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終わらないレバノン戦争…イスラエルの真の目標は「土地と金」

登録:2026-05-07 09:19 修正:2026-05-09 05:57
チョン・ウィギルのグローバル・パパゴ
5日、レバノン南部の村で、イスラエル軍兵士たちが戦車を走らせている/AP・聯合ニュース

チョン・ウィギルのグローバル・パパゴとは?

「パパゴ」は国際公用語のエスペラント語で「オウム」という意味です。鋭い洞察と豊富な歴史的事例を武器に、チョン・ウィギル先任記者がエスペラント語でさえずる皆さんのオウムとなり、国際ニュースの行間を分かりやすく解説します。

■何が起きているのか?

 米国・イスラエルとイランの戦争が勃発してから2日後の3月2日にレバノンに押し寄せた戦火は今も続いている。米国とイランの戦争は4月8日に停戦したが、レバノンでは2度の停戦発表にもかかわらず戦闘が続いている。イスラエルがレバノン南部を占領し続け攻撃を継続した結果、3月2日以降、2600人以上が死亡した。レバノンは1975年に内戦が勃発して以来、現在に至るまで事実上、銃声が絶えない戦場となってきた。レバノン戦争は、パレスチナ紛争が引き金となった現代中東紛争のあらゆる要素を凝縮した永遠の戦争となった。=編集者

Q.米国とイスラエルの攻撃で始まったイラン戦争が、なぜレバノンでも戦火を招き、イラン戦争の停戦にもかかわらず続いているのか。

A.イラン戦争が勃発すると、イランの同盟国であるレバノンの最大武装勢力ヒズボラが、わずか2日後の3月2日、イスラエルに向けてロケット弾とドローンを発射し参戦した。イスラエルも直ちにレバノンの首都ベイルートを爆撃する大規模な攻勢を展開した。イスラエルとヒズボラは2023年10月7日のガザ戦争勃発以降戦いを繰り広げ、2024年11月に休戦していたが、再び全面戦争に突入した。

 ガザ戦争と連動していた当時の戦争で、ヒズボラは指導者だったハサン・ナスララ師などの指導部を含め、死者4000~5000人、負傷者7000~1万3000人を出し、ドローンやミサイルなどの火力の80%が損壊するなど、1982年の創設以来最大の被害を受けた。本拠地であるレバノン南部はイスラエルに占領された。こうした被害により、何よりもレバノン内外でヒズボラの地位と影響力が萎縮し、存亡の岐路に立たされたとされる。

 2024年11月の停戦にもかかわらず、イスラエルはレバノンから撤退せず、必要に応じて攻撃を繰り返してきた。ヒズボラはイラン戦争への参戦を通じて、自らの回復力を内外に誇示する一方、イラン戦争が終結した場合の恩恵を狙っている。レバノンを米・イラン終戦交渉の議題に加えることで、中東紛争の解決策に組み込もうとする賭けであり、生存戦略だ。このようにロイター通信が内部情報筋を引用して4日付で報じている。

 イスラエルは、ガザ戦争の最中に完遂できなかったヒズボラの武装解除および排除、レバノン南部地域の占領の定着を狙っている。また、レバノン戦線を維持することで、イラン戦争の継続と拡大を図っている。

Q.レバノン紛争はいつ始まり、どのように展開したのか。

A.1975年から本格的に始まったレバノン紛争は、パレスチナ紛争の直接的な産物だ。特に、中東紛争の一因である宗派間の対立が火に油を注いだ。

 レバノンは、キリスト教徒、スンニ派およびシーア派のイスラム教徒、ドルーズ派などで構成された多民族・多宗教国家だった。冷戦の激化に伴い、宗派紛争へと発展した。キリスト教系大統領の親西側路線に対するイスラム教徒住民の抵抗により、米海兵隊が派兵された「1958年のレバノン危機」がその始まりだった。イスラエル建国によって追放されたパレスチナ難民が押し寄せ、危機は激化した。パレスチナ解放機構(PLO)が1970年、ヨルダンで政府軍との紛争の末に武力で鎮圧された「黒い9月」事件の後、レバノンに渡り、強大な武装勢力として台頭した。結局、1975年にキリスト教民兵とパレスチナ武装勢力の間で戦闘が始まり、これはキリスト教徒対イスラム教徒の内戦へと拡大した。

 これに周辺国も加勢した。イスラエルはキリスト教徒側を、シリアはイスラム教徒側をそれぞれ支援した。イランもイスラム革命後の1980年代初頭から介入し、ヒズボラの創設を直接主導した。レバノン内戦は、PLOをチュニジアに完全に追放した1990年まで続いた。その後もイスラエルによるレバノン南部占領などが続き、1982〜2000年のレバノン南部紛争、2006年のイスラエルとレバノンの戦争、2023年以降のイスラエルとヒズボラの戦争へとつながり、レバノン国内の勢力間の武力紛争も絶えなかった。

Q.なぜレバノンは中東で紛争が起きるたびに、必ず戦火が飛び火し、被害者となるのか。

A.現代中東紛争の火種であるパレスチナ紛争の直接的な影響圏にあるためだ。レバノンは地域内の国家や勢力による代理戦争の舞台となった。何よりも、イスラエルがPLOやヒズボラなどを排除するために、1970年代半ば以降、必要に応じてレバノンに侵攻し占領してきた。現在、レバノン紛争の一当事者であるヒズボラは、イスラエルによるレバノン南部占領の産物だ。シーア派武装勢力であるヒズボラは、イスラエルの占領に対抗して1982年にイランの支援で結成された後、レバノン最大の武装勢力へと成長した。

 イスラエルは1978年3月、パレスチナのゲリラが民間人を虐殺したことを受け、レバノン南部のリタニ川以南を全面占領したことを皮切りに、レバノンへの侵攻と占領を開始した。その後、イスラエルは「ガリラヤ平和作戦」と呼ばれる1982~1985年の第一次レバノン戦争、1993年7月の「責任清算作戦(Operation Accountability)」、1996年の「怒りの葡萄作戦」などの侵攻作戦を展開し、レバノン南部を占領し続けた。その過程で、1982年9月、ベイルート郊外のパレスチナ難民キャンプが設置されたシャティーラとサブラにおいて、キリスト教右派のファランヘ民兵が、イスラエル国防軍(IDF)の包囲と照明の支援を受け、約800~3500人の民間人を虐殺した。

 イスラエルは国際社会の圧力により、結局2000年5月にレバノン南部から撤退した。しかし、ヒズボラが勢力を拡大し、レバノン南部からイスラエル北部を脅かすようになったことを受け、2006年7月から1カ月にわたり、レバノンを全面的に侵攻するレバノン戦争を敢行した。この戦争でヒズボラは抵抗し続けて生き残り、イスラエルは明確な勝利を収めることなく終戦せざるを得なかった。

 悔しさを噛みしめていたイスラエルは、ガザ戦争が発生してから約1年後の2024年9月から、レバノン戦線に焦点を移し、ヒズボラの排除に注力した。9月17〜18日、レバノン全土でヒズボラ隊員のポケットベルと無線機が同時に爆発し、数十人が死亡、数千人が負傷するテロ攻撃を皮切りに、指導部の暗殺およびレバノンへの地上侵攻を敢行した。ヒズボラはイスラエルのこうした攻撃で最大の被害を受けながらも、イランとの戦争を契機に再び反撃に出たのだ。

Q.イスラエルは1970年代からレバノンへの侵攻と占領という軍事行動を繰り返している。結局、自らの政治・軍事的目標は達成できなかったのではないか。それとも別の目標があるのか。

A.半世紀にわたり繰り返されてきたイスラエルによるレバノンへの侵攻と占領は、レバノンを拠点とすPLOやヒズボラなどをせん滅すると同時に、その南部地域を緩衝地帯にしようとする目的で始まった。さらに、レバノンに親イスラエル政権の樹立も目指している。

 極右強硬派を基盤とするイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の1996年の政権掌握以降は、大イスラエル戦略が加わった。ユダヤ教の聖典である旧約聖書に登場する古代の架空のイスラエル王国の領土を実現しようという、すなわちナイル川からユーフラテス川までの領域を確保しようというもの。戦争を通じて占領したゴラン高原やヨルダン川西岸地区などを併合しようとするイスラエルは、ガザ戦争を機にその試みをさらにあらわにしている。

 イスラエルは、バッシャール・アル・アサド政権が崩壊したシリアで南部国境地域を占領しており、レバノン南部の占領も恒久化しようとする意図を見せている。現在、公式にはイスラエル北部国境から30キロメートル以内のリタニ川以南を完全な無人地帯とし、緩衝地帯にするという目標を掲げている。これはレバノン国土の約10分の1に当たる。現在は国境から5〜10キロメートルまでの「イエローライン」を引いて、完全に統制している。

 もう一つの理由は、東地中海の海上ガス田開発にある。イスラエルがガザ戦争を機にガザから住民を完全に追放して再占領する一方、レバノン南部も占領し、東地中海沿岸のガス田開発権の持分をさらに確保することを目指しているとみられる。

チョン・ウィギル|国際部先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/1257296.html韓国語原文入力:2026-05-05 20:55
訳H.J

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