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[徐京植コラム]国境とは何かー仁川ディアスポラ映画祭に参席して

登録:2022-06-17 09:14 修正:2022-06-17 10:54
イ・ジョング「続・農者天下之大本-沿革」1984年、米袋の上にアクリル、170×100cm=ソウル私立美術館所蔵//ハンギョレ新聞社

 5月29日、2週間あまりの韓国滞在を終えて、日本に戻って来た。およそ3年ぶりに仁川ディアスポラ映画祭に参席すること、及びソウルで2度のブックトークを行うことが主たる目的だったが、とにかくコロナ禍のため今回の渡航は出入国ともにかなり苦労したので、そのことを書きとめておく。

 まず、同行する妻は日本国籍なので韓国入国にビザが必要になった。過去に何回となくビザなしで往来したことのある妻が、今更あらためてビザを求められるとは予想していなかったので、かなり慌てた。しかも、ビザ取得のために本人の戸籍謄本をはじめ婚姻関係証明書など数種の書類が要求され、その取得のために多くの時間と手間を要した。このほか、搭乗48時間前までにPCR検査を受けて、英語か韓国語で記入した公式な「陰性証明書」を準備して提出することを求められた。そのために東京都内のクリニックで検査を受けたが、費用は一人あたり2万5千円と高額だった。帰途、成田空港到着時もPCR検査があり、結果が出るまで長くかかった。

 さらに私を苦しめたのが、日本側においても韓国側においても、これらを含めた手続きのすべてをスマホで行うよう誘導されることだった。スマホが扱えなければ自分の国にも自由に往来できないのか。若い友人の助けを受けて、ようやくこの難関を通過したが、まるで私のような高齢のIT難民には国境を越える移動が禁じられているかのようだった。

 また、これらの手続きの各段階で執拗なくらいに「個人情報」の入力を伴う「登録」が求められることにも強い違和感があった。人間たちを監視し管理する側は、コロナ禍に乗じて、こうして膨大な一般人の情報を入手する。一般人の側はたとえ納得できなくても、求められるままに個人情報を提供するほかない。こうした手続きに従っていく過程で、まるで権力によって「丸裸」にされるような屈辱感さえ私は感じた。さらに言えば、こうした手続きの制度化の裏に莫大な利益を手にしている企業や個人がいるはずだという想像も、私を不快にさせた。つまり「疫病」や「戦争」による「緊急事態」と国家がいったん宣言しさえすれば、人は容易に「無主権状態」に転落させられるということだ。日本で保守派が憲法を改悪して「緊急事態」条項を導入しようとしていることは、このことを物語っている。

 もちろん戦争やその他の理由で難民となった人々の苦労に比べれば、私の感じた不便など何ほどのことでもないだろう。だが、こうした経験は私に、改めて、「国境とは何か」という問題を考えさせた。疲れたが、意味のある経験だった。

 いまウクライナから700万人以上の人々が戦火を逃れて国外に流出しているという。この人々は、日本をはじめとする西側諸国で比較的(あくまで比較的にだが)手厚く処遇されているが、シリアからの難民はそうではなく、露骨に嫌悪や排斥の対象となったことは記憶に新しい。ミャンマーなどアジア諸国、中東や中南米、アフリカからの難民とウクライナ難民の扱いには明らかな二重基準と不均衡がある。私はウクライナ難民の苦難を軽視しているのはない。それに数倍する発展途上国の難民の痛みや涙に対して、世界はあまりにも冷酷だと言いたいのである。国家は人道危機においてすら、自らの利害を優先する。いうまでもないが、「支援」や「援助」すらが、国家戦略の一環なのである。穀物をはじめとする資源の宝庫であり、戦略的要衝でもあるウクライナをめぐって、欧米とロシアが熾烈な勢力圏争いを演じている。冷戦終結後も形を変え継続していた闘争が、いま、理念も理想も失ったまま熱戦として噴き出しているのだ。

 ソウルと仁川で3年ぶりに懐かしい人々との再会を喜んだ。仁川ディアスポラ映画祭において、私は「戦争と芸術」と題する講演を行い、参考映像として2本のソ連映画「誓いの休暇」と「炎628」(『来たれ、そして見よ』1985)を紹介した。なぜいま「ソ連映画」を見るのか。それは言うまでもなく現在進行中のウクライナ戦争との関連で、参照すべき内容が多いからだ。前者はスターリン時代がようやく「雪解け」を迎えた1959年に公開され、国際的に高い評価を得た。1960年代(安保条約反対運動以後)の日本でよく見られた。(おそらく同時代の韓国では見ることができなかったであろう)。私も高校生時代にこの映画から強い印象を受けた。もちろんソ連の「国策映画」として批判すべき点があるが、戦争の中でのヒューマニズム賛歌でもあり、ただ「国策映画」とだけ片付けられないものがある。

 『炎628』は1943年ドイツ占領下のベラルーシが舞台。1943年3月22日のハティニ虐殺を基にしたアレシ・アダモヴィチの小説が原作である。この2本の映画は同じ独ソ戦の時代、ほぼ同じ場所(ベラルーシあたり)を扱っているが、強烈なコントラストをなす正反対の作品といえる。後者は「地獄」と言われる独ソ戦の真実を徹底的に描き尽くした、映画史上もっとも救いのない映画とされる。628というのは独ソ戦の結果焼き払われた村の数だという。

 私の講演の意図は、これらの映画を「国策」の求めるままに受け入れるのではなく、また、「どうせ国策映画だ」と簡単に片付けるのでもなく、今日の世界の文脈の中に置き直して、批判的かつ主体的に見る視点を持とうとすることだった。今日のような世論も文化傾向もたやすく一色化されやすい「戦争」状況の中で、私たちが自立した主体として文化を享受するために、ぜひ必要な姿勢だと思う。

 そのほか、私個人としての大きな収穫は、仁川文化財団の代表理事であるイ・ジョング画伯に会い、その作業室で多くの作品を見せてもらったことだ。イ・ジョング画伯は私とほぼ同世代で、出身は私の祖父母と同じ忠清南道である。彼の作品を見ながら私は、1960年代に初めて訪れた故郷の風景と、貧しく疲れ果てた村人たちの姿を思い起こした。それは申庚林(シン・ギョンニム)詩人の「農舞」に歌われた世界でもある。祖父の代に日本に渡り「ディアスポラ」となった私と、ずっと故郷の農民たちを描き続けているイ・ジョング画伯の世界はまったく対称的だ。しかし、彼の作品は私を強烈に引きつけた。何より、日夜休みなく田畑を耕すように、農民たちの真実を描き続けたその営為が、私の心を打ったのだ。こういう人物が文化財団の代表でいることは、間違いなく貴重なことだ。それは涙と汗に塗れた民主化闘争の果実である。先日の大統領選挙以後、文化政策に限っても、韓国社会は重要な分岐点に差しかかっている。今日までの貴重な達成が果たして今後も維持されるかどうか。私は危ぶみながら注視している。

//ハンギョレ新聞社

徐京植(ソ・ギョンシク)|東京経済大学名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1047333.html韓国語記事入力:2022-06-16 18:02

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