尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が米国国賓訪問に先立ち、ワシントン・ポストとおこなったインタビュー内容を読みながら、大統領の発言の重みをかみしめている。尹大統領はインタビューで「私は100年前に起きたことのために、何か絶対不可能だとか、100年前の歴史のために(日本が)ひざまずかなければならないという考えを受け入れることはできない」と述べた。「ひざまずく」というのは、日本が100年前のことで謝罪し続ける必要はないことを強調するために使った表現とみられる。ところが、謝罪やお詫びが必要か否かを判断するのはあくまでも被害当事者の役目だ。大統領は「国家元首であり、外国に対して国を代表」する人物だが、被害者に代わって謝罪の必要性まで判断する権限は持っていない。
謝罪ではなく、「日本がひざまずく」一方的な譲歩を求める必要はないという意味として受け止められるかもしれない。そこまで深く考える必要があるのかという気もするが、たとえそのような意味だとしても、韓国が日本にひざまずけと要求したことがあるのかは疑問だ。1965年の韓日請求権協定、2015年の韓日慰安婦合意などを通じて、韓国は日帝の植民地支配時代の被害問題に関し、日本と現実的条件を考慮した妥協を重ねてきた。しかも、現政権が先月6日、強制動員被害に対する最高裁の賠償判決問題と関連して示した解決策は、妥協を越えた一方的な譲歩だった。現政権は日本の被告企業が支払うべき賠償金を国内の財団が肩代わりする「第三者弁済」を解決策として発表しており、日本はこの問題について全く譲歩していない。岸田文雄首相が「1998年10月に発表された(金大中元大統領と小渕恵三元首相の)日韓共同宣言を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」と述べただけだ。しかも日本政府は11日に公開した「外交青書」で、強制動員被害者賠償問題と関連して韓国の「譲歩」した事実だけを明示し、「歴代内閣の談話を引き継ぐ」という内容は盛り込まなかった。
100年前に起きたことに関する尹大統領の言及を読んで、思い出したことがある。今年は関東大震災朝鮮人虐殺が起きてから100年目になる年だ。1923年9月1日の関東大震災後、日本では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが広がり、自警団と軍が東京や横浜、千葉など関東各地で朝鮮人を虐殺した。当時、日本政府は事件の隠蔽を図り、真相調査を行わなかった。
第2次世界大戦後、在日朝鮮人と一部の日本市民は関東各地で朝鮮人虐殺の犠牲者を追悼する行事を続けてきた。1973年から東京の横網町公園で開かれている追悼式典が代表的な事例だ。極右政治家として知られる石原慎太郎元東京都知事を含め、歴代の東京都知事らは毎年、この追悼式典に追悼文を送ってきた。しかし、日本社会の右傾化が進むにつれ、2017年から小池百合子現東京都知事は追悼文を送っていない。横網町公園の朝鮮人犠牲者追悼式典を主導する市民団体の関係者らは、毎年追悼式典でこのような言葉をよく口にしていた。歴史が「時の流れと共に風化し、忘れ去られている。忘却は再び悪夢を呼ぶ恐れがある」