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[寄稿]韓国の「政治の司法化」と「社会の司法化」

登録:2022-09-07 06:44 修正:2022-09-09 08:19
イム・ジェソン|法務法人ヘマル弁護士
与党「国民の力」のイ・ジュンソク前代表が提起した党非常対策委員会の効力停止仮処分申立てを裁判所が一部認めた先月26日、ソウル汝矣島にある「国民の力」非常対策委員会委員長室の前で記者たちが慌ただしく動いている=共同取材写真//ハンギョレ新聞社

 激しい政治的な争点に対する裁判所の積極的な判断が出るたびに言及される概念が「政治の司法化」だ。「大韓民国は司法の過剰支配を受けている。(…)政治の司法化が危険水位を越えた」。最近の裁判所による与党「国民の力」非常対策委員長の職務執行停止の仮処分決定に対する批判のように聞こえるが、そうではない。2020年12月に裁判所が尹錫悦(ユン・ソクヨル)元検察総長の懲戒処分は違法だと判断した直後に出た現野党「共に民主党」のイ・ナギョン元代表の発言だった。

 与党も野党も、自分たちが推進する手続きが裁判所によって止められた時、政治の司法化に言及する。裁判所の牽制が反対勢力に向かった時は「司法の独立」だとほめたたえる。韓国社会で本格的に議論されるようになってから20年にもなった政治の司法化の概念は、このように道具としてのみ活用されたため、厳密な分析も代案に関する議論も浅い。概念から始めてみよう。

 政治の司法化に対する伝統的な定義はこうだ。「国家の主要な政策が司法府によって決まる傾向」。選出された代議機関が判断しなければならない政策的問題を、少数の司法エリートの判断に過度に依存することは、民主主義の原則に反するということが要諦だ。憲法裁判所は2004年、大統領の主要公約であり与野党の合意で国会を通過した行政首都移転関連法を、粗悪な法論理に基づき違憲と判断した。行政府と立法府が合意して決めた重要な案が、わずか9人の法律家によって無力化された事件。政治の司法化が韓国社会で大衆化したきっかけだった。

 用語が広く使われ、政治的争点に対する裁判所の判断すべてを政治の司法化だと批判する誤った傾向が生じた。最近の事例だけをみても、検察総長の懲戒処分に対する裁判所の判断は政策に対する判断では全くないにもかかわらず、政治の司法化というレッテルが貼られた。今回の「国民の力」の仮処分決定も同じだ。裁判所は、憲法上自律性が保障された大学をはじめとする様々な結社の内部問題に対する判断を行ってきた。結社が政党だからといって、すなわち、内容(政策)ではなく主体(政治家、政党)のために「裁判官が政治をする」と批判することはできない。

 政治の司法化の概念がこのよう緩く使われているため、批判も粗雑だ。「司法自制論」が言及されているが、見当違いだ。司法自制論は、国防や外交など高度な政治的決断について、司法的判断は自制されなければならないという理論にすぎない。政党は、該当事項自体がない。結論だけをみれば司法府は判断すべきでなかったということだが、立法や行政とは違い、定められた期間中に担当した事件を判断することが司法府の宿命であり美徳だ。自制論が活性化されれば、あたかも検察の起訴便宜主義のように、裁判所が判断の有無や時期を恣意的に選択できるようになり、司法の権限はむしろ拡大するだろう。

 「国民の力」の仮処分決定をみて、多くの人たちが感じた驚きの本質は、選出されていない権力(司法府)が国会に代って政策を作るからではなかった。与党の指導体制が裁判所の刃の先に置かれることになった状況が見慣れないものだったからだ。注目し、分析しなければならない対象は、裁判所や国会ではなく、すべての紛争を事件化し裁判官に捧げる社会だ。

 スウェーデンの政治学者トルビョルン・バリンデルは1990年代後半、政治の司法化の概念を広げる必要があると指摘した。政党や利益団体などが目標達成の手段として司法的手続きに依存する傾向が強まり、有罪・無罪の判断や権利関係の存否を問う司法的決定方式が、裁判所を越えて他の領域に拡散する現象をとらえ、これを「広い意味での政治の司法化」と命名した。「社会の司法化」と呼ぶほうがより正確だ。検察総長や与党代表のような人たちの権力闘争から、有名芸能人の美術作品が代作かどうかの判定まで、すべての争点が裁判所で最終判断される私たちの現実について、政治を越え社会まで司法化されたという評価は言い過ぎではない。

 「紛争解決は司法府の役割であり、それをすることの何が問題なのか」という反問は可能だ。裁判所が最後の砦ではなく苦情センターになる瞬間に生じる多くの問題のうち、一つだけ指摘するならば、社会の他の領域が萎縮することだ。裁判所は犯罪者を処罰することが可能なだけであり、被害者を支援したり、犯罪で破壊された共同体を修復することはできない。司法化された社会では、強い処罰ばかりに関心があるにすぎない。対立は告訴や告発につながり、検察と裁判所だけが正義の審判者として屹立する。今後、社会の司法化をどう分析し対応するのかについての議論が必要だ。

//ハンギョレ新聞社

イム・ジェソン|法務法人ヘマル弁護士 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1057794.html韓国語原文入力:2022-09-07 02:08
訳M.S

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