不確実性と焦りの中で大混乱だった6カ月が終わった。韓国の現代政治史の中でも数え立てられるほどの長々しい時間だった。昨年12月3日の非常戒厳令以降、多くのことに「未曾有」という修飾語がついた。現職大統領が親衛クーデターを起こしたのも、現職大統領が逮捕・拘束されたのも、ある部長判事が奇怪な算法で罷免された大統領の拘束取り消し決定を下したのも、大統領権限代行が弾劾されたのも、暴徒が裁判所に乱入して暴動を起こしたのも、最高裁が前例のないやり方で政治に介入しようとしたのも、違憲・違法な非常戒厳に共同責任がある政党で尹前大統領を擁護する候補者が輩出されたのも、一様に前例のないことだった。
「大統領李在明(イ・ジェミョン)」はそのように多くの紆余曲折と不安、恐怖の中でも希望を捨てなかった多数の国民たちの意志で、4日午前に就任宣誓を行うことができた。憲政史上初の出来事が繰り返されたにもかかわらず、大統領選挙は思いのほか僅差で終わり、当選者の得票は依然として過半数を達成できなかった。このように両極端に分裂した廃墟の上に、李在明大統領は今立っている。そこは、再び国民が希望と期待を抱けるよう多くのことを整えなければならない場所でもある。
検察共和国、内乱共和国を越えて憲政秩序を復元しなければならず、凄惨に崩れた庶民の暮らしを回復させなければならないという当面の課題は言うまでもない。人工知能(AI)、デジタルを中心とした新たな経済成長の動力を確保しなければならず、一極体制から抜け出して多極化する世界秩序で韓国の地位を向上させなければならない。この他に司法・検察改革、マスコミ改革、少子化と国民年金枯渇などの解決策作りを通じた福祉体系の再構築など、どれ一つとしてたやすいことはない。改憲を求める声も継続して上がり続けるだろう。任期に間に、多くの課題ばかり並べ立てて何も解決できないままうやむやに終わってしまう恐れもある。
李在明政権がこのような高次方程式を解いていく過程で、明確に原則に据えるべきことがある。まさに、過去ではなく、未来を見据えて進まなければならないということだ。
多くの国民たちが内乱容疑をめぐる捜査過程と結果に注目せざるを得ないだろう。罷免された前大統領の尹錫悦(ユン・ソクヨル)氏はもとより、政府や大統領室、軍、政党、宗教界など、いたるところにいる内乱の重要任務従事者、付和随行者などに対する司法的審判は、極めて当然のことだ。これを通じて憲政秩序を回復し、K民主主義が大韓民国の発展のもう一つの動力の一軸であると内外に確認させることは、間違いなく重大なことだ。
しかし、国民の心情的痛快さの上で高まる国政支持率に満足してはならない。振り返ってみれば、大統領職引継ぎ委員会なしに始まった文在寅(ムン・ジェイン)政権がまさにそうだった。意図したかどうかに関わらず、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)両元大統領に対する不正腐敗捜査と司法処理過程に寄りかかった国政支持率の高さの中から始め、歴代のどの政府よりも高い支持率で任期を終えた。にもかかわらず、数多くの改革課題は未完または失敗を味わい、韓国社会の根本的な現実は変わらなかった。むしろ、文在政権を経て、検察共和国の根がさらに深くなったという批判は免れられなくなった。
その上、文在寅政権が始まった2017年に比べ、韓国社会の地形は気が遠くなるほど急激に変わった。激しい分裂と対立を通じて、対決構図は社会全般にわたって固着化した。違憲・違法の内乱に公然と同調する人々が、宗教と市民団体の外皮をかぶって任期初期から絶え間なく「不正選挙」「弾劾」などを掲げるだろうし、保守系マスコミなどは権力を監視するという名目で政権に揺さぶりをかけるだろう。
国民統合、社会統合はあまりにも急がれる課題だが、これは人為的に、あるいは見せかけのイメージを通じて作り出せるようなものではない。(世論調査で)国政支持率が高く出たからといって、対立して分裂した現実が改善されるわけではない。これは虚像であり、しばらく現実を覆い隠すだけだ。国民一人一人の暮らしが良くなり、いろいろな利害集団の政治・経済的条件が改善され、また外交・安保秩序の中で国家の利益が担保された時に、自ずと実現するのが国民統合であり、社会統合だ。内乱に対する断罪は司法システムに任せ、大韓民国の未来価値と発展に集中してほしい。最も恐れるべきなのは、支持率ではなく歴史の評価だ。李在明政権が本当に反面教師とし、乗り越えなければならない対象は、尹錫悦政権ではなく、文在寅政権だ。