日本の新聞や放送を見ると、多くの社会問題の背景に少子化があるという印象を受ける時が多い。介護労働の現場に投じるロボットが開発され、移民は受け入れないとしながらも、外国人人材導入拡大案が推進されている。保険会社では、営業職員の業務負担を減らすために人工知能(AI)を活用する。すべて少子化による労働力不足のために起きる現象だ。
日本政府も少子化問題を解決しようと相当な努力を傾けている。社会的に重要な特定問題に対処する長官を置く制度である「内閣府特命担当大臣」の一つとして2005年から少子化・男女共同参画担当相が任命され始めた。2007年からは少子化問題だけを担当する「少子化対策担当相」を置き始めた。
日常生活でも少子化問題を解決しようとする日本政府の努力を感じることができる。公的医療保険に加入しているならば、普通は中学生までの子どもたちの医療費は無料だ。経済的に暮らし向きが苦しい家庭の子どもが重病にかかったとしても、病院代のために募金運動を行わなければならない事態は基本的には発生し難い。
韓国のアパートに該当する日本の“マンション”には遊び場のない場合が多いが、地域ごとに乳児の室内遊び場の役割をする公共施設の「児童館」がある。児童館は、施設が華麗ではないものの、夏には水遊び、秋にはハロウィン行進などいろいろ’なプログラムを運営している。日本の小児科に行った時、韓国に比べて病院施設が古く狭いと感じたが、両親の質問に時間を十分にかけて、より詳しく説明してくれるのを見て安心した記憶もある。
ただし、日本が子どもを育てる条件がとても良い国だとも言えない。都市地域の保育施設は非常に不足していて、保育園への入所を待つ児童という意味の「待機児童」問題が重要な社会問題に浮上している。母親が職場に通っていても入所が難しい場合が多いので、専業主婦が保育園に子どもを預けることは一層難しい。こうした場合、区庁に行って相談しても「とても運が良ければ入所できる」という虚しい話を聞いたりもする。
少子化問題に対処する韓国と日本の態度は大きく違うが、目につく共通点がある。良くない側の話だ。少子化問題を経済論理で眺める見方だ。人口が減れば国家競争力が落ちるので出産を奨励しなければならないという論理を展開する執権層が多い。
今年5月、自民党の加藤寛治議員は「(結婚する女性は)3人以上子どもを産んで育ててほしい。それが世の中と人々のためになる道」として「結婚しなければ子どもは生まれない。他の人が産んだ子どもたちの納めた税金で(運営される)養老院に行くことになるわけだ」とも話した。
月刊誌『新潮45』の「廃刊に近い休刊」事態を呼び起こした自民党の杉田水脈議員の文にもよく似た論理を見ることができる。彼女は「LGBT(レズビアン、ゲイ、両性愛者、トランスジェンダー)カップルのために税金を使うことが(社会的)同意を得られるか。彼らは子どもを作ることもできない。“生産性”がない」と書いた。出産すなわち生産性だという論理だ。
韓国でも先月、自由韓国党のキム・ソンテ院内代表が「出産主導成長」という発言をして厳しい批判を浴びた。子どもたちが生まれて幸せに暮らすことができる社会を作ることが最も重要でないだろうか。子どもを産まない自由もある。人は経済成長のための道具ではない。