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日本による植民地支配の不法無効と真の東アジア平和への道【寄稿】

各国の専門家ら、10年あまりの研究成果を著書『サンフランシスコ体制を越えて』で発表 
日本政府の歴史的退行に対抗し、日本による植民地支配の不法無効性を改めて明らかに 
 
イム・ジンチョル|直接民主主義政治博覧会組織委員長、文化人類学博士
サンフランシスコ講和条約の締結場面。1951年9月8日、米国サンフランシスコで48カ国が参加・署名し、1952年4月28日に発効した。この条約に基づき成立した国際秩序をサンフランシスコ体制という=ウィキメディア・コモンズ//ハンギョレ新聞社

 2010年、韓日強制併合100年を迎え、韓国と日本の知識人約1000人が共同声明を発表した。キム・ヨンホ元産業資源部長官と東京大学の和田春樹名誉教授が主導したこの声明には「大韓帝国と日本の間で締結された乙巳条約(第二次韓日協約)と韓国併合条約は不法であり、朝鮮植民地支配は無効」だとする画期的な内容が加えられた。日帝植民地支配の不法無効論は、1919年の3・1革命から100年を迎えた2019年に採択された「韓日市民共同宣言」と、2025年の「韓日基本条約60年を迎える韓日市民共同宣言」にも入れられた。

 しかし、この間、日本で政権を握った安倍政権は、歴史認識を1945年以前に戻した。すると、共同声明を主導した韓国側の発起人たちは、韓日基本条約の母体となったサンフランシスコ講和条約に立ち返ることを決意した。その後、サンフランシスコ講和条約を中心に、韓国、米国、中国、日本、カナダ、オーストラリアの専門家らは、10年以上にわたり5回の国際巡回フォーラムを開催し、その研究と討論の成果を集大成し、最近、『サンフランシスコ体制を越えて(Beyond the San Francisco System)』と題する英語の単行本を出版した。

 同書を読むと、サンフランシスコ講和条約は、3段階を経てその性格が変わっていったことがわかる。第1段階は、1945~1947年に米国が講和条約の早期締結を推進していた時期で、戦犯国家である日本を解体し、アジアの農業国にするというものだった。第2段階は、1948~1950年にソ連を排除したまま単独講和を推進していった段階で、事実上、講和条約を冷戦戦略の一環と位置づけ、「日本改革」から「日本復興」へと目標を転換した。第3段階は1950~1953年で、日本を事実上、敗戦国ではなく冷戦のパートナーと認定した。最終的にサンフランシスコ講和条約では、戦争犯罪の追及は事実上なくなり、植民地犯罪の問題については、その言葉すら登場せず、カイロ宣言とヤルタ宣言の趣旨とは別物になってしまった。

 カナダのウォータールー大学の原貴美恵教授は、米国が東アジアで歴史紛争や領土紛争を引き起こすため、サンフランシスコ条約に「未解決の問題(unsolved problems)の種」をばらまいたと指摘した。日本の李鍾元(イ・ジョンウォン)教授は、米中対立が激化するなかで、インド太平洋同盟の強化やQUAD(クアッド)体制、そして東アジアのNATO化は、サンフランシスコ体制からの卒業ではなく、サンフランシスコ体制2.0へと進化し、具体化する傾向を示していると指摘した。

 特に、ソウル大学のイ・テジン教授は、乙巳条約を追跡する過程で、高宗皇帝の署名操作事件に加え、ハーバード大学のマンレー・ハドソン教授が1935年、脅迫による国際条約の代表的な事例として乙巳条約を取り上げ、この条約が歴史的に無効だと論じた研究結果を紹介した。また、イ教授は、1963年に国連国際法委員会(ILC)が強制によって締結された条約の事例として乙巳条約を取り上げ、これを条約法上、効力を生じなかった事例として評価した点を強調した。これは、龍谷大学の戸塚悦朗教授が、日本の外務省外交史料館に保管されていた「乙巳保護条約の原本」の形式と内容を検討し、題名と署名がないなどの重大な欠陥を発見したことと相まって、大きな波紋を呼んだ。当初から条約がねつ造・変造されていた可能性を示唆するからだ。このような流れのなかで、今回出版された著書の編著者であるキム・ヨンホ元長官は、次のような所感を語った。

 「英語版の出版をきっかけに、国際巡回フォーラム参加者が中心となり、サンフランシスコ講和条約が、国連憲章と世界人権宣言の精神からあまりにもかけ離れており、国連が最も重視する被害者中心主義とは正反対のものであることを、世界の良識ある知識人1000人の名で共同声明を出そうとした。1963年の国連国際法委員会で、世界最悪の国際法の一つとして乙巳条約が挙げられたのと同じように。このようにしていけば、日本も乙巳条約の不法無効論を受け入れざるを得なくなると考えた。しかし、思い通りにはいかなかった」

 思い通りにはならなかったとはいえ、われわれは10年あまりにわたり、70年ほど前に成立したサンフランシスコ体制に対する歴史的・国際的な評価をめぐる研究を学問的に主導した。いまこそ、日本の植民地支配の責任に免罪符を与えた1951年のサンフランシスコ条約体制を乗り越えるための国際的な評価を、謙虚に待つ姿勢が必要だ。16年前の韓国と日本の知識人1000人による日帝植民地統治不法無効の共同声明の成果を、改めてサンフランシスコ体制の歴史的・国際的な再評価に結びつける作業こそ、「破獄の越牆のような歩み(あらゆる困難や障壁を打ち破り、乗り越えて前進していく、極めて力強く不屈な歩み)」だと言わざるを得ない。このような10年あまりの試みが、サンフランシスコ体制2.0ではなく、万国活計(全世界の国を生かす方法)の平和体制という韓流のような成果として、拡大再生産されていくことを心から期待している。私はこのような努力こそが、安重根(アン・ジュングン)義士の「東洋平和論」を現代によみがえらせることだと信じている。

//ハンギョレ新聞社

イム・ジンチョル|直接民主主義政治博覧会組織委員長、文化人類学博士 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/1274177.html韓国語原文入力:2026-08-23 22:02
訳M.S