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[徐京植コラム]真実を語り続けよう ― 連載を終えるにあたって

登録:2023-07-07 09:44 修正:2023-07-07 11:16
厳しい時代が刻々と迫っている。だが、勇気を失わず、顔を上げて、「真実」を語り続けよう。サイードだけではない。世界の隅々に、浅薄さや卑俗さと無縁の、真実を語り続ける人々が存在する。その人々こそが私たちの友である。 
長年にわたって愛読してくださった読者の皆さんに心からお礼申します。
//ハンギョレ新聞社

 この連載は今回をもって終了することになった。私が自分から望んだことではない。

 ウクライナでは戦争が継続中であり、東アジアにもキナ臭い風が吹いている。こういう時期にはもう少し事態の行方を沈着に見定め、及ばずながら、何か一言でも役立つことを発言したいという気持ちはあるが、まあ、自分自身の年齢やこの間の体調を考えると「これが潮時か」という気持ちもなくはない。というわけで、今回が連載の最終回ということになるので、少し過去を振り返って所感を書きとめておきたい。

 私がハンギョレ新聞にコラムを連載し始めたのは、2005年の5月からである。当初は「深夜通信」というタイトルだった。その後、連載のタイトルや体裁が何回か変わったが、概ね18年間にわたって書き続けてきた。自分でははっきりとわからないが、1新聞に1作家が連載したコラムとしてはかなり長命な部類に属するだろう。最初に日本への国際電話でハンギョレのハン・スンドン記者から執筆依頼を受けた時のことを今もよく覚えている。在日2世である私は、日本で生まれ育ち、それまで韓国社会で長く住んだ経験もなかった。当然、韓国社会の実情に暗く、国内に住む人々の心情を深く理解しているとも言えなかった。そういう自分に何が書けるだろうか?かなり迷ったが、私自身のディアスポラ(離散者)としての視点、またマイノリティ(民族的少数者)としての視点から、文化批評的に語ることならできるかもしれない、と考えた。

 それ以上に、この仕事を通じて、「祖国」(祖先の故郷という意味)の人々と対話してみたい、「課題を共有する同胞」としての紐帯を築きたい、そういう思いから始めた連載が、20年近く続いたのである。このような私のスタンスがある程度理解され、受け入れられた結果と考えても良いだろうか。私の「初心」がどの程度実現されたのか、あるいは空虚な夢に過ぎなかったのか、それは今は判断できない。ただ私自身の人生にとっては、2006年から2年間、聖公会大学に客員教授として滞在できた経験も含めて、極めて意義深いことであったと思っている。この経験を通じて多くの韓国の善き人々と出会い、多くを学ぶことができた。私は自分がこのような経験ができたことを大きな幸運だったと考える。

 それと同時に、大多数の在日同胞が祖国分断をはじめとする様々な要因のためにそのような機会を得ることができないままであることを、改めて思い起こしている。そういう理不尽な状況が解放後現在まで、すでに80年近く続いているのだ。その中で、子供たちが育ち、また、世を去っていくのである。いつの間にか、この状況を「当たり前」と感じてはいないか。これは「当たり前」ではないのだ。そのことを思い出しておきたい。平和への夢、統一の夢、いつの間にかその夢を諦め始めてはいないか。

 韓国で親しくなった友人Kさんが、愛妻と二人の息子を連れて、わざわざ日本まで訪ねてきてくれた。私の体調を気遣って、様子をみにきてくれたのである。私がソウルに滞在した2006年、彼はY大学で学ぶ哲学徒だった。何回かセミナーの講師に呼んでくれた。私は彼との交友を通じて、韓国の「善き若い人々」の思考方式や行動様式を学んだ。その間に彼は、声楽家である素晴らしい女性と結婚し、育児に関する哲学的考察を記した書物も著した。韓国に滞在することがなかったら、彼と知り合うこともなかっただろう。私の韓国および韓国人に対する認識は現在よりも薄っぺらいものに止まっていただろう。彼の妻は美しい声でイタリア歌曲を聞かせてくれた。子供たちは元気いっぱい、呆れるほどの食欲を遠慮なく発揮してくれた。

 私より30歳ほど若い彼とその妻それにまだ幼いその子供たち、この「善き人々」は今後どういう運命を生きていくのだろうか?何とか平和を享受してほしい。顔も知らない人たちも含めて、祖国のすべての人々に平和を享受してほしい。いや「祖国の」という言葉も不要だ。自分に「親しい人」とそれ以外との間に見えない線を引くことは間違いだ。すべての人々、とくに理不尽な苦境を強いられているパレスチナ、ミャンマー 、その人々に平和あれと切に願う。

 振り返ってみると、私が滞在した時代の韓国は金泳三、金大中、盧武鉉政権の文民政権時代、長い軍政を克服して、まだまだ問題だらけとは言いながら、希望や活力を感じさせる時代だった。私自身は何らの貢献もできなかったが、それでもこの新しい息吹に触れ、大いに励まされた。私の書いたものが人々に読まれ、受け入れられたのも、このような時代の空気のおかげであると自覚している。現在は尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の下で、韓国社会は逆回転に入ったようだ。南北対立の剣呑な時代がまた到来するのだろうか。そうでないことを願うが、70年あまり生きて、日本と韓国で、多くのことを見てきた私は、簡単には楽観的になれないのである。すべてのものが浅薄になり、卑俗になっていくと感じる。私のような「人生の秋」を迎えている者から、それでも一言、忠告を送るとすれば、急がないで、落ち着いて、効率や速度に勝る別の価値を大切にしてほしい、ということになろうか。つまり、人文主義的思考を重んじ人間味のある社会を造ろうということだ。

 最後に、エドワード・サイードの言葉を思い出しておきたい。(なぜ1967年以降、政治的実践の方向に進んだのか、という問いに対して)「パレスチナ闘争が正義について問いかけるものだったからです。それは、ほとんど勝算がないにもかかわらず真実を語り続けようとする意志の問題でした。」(『ペンと剣』)

 私たちも、勝算があろうとなかろうと「真実」を語り続けなければならない。厳しい時代が刻々と迫っている。だが、勇気を失わず、顔を上げて、「真実」を語り続けよう。サイードだけではない。世界の隅々に、浅薄さや卑俗さと無縁の、真実を語り続ける人々が存在する。その人々こそが私たちの友である。

 長年にわたって愛読してくださった読者の皆さんに心からお礼申します。翻訳者のハン・スンドン記者や編集部の皆様にもお礼申します。

//ハンギョレ新聞社

徐京植(ソ・ギョンシク)|東京経済大学名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1099094.html韓国語記事入力:2023-07-07 02:36

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