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[コラム]韓国の「平均喪失」の時代

登録:2023-05-10 02:06 修正:2023-05-10 08:02
//ハンギョレ新聞社

 人は一生「平均」を基準として生きていく。生まれた瞬間から身長、体重、発達指数などが平均の範囲内に収まっているかを問う。学校に入学しても同じだ。知能、成績、成就度などが平均に近ければ心配はない。卒業後、社会に出ても職場、年俸、昇進などが平均に近ければ「無難だ」と評価される。

 平均という言葉は「正規分布曲線の中央」を意味する。ある集団の正規分布は緩やかな釣鐘状になるが、その真ん中に平均があり、平均の周りに最も多くの人が集まっているのが一般的だ。統計学であれ自然科学であれ社会科学であれ、この正規分布を「基本値」と考える。だから平均に属するということは、私たちに心理的安定感を与えてくれる。「平均的な人生」を生きるということは、他人に劣っていないという最小限の基準を満たしていることを意味するわけだ。

 しかし、「平均の時代」も終わりつつあるようだ。2023年のキーワードの一つが「平均の喪失」だからだ。今年初め、ソウル大学消費トレンド分析センターのセンター長を務めるキム・ナンドさんは「私たちは平均の人生が消えた時代を生きており、経済・社会・政治・文化などの様々な面で両極化・N極化が深化している」と診断している。

 近ごろこのような現象が最も目立つ分野は、まさに「消費」だと言える。特級ホテルでは1杯10万ウォン(約1万200円)を超えるマンゴーかき氷が飛ぶように売れているというが、コンビニでは3000ウォン(約3060円)のコスパ弁当が売り切れる。1万ウォンの外食メニューがなくなったと騒がれている中、有名ブランドのポップアップレストランは1人当たり70万ウォン(約7万1400円)もする週末の予約が取れないほど人気だ。「貧乏人ルーム」というグループチャットで、自分の消費を告白し辛口の批評を受けることで面白おかしく節約ぶりを共有するのが人気だというが、ゴールデンウィークのある5月の海外旅行の予約者数が昨年の3000%増だということもニュースになっている。

 実際のところ、平均の喪失が必ずしも両極化のみを意味するわけではない。その中には「N極化」も含まれる。個人の好みが様々に分かれてきたことで、他人の顔色をうかがわず「自分だけの特別」を追求する若年層が増えている。「N人の顧客のためのN個の趣向」をモットーに「自分だけの香水」「自分だけのまな板」など、オーダーメード型製品を作ってくれる業者が繁盛しているのは、まさにこれが理由だ。

 平均の喪失は結局のところ、普遍性の終焉だ。その究極が両極化なのかN極化なのかはまだ分からない。平均の喪失の時代が、不平等と差別ではなく多様性と個性の時代であることを願うばかりだ。

ユ・ソンヒ|産業チーム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1091122.html韓国語原文入力:2023-05-09 18:43
訳D.K

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