大統領選挙から1年になる。不幸にもこれまでに尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権がしてきたことで思い出されるのは、検察による数多くの調査、前政権たたき、労組たたき、ストライキ労働者たたき、市民団体たたきばかりだ。経済、福祉、労働、外交、安保、南北関係、気候危機などの重大な国家的、世界的諸議題について、私たちはいまだにこの政権の能動的な国政ビジョン、目標、ロードマップを聞いていない。
尹錫悦政権の性格に階級、理念、権力の面から多角的に光を当ててみると、反労働者・極右・検察国家という素顔がますます明らかになる。労働者の団体と権益主張に対する弾圧、極右の人物の高位公職者への登用、民主化の歴史の否定、検事出身者による国家機関掌握、司正機関の権力を乱用した社会統制など、韓国社会の民主主義と普遍的人権を脅かす数々の深刻な問題が急速に深化している。
法を手段とする監視と処罰の支配様式が国家機関、社会組織、労働現場、ひいては市民の内面世界にまで浸透してきていることが、おそらく現政権発足後のもっとも顕著な変化だろう。法を知り、使いこなせる「法の技術者」たちが政治権力を掌握したことで、そこを拠点として社会のあらゆる部門の権力資源を手に入れている。検事、判事、弁護士、政治家、官僚、企業が法と金をやり取りしつつ、特権の城をさらに高く、さらに強固にしている。
そのような法を用いた支配と密接につながっているのが、イデオロギー的レッテル貼りと道徳的冒とくの支配技術だ。国家情報院と警察を大勢動員して「労組スパイ」捜索作戦を展開し、それをメディアが大きく報じたり、労組と市民団体の会計帳簿を隅から隅まで調べて処罰すると宣言したりすることは、全て政権に従順でない人々に利敵、犯罪、腐敗というイメージをかぶせて社会から孤立させようとする支配行為だ。これが尹錫悦大統領の言う「自由」と「公正」の実状だ。
このような政治状況は人権、福祉、寛容、対話、民主主義と市民の自由という普遍的価値を全面的に脅かすという点で、進歩か保守かの次元とは質的に区別される重みを持っている。にもかかわらず、このような退行を阻止し、代案を提示する勢力やリーダーシップははっきりと見えておらず、社会全般にもどかしさと無力感が広がっているのが感じられる。
韓国社会がこの状況を克服し、歴史の次の段階へと移行するためには、現在の局面を絶対化するのではなく、長期的な歴史的周期の中の下降局面として現状を理解する必要がある。多くの世界的な知識人は民主主義、階級関係、社会運動、市民権力などの多くの面で進歩と退歩が繰り返される長期波動を発見してきた。そのような観点から、韓国社会が下降期に入った原因を分析し、再飛躍のための条件と戦略を共に考えていくことこそ、今の韓国社会の進歩・改革勢力の重要な集合的課題だ。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権後半から李明博(イ・ミョンバク)政権初期に至る時期には、進歩政治と市民社会は焦土化したという敗北感がまん延した。2006年の地方選挙、2007年の大統領選挙、2008年の総選挙で有権者は中央と地方の行政・立法権力を全て保守へと集中させたことで、韓国社会でも国民的支持基盤を持つ長期保守支配と右傾化が始まったのではないかという分析もなされた。
しかし、2008年のろうそく集会は転換の決定的な契機となった。その後、数多くの市民共同体と新たな社会運動が社会のあちこちに生まれたことで、新たな歴史の周期が始まった。普遍・選別福祉論争、無償給食運動、希望バス(労働組合の闘争現場へ応援にかけつけるために一般市民によって運営されたバス)、諸大学での壁新聞キャンペーンなどは、全てこの上昇期の流れの中から出てきたものだ。この過程で民主党の路線、政策、人的構成も進歩的カラーが強まった。
だから今、私たちに問われているのは、なぜ2016~17年のろうそくデモと弾劾は新たな時代の幕開けではなく、一時代の終わりを意味するようになったのかだ。文在寅(ムン・ジェイン)政権時代には右翼の激しい逆攻勢ばかりが相次ぎ、進歩的な市民社会はフェミニズム運動を除けば概して無気力だった。文在寅政権と共に民主党は民意から徐々に遠ざかり、結局は李明博、朴槿恵(パク・クネ)両政権にも劣る勢力への政権交代を許した。
このような様々な面でいま、変化はみられるのか。尹錫悦政権に対する代案なきうっ憤ばかりがたまっていく間に、私たちはもしかしたら2016年へと逆戻りしてしまっているのかもしれない。そのような回帰ではなく、新たな歴史的上昇期を開始し推し進めること。これこそ尹錫悦政権の残りの4年間の私たちの課題だ。
シン・ジヌク|中央大学社会学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )