本文に移動

[徐京植コラム] ウクライナ戦争と、私が希望を語れない理由

登録:2022-04-22 06:47 修正:2022-04-22 07:56
ドイツの画家オットー・ディックスの銅版画シリーズ「戦争」より『毒ガスを使って前進する突撃隊』//ハンギョレ新聞社

 コロナ禍は2年以上を経ていまだに終息の気配を見せない。そんな中で、いつまでもじっとしていることもできず、少しずつ外出し、講演の依頼などがあれば引き受けている。仁川ディアスポラ映画に参席するため5月には韓国を訪れ、友人知己たちとも久しぶりに再会する予定である。長崎原爆記念日(8月9日、広島は8月6日)を前後して、長崎市で友人の画家・増田常徳(ますだじょうとく)さんが個展を開く。それに合わせて、私も現地で講演することになったが、何をどう語るべきか、考えれば考えるほど難しい。定年退職して環境が変わり、私自身も歳をとったせいでもあるだろうが、それ以上に現在の世界の状況が、私の心を塞ぎ口を重くさせているからだ。

 前回のこのコラム(2月19日執筆)を書いた直後にロシア軍のウクライナ侵攻が始まった。2カ月後の現在、南部の要衝マリウポリが激しい攻撃を受けていて数日中に陥落するだろうと言われている。「投降しないと全滅させる」とロシア側は言明した。民間人虐殺が引き起こされ、生物化学兵器や核兵器の使用すら現実味を帯びつつある。なりふり構わない無慈悲な戦争が、いままさに継続中である。この戦闘を停止させる方策を誰も持ち合わせていない。戦闘は長期化し、泥沼化して、無残な犠牲がこれからも重ねられていくだろう。

 私は1951年に日本の京都で生まれたので、地理的にも時間的にも、朝鮮戦争を直接経験したとは言えないが、いまウクライナで続いている事態を、まるで朝鮮戦争の再現のように感じている。若かった頃より今の方がはるかに身に迫るものを感じる。朝鮮戦争によって朝鮮民族すべての心身に刻みつけられた傷がどれほど深いものであるのかを、今更のように思う。ウクライナ事態に連動する朝鮮半島核危機は、このような癒されないトラウマの痙攣的な発症であるとも見える。

 前回のコラムに「理想なき時代に正気を保つ」とタイトルをつけた。私自身はまだ「正気」を保っているつもりだが、世界の大勢はそれを失う方向へと急速に流されている。「理想なき時代」が続いている。考えてみれば、はるか以前からそうであったのだ。第二次大戦でファシズム側が敗北し、冷戦がいったん終結した後、世界は平和を享受できる時代をようやく迎えたように思われた。しかし、それはごく短い時期に過ぎなかったようだ。いま、終わらなかった冷戦がみるみる熱戦に転化する模様を実況中継のように、私たちはなす術もなく目撃している。

 「ごく短期間」と書いたが、実はそれは欧米や日本などごく限られた地域のことに過ぎない。この間もアフリカ・中東・中南米など第三世界では破壊と殺戮が絶え間なく続いていた。今回のウクライナに数倍する血と涙が流されて来た。いうまでもなく欧米もその加害者側である。世界はそのことに十分に関心を注いで来たとは言えない。いまヨーロッパを直接巻き込むウクライナ戦争が起きて初めて、世界をこれを我がこととして語り始めたのだ。

 私は人生70年を過ぎて、自分が、公的にも私的にも最大の試練に直面していると感じている。この試練の核心は、今が「理想なき時代」だということだ。理想を見出せないまま試練に耐えることは困難だからだ。プーチンのロシアが「悪」であることには議論の余地がない。だが、ウクライナやその背後にいるNATO側が「善」であるとも言えない。欧米諸国(日本を含む)も中南米やアフリカでアメリカ合衆国の覇権やグローバル金融資本の利益拡大のために正義に反する力を行使して来た(している)からだ。過去のチリ、近年のイラク、あるいはヴェネズエラをみただけでも、そのことは明らかだ。

 私の理解では現在の世界はかつては「民主主義」「人権」「被抑圧民族解放」といった普遍的理想の旗のもとに、「ファシズム」「ナチズム」「天皇制軍国主義」という見えやすい「悪」と闘った結果の到達点と考えられて来た。それはいま思えば、困難に満ちてはいても、多くの人々が「理想」を共有することのできた時代だった。だが、それはたんなる通過点だったのかもしれない。かりそめの平和の時期は過ぎ去ったのか。私たちはこの大きな転換点に立って、どんな覚悟をすべきなのか。

 冒頭に紹介した増田常徳さんは、日本の洋画界では少数の、重い社会的テーマを取り上げて来た画家である。近年の大表作に、東日本大震災の津波被害を想起させる「寂光(浄土ヶ浜)」、福島原発事故の後の放射能被害をテーマとする「パンドラの箱(凍土壁)」などがある。いずれも見る者を圧倒する大作だ。日本でこのような作品に出会う機会は稀である。日本洋画界の多数派は、明治以来の外光派の伝統から抜け出すことができず、明るく、装飾的な画風である。重く暗いテーマは敬遠されるからでもある。だが、増田作品はそれら多数派とは異なる。

 彼の作品にはよく防毒マスクをつけた人物像が現れる。ガスマスクは、第一次世界大戦において毒ガスが兵器として多用されたことに伴い、レマルクの小説『西部戦線異状なし』に描かれ、ドイツの画家オットー・ディックスの銅版画シリーズ「戦争」に現れた(作品写真)。つまり、それは20世紀とともに始まった大量殺戮戦争の時代を象徴するイコンであった。その後およそ100年が経ったが、ガスマスクはまだ退場できない。私たちは今、ウクライナでまたそれを見るかもしれないという悪夢に直面している。増田さんの描くガスマスクの人物は、「かつてこういう時代があった」という証言でもあるが、その時代はまだ続いていて終わりそうもないのである。

 前述したように、この夏、私は長崎市のキリシタン弾圧犠牲者を記念する「26聖人記念館」で講演する予定だ。私に何を語ることができるのか。キリシタン弾圧、原爆の惨禍、軍艦島などでの過酷な強制労働、…それらの記憶が折り重なっている長崎は、特別な土地である。ウクライナ戦争の暗雲の下では、なおさらだ。人間の愚行と残酷の歴史は、いったいいつから続いているのか。いつ終わりを告げるのか。そもそもそれが「終わる」ということはありうるのだろうか。私にもっと「明るい希望」を語れと勧める人たちもいる。だが、私はむしろ正直に、痛い真実と暗い思いを語りたい。それが、私たちが「正気」を保つための深い省察の機会を与えるだろうと思うからだ。

//ハンギョレ新聞社

徐京植(ソ・ギョンシク)|東京経済大学名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1039918.html韓国語記事入力:2022-04-22 02:37

関連記事