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革命から65年、キューバはどこへ行くのか【寄稿】

登録:2024-07-20 08:56 修正:2024-07-20 10:04
実際、65年前の革命を支持した、あるいは体制の存続を望むキューバ本土の人々にとって、今日のキューバは「祖国」よりも「死」に、「勝利」ではなく「敗北」に近い。だから若者たちはキューバから脱走する。この10年間で人口は7%も減ったという。残念ながら「チェ」の夢は道を外れていった。根本的な変化はあまりなく、資本主義の商品-貨幣経済ばかりが日を追うごとに広がっている。 
 
カン・スドル|高麗大学融合経営学部名誉教授
//ハンギョレ新聞社

 「祖国か死か! 我々は勝利する!」 人口1100万のキューバによくあるスローガンだ。この悲壮なスローガンの起源は(革命から1年あまり後の)1960年3月のハバナ港でのフランスの貨物船「クーブル」爆発事件だ。クーブル号はベルギー製の武器と軍需物資(76トン)をハバナ港で荷下ろししていたところ、2度も爆発、沈没した。

 キューバと地理的に近いが理念的に対極にある米国にとって、1959年1月のキューバ社会主義革命は「喉に刺さった小骨」だった。欧州製の武器まで流入するのは見過ごすわけにいかなかった。秘密要員の浸透、体制転覆、首脳暗殺の企てなどが米国の基本対処法だ。そのうちの一つがクーブル号の爆破だった。この爆発で100人の労働者が死亡し、200人が負傷した。その犠牲者追悼演説でフィデル・カストロ(1926~2016)は「祖国か死か! 我々は勝利する!」と叫んだ。

 考えてみれば、このスローガンは一次的にはキューバが400年以上続いたスペイン帝国主義の支配からの解放闘争(1868~1898)をしていた時、二次的には米国からの独立と社会主義革命(1952~現在)を展開するあいだ中ずっと、その切実さと断固さを表現していた。

 同じ脈絡で、「祖国か死か!」における「祖国」とはもはや狭義の祖国ではない。少なくとも、世界革命を夢見たチェ・ゲバラ(1928~1967)にそのような祖国はない。医師だった「チェ」はアルゼンチンで生まれたが、キューバ革命の先頭に立ち、後にはコンゴを経てついにはボリビアで最期を迎えた世界市民(!)だった。そのような意味でこのスローガンは「革命か死か!」へと拡張される。

 だが、まさにその革命も早65年。私が最近体験したキューバの現実は、ヘミングウェイが好んだダイキリとは異なり、とても痛々しいものだった。もちろん革命直後からの米国による経済封鎖、1990年以降のソ連との断絶、最近のコロナ禍などがすべて悪材料として作用した。それでも、社会主義を掲げた革命キューバの今日は、「ロマンと情熱」のアイコンとはまったく異なる。

 まず、最大の敵国である米国の貨幣、すなわちドルに対する執着がひどい。「貨幣自身が共同体でないところから貨幣は共同体を解体する。そうすることで自ら貨幣共同体となる」というマルクスの洞察のように、キューバはペソ共同体を越えてドル共同体へと変身する。1ドルが闇市場では350ペソで交換されもする。無償給食、無償教育、無償医療がキューバ体制の根幹であり、このかん有機農業と協同組合の模範でもあったが、米ドルへの過剰依存は「チェ」にとっては狂気と映るはずだ。 弱り目にたたり目で、2021年の貨幣改革後の物価上昇は恐ろしいほどだ。そうでなくても電気や食糧の不足で苦しんでいるのに、物価が数十倍にもなったのだ。自立経済の土台の崩壊による悪循環!

 第2に、ハバナから140キロ離れたリゾート、バラデロは、ドル圏の海外旅行客にとっては天国だ。首都ハバナはみすぼらしいが、数百年の歴史遺産で観光ドルを稼いでいる。しかし、観光経済は虚弱体質だ。さらには革命を汚染する。実際、65年前の革命を支持した、あるいは体制の存続を望むキューバ本土の人々にとって、今日のキューバは「祖国」よりも「死」に、「勝利」ではなく「敗北」に近い。だから若者たちはキューバから脱走する。この10年間で人口は7%も減ったという。「チェ」は「みな現実主義者になろう。だが胸には不可能な夢を抱こう」と語った。現実的条件を考慮しつつも根本的な変化を成し遂げようという意味だが、残念ながら「チェ」の夢は道を外れていった。根本的な変化はあまりなく、資本主義の商品-貨幣経済ばかりが日を追うごとに広がっている。

 第3に、客観的な状況変化より重要なのは、人々の主体的意志だ。だが、50年間キューバ革命を導いた「フィデル」の母校であり、300年の伝統を持つハバナ大学の雰囲気は、「革命」との壁を築いているようだった。正門の警備員たちは私のような訪問客に「カネ」を要求し、キャンパスは「ネズミも死んだように」静かだった。本館と中央図書館の間、イグナシオ・アグラモンテ広場には革命闘争中の1958年に鎮圧軍から奪った戦車が展示されているだけで、キャンパスのどこにも現実を変えるための学生や教授たちの活気に満ちた対話や討論はなかった。果ては、市内のある美術館では一人の職員が親切にしてくれていると思ったら、最後は「ドル」を欲しがった。電気ショックを受けた気分だ! また、「チェ」や「フィデル」の顔が掲げられた学校の前で小学生(5年生)に会った時だ。子どもに親しげにあいさつし、旧国家議事堂のカピトリオへ行く道を尋ねた。方向だけを指してくれてもいいのに、その子はあえて自分について来いと言った。道を歩いている途中、その子は私に「チョコレートがあれば一つほしい」と言った。ないと言ったら「だったら1ドルだけくれ」と言った。その言葉を聞いて目の前が真っ暗になり、ちょうどにわか雨が降ってきたので路地に逃げ込んだ。やるせない思いで雨宿りをしていたら、自転車タクシーが何とか通り過ぎようとして、あっという間にできた水たまりにはまって難儀しだした。助けたくても術がなく、地団駄を踏むばかり。運転手はあれこれと手を尽くし、ようやく抜け出して、雨と汗に濡れて去っていった。その後ろ姿がキューバの今日を象徴的に語っているようで、今もよく思い出す。

 65年前、革命第1世代は「命」をかけて革命をした。しかし、キューバハングル学校の校長を務めるチョン・ホヒョンさんの言うように、「現在のキューバの若者たちは、行けるなら海外に行って、仕事を探して金も稼ぎたいと思っている」。私をハバナ大学まで自転車タクシーで運んでくれた青年フアンもそうだろう。一方、ハングル学校で韓国語を学ぼうとしている若者たちは「本の教材も足りておらず、PDFファイルが見られるパッドを手に入れるのも難しい」ほどだ。

 革命広場の向かいに掲示された「永遠の勝利のその日まで」という一文を残し、1965年に「フィデル」のもとを去った「チェ」。 その顔が世界各国であらゆる商品として売られている今日、果たして革命には命をかける価値があるのだろうか。さらに、資本の価値増殖がますます限界に達している現在、そのせいで欧州では極右が台頭し、米国ではトランプが(命がけで)再起しようとしている今、私たちにはいかなる革命が必要なのだろうか。

 石油、商品、競争、貨幣、資本の支配から脱した世界は果たして可能なのだろうか。多くを持たずとも共同体が生きており、素朴に幸せな国、世界の人々に「これこそオルタナティブ!」だと言える世の中、そのような場所はどこに? 人々をいっぱいに乗せたハバナの市内バスが「石油ではなく太陽光で走っていれば」と想像した瞬間が脳裏をよぎる。クオ・バディス、キューバ?(キューバはどこへ行くのか)

//ハンギョレ新聞社

カン・スドル|高麗大学融合経営学部名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1149721.html韓国語原文入力:2024-07-18 18:20
訳D.K

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