったでしょうね。話さなかったのは勇気がないからではなく、自分の言うことをきちんと聞いてくれる人たちや社会がここにないと思ったからでしょう。
皆さんのせいではないということを、忘れないでください。「あの日梨泰院に遊びに行ったせいで怪我をし死んだわけではないということ」を。あの日あの場所に行ったからといって、こんな目に遭ってもいい人など、誰もいませんから。
私はセウォル号事件以後、セウォル号に対する誹謗中傷モニタリングをしました。しばらくの間、道を歩いていても人が怖くなることもありました。セウォル号の「セ」の文字だけ聞いても体が硬直し、人が何と言うか気になってつらくなり、外出するときはいつもイヤホンをしていました。
しかし、セウォル号犠牲者とセウォル号惨事を一緒に記憶し、追悼してくださった方々を見て、大いに救われました。
小さな液晶の中の数多くの誹謗コメントだけを見ていた時はわからなかったことでした。本当にたくさんの人が心を痛め、そばにいてくれているということを直接この目で見た時、大きな力を得て、心があたたかくなりました。
同じ痛みを持つセウォル号遺族たちに会い、遺族の兄弟姉妹たちと集まり、お互いに友達のようで家族のような仲になり、言わなくても目を見れば分かりあえる存在、苦しみを耐えていることを誰よりもよく知っている人々がそばにいるということも、耐え抜く力になりました。
セウォル号遺族の仲間たちと一緒に、国内外での他の災害惨事や歴史の被害者たちと会い、「Victim blaming(被害者非難)」という学術用語があるほど他国の災害惨事の被害者たちも、それこそホロコースト被害者さえも、自分の声を発した時に非難されたことを知りました。そして、被害者が自分の声を発するのは、駄々をこねるのではなく、実は被害者の正当な権利だということも知りました。
災害の状況で自分が置かれている状況を知る権利、生き残るために救助される権利、心身を落ち着かせて安定を守る権利、遺体の引渡し過程を尊重される権利、葬儀手続きを含め追悼と哀悼に対するサポートを受ける権利、被害者が集まって話す権利、真実に対する権利、疑問と質問を止めない権利、記録と情報に接近する権利、真相究明の手続きと制度に参加する権利、責任者処罰を要求する権利、責任ある謝罪を受ける権利、正当な賠償・補償を要求する権利、再発防止の保障を要求する権利、体系的で十分な支援に対する権利、社会的記憶と追悼に対する権利など、さまざまな権利があることを知りました。救助や支援活動に参加した人たちも安全に働く権利、さまざまな被害を認められる権利があることも知りました。
加害者たちは堂々としているのに、被害者だけが萎縮して縮こまって、まるで罪人のように自分の傷を隠して生きなければならないのかと遺族の仲間たちと訴え、一生そんなふうに生きることはできないと、堂々とした被害者になると決心しました。人々が決めつける被害者像に自らを縛りつけないことを選択し、難しくてもその枠組み自体をなくすと誓いました。そのように決心するまでには、かなり長い時間がかかりましたけれども。
その日以降、仲間たちと共に、恐れてばかりいたカメラを手にし撮った写真を集めて「被害者らしさ」に対する写真展を開きました。必ずしもカメラの前に立ったり舞台に立ったりして発言するのでなくても、いろいろな方法で伝えたいことを表現でき、いろいろな方法で言葉を発することができるとわかりました。
一人ではないということを忘れないでいてください。私は皆さんの気持ち、苦痛、悲しみのすべてを知ることはできません。でも、少しでもその気持ちを理解し、共感したいと思います。ありのままのあなたを尊重しようと思います。ただただあなたの苦痛を尊重しようと思います。私のようにあなたを理解し尊重しようとする人々、隣りで、後ろで、寄り添う人々がたくさんいるということをきっと忘れずにいてください。
梨泰院惨事で犠牲になった159人*のご冥福をお祈りします。一人ひとりのお名前とお顔を忘れません。
2022年10月29日のその日も忘れずに覚えておきます。昨日も、今日一日もよく耐え、生きてくださったことに心から感謝します。心身ともにいつも健康であるよう、お祈り申し上げます。
2022年12月25日
4・16セウォル号犠牲者のパク・ソンホ(檀園高校2年5組)の姉、パク・ボナより
*梨泰院惨事の犠牲者158人に、友人を失って一人生存したものの自ら世を去った10代の方を含めました。