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クルド労働者党の42年の闘争、終わりが来たのか【コラム】

11日(現地時間)、トルコのディヤルバクルにある人民民主党の事務所前の座り込み現場で息子のバイラムさんの写真を掲げるアイテン・エルハマンさん/ロイター・聯合ニュース

 クルド人女性のアイテン・エルハマンさんは今月10日、一日中テレビの前から離れることができなかった。エルハマンさんは9年前、息子のバイラムさんがパン屋の仕事を辞め、クルド労働者党(PKK)に加入するために突然姿を消した、あの日の朝のことを思い出した。エルハマンさんは息子が去ってから2年後、トルコ南東部のクルド人都市ディヤルバクルにある親クルド政党の人民民主党(HDP)の党事務所前で、同じような境遇にある母親たちとともに座り込みを始めた。

 彼女たちは、合法政党であるHDPが子どもたちを拉致し、テロ団体に指定されているPKKに引き渡したとして、そこを座り込みの場所として選んだ。「私の息子よ、母の言葉が聞こえるのなら、家に戻ってきて。もう平和が来たのよ。いったい、何のための戦争だというの。もうこれ以上、子どもたちが死なないようにして」。エルハマンさんは座り込みの場所で数年間にわたり、音沙汰のない息子に向かって嘆いていた。

 この日、トルコ議会は、PKKの解散と社会統合案を含めた「国家連帯と社会統合強化法案」を可決した。この法案には、イラク北部に潜伏しているPKKの武装解除とともに、党員の恩赦と社会復帰、10年間の刑の執行停止のための手続きが加えられた。この法律によって、重大なテロ事件などの重犯罪に関与していない党員には、トルコに帰還できる道が開かれた。ロイター通信は、この平和プロセスが成功すれば、トルコのエルドアン大統領の23年に及ぶ政権担当期間におけるもっとも偉大な業績として残ることになり得ると予想した。

 PKKが1984年、トルコ南東部に独立したクルド国家を建設することを目標に、政府を相手に武装闘争を開始してから、すでに42年が経過した。世界で最も長く続いた武装反乱の一つであるこの闘争によって、4万人を超える人が命を失った。闘争が長引くにつれ、闘争の方向はクルド人の自治権確保と政治的権利の拡大へと妥協していったが、両者に残った傷はあまりにも深かった。

 和平プロセスが始まったきっかけは、2024年末のシリアのアサド政権の崩壊だった。400万人に達するシリア人難民を帰国させ再建事業に参加しようとするトルコとしては、シリアの安定が必要だが、そのためにはシリアとトルコにまたがるクルド人の問題をまず解決しなければならなかった。1999年からマルマラ海のイムラリ島に収監されている党指導者、アブドゥッラー・オジャラン服役囚(79)は「武装闘争は寿命を終えた」として、2025年2月に党の解散を求め、双方の合意に向けて重要な峠を越えた。3カ月後、党が同意し、今回の法案可決が可能になった。

 しかし、この法律が対立の終結をもたらすと断言するのはまだ早い。PKKはオジャラン服役囚の釈放とテロ集団指定の撤回、クルド人の政治・文化的権利の拡大などが含まれていない同法案には、重大な障害と欠陥があるとして反発している。退役軍人や野党など、トルコ内部の反対も少なくない。エルドアン大統領が今回の和平プロセスによって、幅広い支持を背景に、2028年に終わる自身の任期制限の撤廃を可能にする改憲を推進しようとしているという疑念も出ている。しかし、戦争や対立、暴力のニュースが絶えない中東において、不満や疑念が残るなかでも、平和に向けて第一歩を踏み出したという点で意義があることは否定できない。

 エルハマンさんが長い歳月を経て息子と再会したという知らせが届く日が遠くないことを願っている。

//ハンギョレ新聞社

キム・ジフン|国際ニュースチーム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1273842.html韓国語原文入力:2026-08-20 19:16
訳M.S

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