最近、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の支持率下落とこれを巡る政界とマスコミの動きを見て、ふと「渦巻型構造の韓国政治」理論を思い出した。米国の政治学者、グレゴリー・ヘンダーソンは「韓国は高度の中央集権を持続した結果、原子化された個人が作る渦巻、すなわち強力な上昇気流を発生させた」と書いた。すべてが権力の上層に向かってそれぞれ突進する巨大な渦巻の群像として韓国政治を描写したのだ。
かなり前の分析だが、今でも間違っていないと思う。大統領選挙という上昇の渦巻が一度過ぎ去ったが、依然として皆その中に閉じ込められている。渦巻の上に上がるために、争いをしている最中には、皆頂点だけを見据える。渦巻きの頂点がすべてを手に入れ、すべてのことをやり遂げられるように見えるかもしれないが、実際はそうではない。
小倉紀蔵は『韓国は一個の哲学である―「理」と「気」の社会システム』で、上昇志向の韓国社会は人々が道徳をめぐる争奪戦を繰り広げる一個の巨大な劇場だと書いた。儒教的名分を掲げて、上を目指し続ける権力争奪戦の姿を正確に把握した。遠くは朝鮮の党争、近くは「死に物狂い」の陣営対決まですべて同じルーツを持っている。白黒論理に基づいた巨大な渦巻の中に私たちは閉じ込められている。
最近、大きな壁にぶつかっている尹大統領に苦言と泣訴、批判が殺到しているが、それらが本質的な解決策なのかは疑問だ。大統領が変わればすべての問題が解決するだろうか。そもそも、大統領は変わることができるだろうか。少し変わってよくなったとしても、根本的な解決につながるだろうか。大統領たちはなぜこのように毎回嘆かわしい姿になってしまうのだろうか。
まず、尹大統領が今の難関を克服できるだろうか。部分的には可能かもしれない。「初心」に返り、切歯腐心すれば、しばらくは支持率が回復し、安定を取り戻せるだろう。20%台の支持率は極めて異常だ。しかし、難局はいつでも再び訪れる可能性があり、任期後半になるほどその可能性は高くなる。
尹大統領の最大値は、李明博(イ・ミョンバク)元大統領をベンチマーキングする程度ではないかと思う。李元大統領は任期初めに危険な時、大統領府でデモ隊の「朝露」の歌を聞きながら大いに反省したという、見え透いた反省ショーを見せた。刀を振り回していた尹大統領が老獪な李元大統領の変身を真似できれば幸いだ。そんな李元大統領も任期末には惨めな姿になり、政権が野党の手に渡るところだった。
巨大な渦巻型政治構造で、皆が尹大統領ばかりを見ているが、重要なのはこの渦巻の構造を客観的に見ることだ。渦巻に閉じ込められ、頂点だけを見上げて騒ぐのではなく、渦巻そのものを見つめ直す必要がある。その無謀さ、非生産性、激しさ、虚しさを見抜かなければならない。
無限ループの渦巻構造では頂点の大統領さえも一人でできることがあまりない。支持率急落の原因は多数だが、国民の力のイ・ジュンソク前代表を作戦のように追い出す過程で露呈した尹大統領の独断、無謀さ、排他性も一役買った。要路に布陣している検察出身と側近だけで国政を率いるのは不可能だ。
難局を共に解決する人材と勢力を政権勢力内外で幅広く探さなければならない。野党ともある程度協力しなければならない。競争関係にあっても、最小限の協力基盤は整えるべきだ。
尹大統領が大統領府を捨てて龍山(ヨンサン)への移転を決断したように、今の渦巻型政治構造に決定的な亀裂を入れるという覚悟で臨まなければならない。大統領が変わって国政をうまく遂行することも重要だが、政治環境そのものを変えることも非常に重要だ。足元の火ではないからとして、中長期課題に後回しにしてはならない。そうすれば、大統領さえその構造に閉じ込められて枯れていく。
今すぐできることの一つが首相国会推薦制だ。政府組織法と国会法の改正で実現できる。尹大統領は大統領選挙当時、「責任長官」という奇怪な造語を掲げて責任首相制の導入を回避した。「私がうまくやればいいのだから、責任首相なんて要らない」と思ったかもしれない。ところが一人でうまくやるのは非常に難しく、うまくやったとしても難しいのが今の構造だ。責任首相制を与野党がともに推進し、行き詰まった渦巻型構造に風穴を開ける必要がある。
改憲問題は、再選可能な4年任期の分権型大統領制に進むためには、国民的合意に向けた様々な方法を模索しなければならない。先の大統領選挙でも改憲の際、地方選挙と大統領選挙に合わせるために、大統領任期の短縮問題が提起されたが、言葉のように容易ではない。百年大計として長期的な政治日程を熟考しなければならない。
帝王的大統領制に象徴される消耗的な渦巻構造を解決する主体は、その頂点にいる人ではなく、渦の中にいる私たち皆だ。その渦巻から抜け出す特段の決心、決別する決心を皆がしなければならない。与野党はもとより、国民が一丸とならなければならない。
その渦巻は弱肉強食、泥仕合、二重基準(ダブルスタンダード)、民生無視、巨大両党の独占、陣営対決の根源だ。渦巻を壊し、皆が共にする共存の海、共存の地にしなければならない。