ユン・ソクヨル前検察総長の大統領選出馬宣言の記者会見で最も突拍子もないと思ったのは、「この政権が国民から略奪しており、腐敗した利権カルテルが幅を利かせている」と語った部分だった。具体的根拠は示さなかった。実体があるなら、直ちに検察が抜本的に究明すべきだったが、「ユン・ソクヨル検察」が捜査を通じてそんなカルテルを突き止めたというニュースは聞いたことがない。世間を騒がしたチョ・グク元法務部長官に対する捜査でも、「チョ・グクファンド」は疑惑だけで「権力型不正」と言えるほどの容疑は何も明らかになっていない。チョ元長官の甥のプライベート・エクィティ・ファンド(PEF)容疑は有罪だが、(チョ元長官の妻である)チョン・ギョンシム教授と共謀は認められないという判決が先月30日に最高裁(大法院)で確定した。
「国民を略奪」、「利権カルテル」という表現を聞いて思い浮かべたのは、多くの被害者を出したファンド詐欺、「ライム・オプティマス事件」だ。ソウル中央地検は、ユン前総長が地検長だった2019年、オプティマスに対し、嫌疑なしの処分を下した。最高検察庁反腐敗部長出身のユン・ガプグン弁護士はライムロビーの疑いで拘束され、懲役3年を言い渡された。ユン弁護士の容疑はユン・ソクヨル総長(当時)に直接報告されたが、捜査には数カ月間進展がなかった。ユン前総長は国民を略奪する利権カルテルにどれほど厳正に対応してきたのか、自ら省みるべきだ。
「ユン・ソクヨル検察」は、権力型腐敗事件よりも「脱原発」政策やキム・ハグィ元法務部次官の緊急出国禁止の過程を狙った捜査により力を入れた(月城原発を集中監査し、検察に資料を渡したチェ・ジェヒョン監査院長も事実上大統領選挙出馬への意志を示し、辞任した。緊急出国禁止過程の手続き違反は過去にも類似事例が多いという「文化放送」の報道が最近出た)。総長在職時に主導した捜査の政治的意図が大統領選出馬によって疑われる可能性があるという指摘に対し、ユン前総長は「原則と常識に基づいて」捜査を行ったと答えた。しかし、それは本人の主観的な評価に過ぎない。捜査機関の捜査結果は最終結論ではなく、司法府の3審裁判を通じて客観的に判断されるべきというのが憲法が定めた司法秩序だ。その司法手続きはまだ行われており、最終的な判断に至るまではかなりの時間を要する。これは検察総長が退職後、直ちに選挙に飛び込んではならないもう一つの理由だ。
司法的判断にかかわらず、検察総長が疑惑の捜査で政局をかき乱し、その成果ともいうべき特定の陣営の支持率をもとに、大統領選候補になること自体が、政治中立の最小限の外皮までも脱ぎ捨てる行為だ。この悪い前例により、今後、検察の捜査には誰かの政界進出のための足掛かりではないかという疑念が付きまとうことになった。
このように検察総長の大統領選挙への出馬が「検察の中立性」を損ねるという指摘をユン前総長も認めた。自ら日本の事例まで紹介し「検察の最高指揮者である総長が選出職に出ない慣行は意味があると思う」と述べた。その一方で「絶対的な原則ではない」とし、「特別な場合には国民が判断する問題」だとして、批判をかわした。
例外のない原則はないが、原則を破って特別な例外として認められるためには、説得力のある論理と根拠が必要だ。これが常識だ。しかし、ユン前総長は政治中立の原則が損なわれても、やむを得ず大統領選挙に出馬しなければならない理由を明確に説明できなかった。彼は「法治と常識を立て直すべきという国民の期待と希望」を出馬の根拠に挙げたが、彼の出馬自体が検察の中立性という法治と常識を崩す二律背反をどうするのか。政治と距離を置くことで、検察の中立性を守らなければならないという多くの国民の望みはどうなるのか。さらに「現時点でなぜユン・ソクヨルが大統領になるべきなのか」という質問に対し、「私でなければだめだ、ということは絶対にない」と答えるのを見て、二の句が告げなかった。ならば、一体なぜ、命のように考えるという検察の中立という原則を損なってまで、大統領選挙に出馬するというのか。 彼の出馬の弁を聞く限り、明確な未来ビジョンも、自分がそれを成し遂げる適任者だという説明もなく、ひたすら検察権を活用して築いた支持率だけに頼っているようだ。ユン前総長は「多数決があればすべてのことが解決するという哲学には同意できない」と述べた。いくら多数が望んでも原則を捨ててはならないという意味なら同意する。だが、支持率を口実に、検察の政治中立の原則に背いた彼の選択がまさにそのような哲学ではないか。
ユン前総長は大統領選挙出馬記者会見を準備していた先週末、近い後輩検事たちに電話し、「人事に動揺するな」と激励したという。政治家になった状況で、特定の検事たちを気に掛けることがいかなる意味なのか、知らなかったはずがない。万が一、彼が大統領になれば、検察との関係がどうなるか、検察がどのように動くか、見当がつく。こうなると、ユン前総長に検察の中立性は必要に応じて掲げるトリックに過ぎず、そもそも最善を尽くして守るべき原則ではなかったのではないかという、合理的な疑問に至る。
29日、梅軒尹奉吉(ユン・ボンギル)義士記念館では、支持率に酔って原則を投げ出したある「検察主義者」が政治的中立を失い、沈没する検察の未来のビジョンを宣布した。彼が成功しようが失敗しようが、検察の政治中立は死亡する運命であることを苦々しく予感せざるを得ない曇りの午後だった。