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[寄稿]もう捨てよう 階層上昇のはしごを=韓国

登録:2023-11-22 10:11 修正:2023-12-11 10:04
私は「機会のはしご」をかなりうまくよじ登った方かもしれない。思い返してみると、学力考査当時、教科書で見たことのない文章に慌てず、むしろ自信を持って臨むことができたのは、我が家に韓国文学全集があったおかげだ。本棚にあったとしても読まなければ何の役にも立たないだろうが、最初からそれがなければ、読む機会すらなかっただろう。私が機会のはしごを登っている間、多くの同年代の子どもたちははしごの前に立つことさえできなかった。 
チョ・ヒョングン|社会学者
イラストレーション=ノ・ビョンオク//ハンギョレ新聞社

 「みんな目を閉じて手を頭の上にのせて!」

 息の音すら聞こえない試験会場に、試験監督官の声が響いた。机の上に1時間目の国語の試験用紙が置かれる音が聞こえ、心臓がバクバクした。「はじめ!」ついに目を開けて試験用紙を見た。最初の文章を見た瞬間、パニックに陥った。教科書で見たことのない文章が出題されたのだ。学力考査(現在の大学修学能力試験。大学入学共通テストに当たる)時代、教科書以外の問題が出たのは初めてだった。予期せぬ事態にあちこちで低いため息が漏れた。私も鼓動が速くなった。ところが、読んでみると、内容に見覚えがあるのではないか。面白かったキム・ユジョンの短編小説の一部だった。その瞬間、天に助けられたような気がした。自信が湧いた。4時間目は振るわなかったが、難しかった国語で良い成績を取ったおかげで、挽回することができた。数十年が経った今でも記憶に新しい。

 出身大学が社会階層と地位に大きな影響を及ぼす世の中だ。大学入試が全国民の関心事になり、入試の公正性が教育改革の核心事案になる。先週、大学修学能力試験が行われた。受験生たちを応援するメッセージがあふれた。言葉は暖かいが、現実は冷たい。“勝者”は少数に過ぎない。きめ細かな大学序列のはしごは、上に登るほど狭く急勾配だ。

 いつからか韓国社会では上昇移動のはしごが壊れてしまったという嘆きの声があちこちで聞こえる。以前は不遇な環境でも自力で一生懸命勉強し“名門大学”に合格し、上昇移動する事例が多かったが、今は難しいという。「鳶は鷹を生まない」という批判だ。経済学者のチュ・ビョンギは、所得下位20%の両親のもとで生まれた人が所得上位20%に駆け上がる確率という観点から「鳶鷹の機会の不平等指数」を算出した。この指数は1990年の19.79から2016年には34.82に上昇したという。機会の不平等がおよそ2倍近く激しくなったという意味だ。

 政治家たちがこの問題の解決に乗り出した。文在寅(ムン・ジェイン) 前大統領は大統領選挙候補時代、「壊れた教育のはしごを建て直す」と約束し、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領も「若者の資産形成を支援して崩れてしまった階層間移動のはしごを再びかけ直す」と公約した。共に民主党のイ・ジェミョン代表はもっと大胆な公約を掲げた。物議を醸すことを承知で、「司法試験の復活、(修学能力試験成績に基づく)一般入試の拡大で階層間移動のはしごを保障する」と宣言した。「ソウルラーン(Seoul Learn:教育格差を解消するため、低所得層などを対象にオンライン講義やチューターなどを提供するソウル市の福祉政策)を通じて階層間移動のはしごをかけ直す」というソウル市のオ・セフン市長も同じだ。公共の財源で私教育を支援するという不可解な発想だ。壊れた上昇間移動のはしごを建て直すという約束は与野党を問わない。

 名の知れた西欧の政治指導者たちも同じだ。労働階級と決別した「第3の道」路線として有名なトニー・ブレア元英国首相は、英国社会を機会のはしごに登って誰もが成功できる中産層社会にすると約束した。米国初の黒人大統領バラク・オバマは政治的故郷であるシカゴの貧民街で、このように演説した。「すべての青少年に最大限の機会を与えなければならない。機会のはしごを通じて低所得層の青少年が中産層になれるようにしよう」

 多くの政治指導者が、壊れたはしごを建て直し、誰もが登れるようにすると約束する。にもかかわらず、不平等は改善するどころか、ますます悪化している。その理由は何だろうか。政治家は皆嘘つきで、実ははしごを外すのに先頭に立ってきたからだろうか。あまりにも冷笑的な結論だ。これを機に発想を変えてみたらどうだろうか。私たちがはしごをかけることに努力を傾けるほど、逆に不平等がさらに進むのではないかと。

 英国社会で革新左派が上昇のはしごをかけることを主な政治目標に掲げていた1950年代後半、左派の文化研究者レイモンド・ウィリアムズははしごこそブルジョア的発想の完璧な象徴だとして、反旗を翻した。はしごは間違いなく登る機会を提供するが、それは「個人的にしか使えない装置だ。あなたは一人ではしごをよじ登らなければならない」。そのようにして個人的成功の機会を提供することに社会の努力が集まると、どんなことが起きるだろうか。

 第一に、共同体を改善しようとする共同の任務が弱まり、第二に、垂直的なヒエラルキーの観念がより正当化される。はしごは機会の平等を約束するが、その見返りとして社会は分裂し、不平等が深まる。ウィリアムズの批判にもかかわらず、はしごは時代の流行語となり、機会の平等論は確固たる地位を築いた。「はしご」は、結果の不平等を縮小しようと主張することを負担に思う政治家たちが愛用する言葉になった。

 はしごと共によく登場するものに「同じスタートライン」の喩えがある。私たちは皆同じスタートラインに立ってレースを始める。それでこそ「公正な競争」だ。スタートの合図以降のことは、個人の責任だ。先頭と最下位の差が広がったからといって問題視しないように、結果の不平等にも介入してはならない。

 実際の世界では、同じスタートラインという発想自体が虚構だ。同じスタートラインで誰かはスポーツカーに、誰かは自転車に乗って出発する。誰かは自分の足で走らなければならない。時には親までおんぶしたままで。努力すれば何とかなるというが、実際、努力する機会さえ平等には分配されない。この格差を解消するか、最小限に抑えるためには、結果の不平等に介入せざるを得ない。機会の平等論を深めれば結果の平等論と出会わざるを得ないのも、そのような理由からだ。主流政治家たちが決して向き合いたがらない真実だ。

 私は機会のはしごをかなりうまくよじ登った方かもしれない。思い返してみると、学力考査当時、教科書で見たことのない文章に慌てず、むしろ自信を持って臨むことができたのは、我が家に韓国文学全集があったおかげだ。本棚にあったとしても読まなければ何の役にも立たないだろうが、最初からそれがなければ、読む機会すらなかっただろう。私が機会のはしごを登る間、多くの同年代の子どもたちははしごの前に立つことさえできなかった。大学進学が大幅に増えた1980年代末にも、短大まで合わせた大学進学率は30%余りに過ぎなかった。教科書で見たことのない文章にまつわるエピソードを思い浮かべるのもそれだけ“特権”であるわけだ。

 私たちの前に二つの道が置かれている。一つは互いに連帯して不平等そのものを改善する道だ。もう一つはそれぞれ成功のはしごを登る道だ。生き残りをかけて一人ひとりが無限レースを繰り広げる道だ。ここ数十年間にわたり改革をめぐる韓国社会の議論ははしごのイメージの周辺に留まっていた。その間、韓国社会はそのはしごを登るため、生き残りをかけて競争する垂直的な不平等社会になった。連帯も民主主義も弱くなった。

 もう捨てよう、一人で登るはしごを。

//ハンギョレ新聞社
チョ・ヒョングン|社会学者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1117264.html韓国語原文入力:2023-11-22 02:42
訳H.J

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