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[徐京植コラム] 「人生の秋」を迎えている一人の在日同胞として

登録:2021-09-11 06:29 修正:2021-09-11 07:16
意に反して疎遠になってしまった人のことを不意に思い出すと、その間に20年、30年という長い時間が過ぎ去ったことに気付く。「仕方がなかった」「どうにもできなかった」などと、見えない何かに向かって弁明している自分がいる。何かを成し遂げたという達成感はなく、むしろ積み重ねてきた失敗、過誤、罪といったものの記憶ばかりが胸の内に積み重なる。初老期から老年期へと移行するということはこういうことなのだろうか。
イラスト:Jaewoogy.com//ハンギョレ新聞社

 書くべきことが多すぎる!――これが私の現在の偽らざる心境である。

 日本ではいま「自宅療養」という美名のもと、入院することもできず放置されている人々の数が全国で13万5千人あまりに達している(9月1日時点)。破滅的な医療崩壊が進行中である。

 そんな中、菅首相は昨日(9月3日)、与党自民党の総裁選不出馬、つまり事実上の首相退陣を表明した。安倍総理の後を継いで1年間、理不尽な専横を重ね、新型コロナに対しても迷走と無策の果てに、菅政権は退場することになった。だが、来るべき総選挙では、自民党政権が、致命的敗北を免れて生き延びる可能性が高そうだ。コロコロと「党の顔」を変え、現職総理を切り捨ててでも、なりふり構わず権力維持に固執する政権党の姿は、まるで次々に変異を繰り返しながら増殖して人間社会を脅かし続けるコロナ・ウィルスのパロディだ。

 4日前の8月31日には、米軍のアフガニスタン撤退という大きな出来事があった。「9・11」からちょうど20年が経ったのだ。この20年間で数十万の人命とともに、実に多くのものが失われた。イラク戦争勃発から(エドワード・サイードの死からも)18年が経った。イラクという国家は「大量破壊兵器を隠している」「アルカイダとつながっている」という、のちに事実無根と判明した嫌疑によって米英連合軍はじめとする有志連合の攻撃を受け、事実上消滅した。その混乱の中から「イスラム国」などの武装組織が台頭し、シリアも破壊され無数の難民が流出した。この無益で暴力的な20年間の後に、今回の米軍アフガニスタン撤退にともなう大混乱によってさらに多くの人命が失われるだろう。

 このことの他にも、ベラルーシ、ミャンマー、タイなど、世界各地で民主化を求める市民の平和的運動に対するあからさまな弾圧が続いている。

ヨーロッパ史研究の碩学ホイジンガの名著『中世の秋』は、黒死病の大流行や100年戦争の時代相を描き、そこから逆説的に生み出された珠玉のようなフランドル派の芸術を論じた名著である。私の若い日からの愛読者だ。ところで、この書名の「秋」という日本語訳は、原文どおりに訳せば「凋落」ないし「衰退」の意である。一つの国家や民族のそれにとどまらず、人間社会そのものの「凋落」「衰退」である。これは中世末期ヨーロッパの話だが、人間の愚かさと無力さが、現在ほど露呈された時代がかつてあっただろうか?そのことを痛感させるのは、「地球環境破壊」という人類の自殺行為に歯止めがかからないことだ。今年も日本は異常気象に見舞われている。私の住む地方では、真夏というのに冷たい雨の日が1週間以上も続いている。「もう秋が来ましたね」と住民たちが不安そうに言い交わしている。

 「現代」という時代は、二度の世界大戦や「ホロコースト」をはじめとする巨大な暴力とともにあった。私たちはみな「暴力の時代」の落とし子なのだ。第二次大戦後には、「進歩」や「平和」といった価値にかすかな希望を繋ごうとする思想的営みがあった。だが、新自由主義が全世界を席巻する局面を迎えて、そのような営みは濁流に押し流され、ジャングルの論理(弱肉強食)が凱歌を挙げている。私たちは、暴力と縁の切れないまま「秋」を迎えているのだ。 

 世界は問題だらけである。書くべきことが多すぎる!そこで今回はむしろ、残された紙数で、韓国の皆さんに向けて、やや私的な報告をすることをお許しいただきたい。

 今までに何回か触れたように、私は本年3月末に勤務先を定年退職した。年齢は満70歳になった。退職を前後する慌ただしい時期がようやく過ぎ、たしかに日々の多忙からはやや解放されたが、現在は退職前に予想していたような穏やかな日常ではなく、なんとなく胸騒ぎが収まらないような心境である。もちろん、私自身が年齢を重ねて、人生の「秋」に突入したことと無関係ではないだろう。また、コロナ禍のために行動が制限されるストレスが予想外に長く続いていることの心理的影響もあるだろうけれど。

 ぼんやりと過去を回想していると、長い間すっかり忘れていた場面や人物の記憶が、唐突に蘇る。例えばこんな時。大学の研究室から撤収した書物を整理していると、「いつか読もう」「これも勉強しなければ」という思いで手に入れたままずっと手付かずになっている書物と再会する。さりとて、今となってはそれらの書物を収納する空間もなく、今からそれらを学び直す時間と体力は残されていないことだけはわかっているのである。そういう時、自分が人生において、いかに多くのことをいい加減にしたままで生きてきたのかという刺すような痛みを覚える。

 これは一つの比喩であって、同じことはすべてのこと、とくに人との関係について言える。意に反して疎遠になってしまった人のことを不意に思い出すと、その間に20年、30年という長い時間が過ぎ去ったことに気付く。その人はもう生きていないかもしれない、などとも思う。「仕方がなかった」「どうにもできなかった」などと、見えない何かに向かって弁明している自分がいる。何かを成し遂げたという達成感はなく、むしろ積み重ねてきた失敗、過誤、罪といったものの記憶ばかりが胸の内に積み重なる。初老期から老年期へと移行するということはこういうことなのだろうか。そして、これからは「人生を終える」という大きな課題に向かっていかなければならない。

 そんな私を励ましてくれるのは、韓国の同胞との交流の記憶である。80年代末に獄中にあった兄たちが出獄し、90年代に入って私自身も祖国である韓国にしばしば往来するようになった。かつては日本の地で観念的にしか思い描くことのできなかった祖国の人々と、実際に出会うことになった。初期の著作である『私の西洋美術巡礼』と『子供の涙』が翻訳出版され、予想外のことに、日本でより多くの読者を得ることができた。私という人間に共感してくれる人たちが祖国の地に存在していたということを「発見」できたのである。これらのことは韓国内の同胞が多大な犠牲によって「民主化」を前進させてきたおかげである。私はその闘争の果実に恵まれたのだ。

 2006年から2年間、研究休暇を得てソウルで生活した経験は決定的に重要なものだった。この滞在を契機に、ここでいちいちお名前をあげることはできないが、多くの「善き韓国人」を知り合うことができた。在日同胞の多くが、このような機会に恵まれず、息苦しい日本社会の外部を知らないままに暮らしていることを、私は忘れたくない。その原因は、第一に民族分断が続いていること、そして日本社会が歴史修正主義を強めていることである。私はいま人生の「秋」を迎えて、自分がこのような根本問題の克服にこれといった貢献もできなかったという罪責感を新たにしている。韓国は半年後に大統領選挙を控えている。尊い犠牲によって繋いで来た「民主化」の歴史的脈絡を何とか保ってもらいたいと切に願う。それは現在あからさまな弾圧のもとにある全世界の兄弟姉妹に対する、またとない激励にもなる。

 私の定年退職を機に、『徐京植再読』という文集の刊行が韓国で準備されている。私としては、過分なことだと思ったが、1990年代から現在までの時代を生きて、いまや「人生の秋」を迎えている一人の在日同胞を記憶の片隅にでも止めてもらえればという思いで、この企画を受け入れることにした。

//ハンギョレ新聞社

徐京植(ソ・ギョンシク)|東京経済大学名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

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