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「韓日首脳の韓国人被爆慰霊碑の訪問、喜ばしい」在日団体、被爆者支援団体が歓迎

登録:2023-05-08 05:53 修正:2023-05-08 09:42
19~21日の広島G7サミットの際に推進 
「被爆者問題についても議論することを望む」
広島平和記念公園にある「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」。韓国人被爆者と韓国民団を中心に1970年に作られた慰霊碑は、広島市の反対で当初は公園の外に建てられ、1999年5月に現在の位置に移された=広島/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領と日本の岸田文雄首相が、広島平和記念公園にある「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」を訪問する意向を7日に表明し、被爆者らは歓迎の反応を示した。現職の日本の首相が韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪問するのは、1999年の小渕恵三首相(1937~2000)以来2人目。

 在日本大韓民国民団(民団)広島本部「原爆被害者対策特別委員会」の権俊五(クォン・ジュノ)副委員長はこの日、ハンギョレの電話取材で「韓国と日本の首脳が一緒に(慰霊碑を)訪問するのは非常に驚くべきことであり、喜ばしいこと」だとし、「核兵器廃絶に向けての確約もするのであれば、さらに意味がある」と述べた。韓国人被爆者を支援している「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の中谷悦子広島支部長(73)も、これに先立つハンギョレのインタビューで「広島で韓日両首脳が会い、被爆者問題について議論することを望む」と訴えた。岸田首相の「決断」により、広島の被爆者の念願が一つ実現することになったわけだ。

 岸田首相がこうした決断を下すことができたのは、自身の政治的基盤(選挙区)が、他でもない広島であるためだ。自民党内で最もリベラルな派閥(宏池会)を代表する岸田首相の最大の政治的資産は、「核兵器のない世界」を実現するという意志だといえる。そのため、19~21日に開催される主要7カ国首脳会議(G7サミット)の開催地に広島を選択した。また、世界唯一の被爆国というアイデンティティを持っている日本人側も、韓国人被爆者を追悼することについては、他の韓日間の歴史問題に比べ、抵抗を弱めることができた。

 広島平和記念公園に韓国人原爆犠牲者慰霊碑が作られたのは、1967年に遡る。被爆者と民団を中心に、広島に住む在日コリアンが、公園内に韓国人被爆者のための追悼碑を建設する計画を推進した。当初は肯定的な反応を示していた広島市は「公園内の慰霊碑建設は許容できない」という態度を示し、やむをえず1970年に慰霊碑を公園の外に建てることになった。

 その後、在日コリアンと朝鮮人の被爆の事実を記憶しようとする日本の市民社会の努力によって、慰霊碑は1999年5月に現在の場所である公園内に移された。碑文には「第二次世界大戦の終り頃、広島には約十万人の韓国人が、軍人、軍属、徴用工、動員学徒、一般市民として在住していた。1945年8月6日原爆投下により、2万余名の韓国人が一瞬にしてその尊い人命を奪われた」と記されている。広島で犠牲になった朝鮮半島出身者は3万人と推定されている。これは、広島の全犠牲者の約10%に達する規模だ。

東京/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1090816.html韓国語原文入力:2023-05-08 05:00
訳M.S

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