米国は南北鉄道・道路連結事業にこれまで非協力的だった。ジョージ・ブッシュ(2001~2008年)とドナルド・トランプ(2017~2020年)など共和党政権期に特にひどかった。「南北関係の進展は非核化と歩調を合わせなければならない」という名分を掲げたが、その思惑は北東アジア冷戦秩序に根ざしたもっと根本的なものだ。米国が圧倒的に優位にある停戦体制を維持するか、それとも南北協力の加速化で停戦体制を恒久的平和体制に転換する糸口をつかむかをめぐる駆け引きが本質だ。
南北を行き来する鉄道と道路は、当然ながら軍事境界線(MDL)と非武装地帯(DMZ)を貫通しなければならない。軍事境界線と非武装地帯は停戦協定(1953年7月27日)に基づいている。停戦協定は国連軍司令官と朝鮮人民軍最高司令官、中国人民支援軍司令員の間で締結された。大韓民国は署名の当事者ではない。当時、大韓民国大統領の李承晩(イ・スンマン)が「北進統一」を主張し、停戦に反対したためだ。
軍事境界線は停戦協定によって38度線を代替した南北境界線だ。休戦ラインの公式名だ。西海岸の江華(カンファ)から東海岸の干城(カンソン)まで、155マイル(約250キロメートル)に及ぶ。地面に線が引かれているわけではなく、西側から東側に一連の番号を付けて立てた1292個の「軍事標識」を繋げば、それがまさに軍事境界線だ。
軍事境界線の南北それぞれ2キロメートルの範囲は非武装地帯だ。停戦協定は、同地域に武装力の常駐を禁止し、緩衝地帯とした。しかし実際には南側に100カ所余り、北側に280カ所余りの監視警戒所(GP)に沿って兵力と重火器が密集している「重武装地帯」だ。
民間人の出入りが禁止された非武装地帯は、朝鮮半島全体の面積22万1487平方キロメートルの約0.5%を占める。西側の礼成江および漢江の入り口にある校洞島(キョドンド)から、開城(ケソン)の南側の板門店(パンムンジョム)を通り、東海岸の高城(コソン)の明湖里(ミョンホリ)まで、大きな川6本を渡り平野1つを横切り、山脈2つ越え、70の村を中に閉じ込めている。
したがって、南北をつなぐ鉄道と道路は、停戦協定の呪術で70年間「止まった時間」と「密封された空間」に閉じ込められた軍事境界線と非武装地帯を揺さぶり起こす「平和回廊」だ。ギリシャ神話のシシフォス闘争のような鉄道・道路連結に向けた南北の努力は、朝鮮半島の腰に京義線(250メートル)・東海線(100メートル)という二つの風穴を開けた。 まだ長さは350メートルで、軍事境界線250キロメートルの0.14%に過ぎないが、その小さな風穴を通じて南北8千万の市民と人民があきらめず、切れ目なく行き来すれば、そうして誤解を理解に、敵対を共存に変えていけば、停戦の氷壁は平和の春風によって次第に溶け出すだろう。
夢は壮大だが、現実は厳しい。今、その350メートルの希望の風穴では何も行き来できない。
道が見えなければ、歩いてきた道を振り返ってみろという言葉がある。2000年6月、初の南北首脳会談を機に南北が合意した京義線・東海線鉄道および道路連結事業を現実化するためには、米国の協力が切実だった。鉄道・道路連結工事をするには、停戦協定署名の主体である国連軍と朝鮮人民軍の間で、非武装地帯管轄権移譲に関する合意が前提とならなければならないためだ。ところが、ブッシュ政権のドナルド・ラムズフェルド国防長官は、協力する姿勢を見せなかった。ラムズフェルド長官は在韓米軍司令官(=国連軍司令官)の口を借りて「北朝鮮が高濃縮ウラン計画(HEUP)を推進するなど懸念すべき状況であるにもかかわらず、南北鉄道・道路連結事業を進めなければならないのか」と、韓国の国防長官を圧迫した。韓米協議が難航したことで、南北軍事協議も空回りした。結局、大統領府が乗り出して「鉄道・道路連結事業は南北が合意した通り必ず推進する。米国側は直ちに板門店将官級会談を開催して必要な措置を取り、合意された日に着工式を行えるよう保障せよ」と強く求めた。これをイム・ドンウォン氏は回顧録『南北首脳会談への道―林東源回顧録』で振り返った。このような紆余曲折を経て「東海地区と西海地区の南北管理区域設定および南北を連結する鉄道・道路作業の軍事的保障のための合意書」が、南北の決めた鉄道・道路連結工事着工式前日の2002年9月17日、かろうじて発効した。
(2)に続く