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「広島訪問のG7首脳、朝鮮人被爆者の声を聞いてください」

登録:2023-05-04 08:21 修正:2023-05-05 05:47
[現場]「G7サミット」広島に行く 
米国・日本が謝罪したことはない
広島の平和記念公園の近くにある「原爆ドーム」。1915年に物産陳列館として建てられたこの建物は、原爆の惨禍と平和を訴える象徴として保存され、1996年にユネスコの世界遺産に登録された=広島/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 先月26日に訪問した広島市中区の「広島平和記念資料館」には、団体で見学に来た日本の中高生と外国人観光客で足の踏み場がなかった。ここを訪問すると、今から78年前の1945年8月6日午前8時15分、米国が人類史上初めて使用した原子爆弾「リトルボーイ」の惨状を示す展示物に会うことができる。重い気持ちで入場者の後を追った。

 人類が原爆投下を通じて犯した惨状を示す広島が、ふたたび世界の人々の関心を集めることになったのは、19~21日にここで主要7カ国首脳会議(G7サミット)が予定されているためだ。広島は岸田文雄首相の選挙区に当たる場所で、日本政府は、G7首脳の資料館見学はもちろん、被爆者たちとの直接の面会を推進している。米国のバラク・オバマ大統領(当時)は7年前の2016年5月にここを訪問し、演説後に被爆者たちと非公式の短い面会の場を設けたことがある。ジョー・バイデン大統領が被爆者たちと別途面談の場を設け対話するのであれば、原爆を落とした米国大統領と被爆者の間の事実上初となる公式の面会となる。

 だが、広島で被爆した人たちのなかには、日本人だけがいたのだろうか。複雑な気持ちを抱いて首脳らが訪問する資料館を調べている間、「故郷を離れた土地で」という展示物に視線が止まった。「足を怪我した朝鮮の女性」と題した図の下に書かれた説明に注目が向いた。「原爆は国籍や民族の区別なしにすべての人々を襲った。当時広島には、朝鮮半島から来た多くの人々をはじめ、台湾や中国大陸から来た人々や日系アメリカ人たちが住んでいた。そのなかには、徴兵や徴用された人々も含まれている」

2019年4月に広島平和記念資料館は改装され「故郷を離れた土地で」という展示物が追加された。朝鮮人を含む他国の被爆者を伝える展示だが、日本の植民地支配など「加害者の省察」を入れた内容は抜けている=広島/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 すぐそばの展示物には、「韓国原爆被害者協会」の郭貴勲(クァク・ギフン)名誉会長(1924~2022)の写真と被爆の事実が簡単に記されていた。「朝鮮での徴兵実施に伴い1944年(昭和19年)9月、広島の部隊に配属されました。郭さんは爆心地から約2000メートルの地点で服務中に被爆して頭や背中にひどい火傷とけがを負いました」。韓国で生活していた郭会長は、被爆者は日本から他国に移住したとしても「被爆者はどこにいても被爆者」だと主張し、日本政府は同じように手当などを支給しなければならないと激しい法廷闘争を行い、最終的に勝訴に導いた人物だ。

 被爆という惨状を体験した人々は日本人だけではないというこの展示物は、2019年4月に資料館を改装して追加された内容だ。以前より一歩前進したことは事実だが、なぜ多くの朝鮮人・韓国人が広島で被爆しなければならなかったのかに対する説明が抜けている。日本の朝鮮に対する植民地支配やアジア侵略などの歴史的な真実と向きあい反省し省察しようとするそぶりは見いだせなかった。

 こうした日本の現実と共に生きてきた被爆者1世たちは、複雑で息苦しいという気持ちを隠さなかった。広島県朝鮮人被爆者協議会の金鎮湖(キム・ジンホ)会長(78)は「なぜ、朝鮮人が日本で米軍が投下した核爆弾の被害者にならなければならなかったのか。朝鮮が日本の植民地でなければ、こうしたみじめな結果にはならなかっただろう」と語った。「にもかかわらず、日本と米国は朝鮮人被爆者に謝罪したことはない。資料館の展示にはそのような内容は一つも入っていない」。金会長はさらに、展示されている郭会長の判決も履行されずにいることを指摘した。日本と現在も国交が結ばれていない状態にある北朝鮮が存在するためだ。金会長は「北朝鮮の被爆者は、(日本と)国交正常化されていないという理由で、これまで何の支援も受けられずにいる。反人権的な処置」だと述べた。

左から、韓国民団広島本部「原爆被害者対策特別委員会」権俊五副委員長、「広島県朝鮮人被爆者協議会」金鎮湖会長、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」中谷悦子広島支部長=広島/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 朝鮮半島は世界で日本の次に被爆者が多いところだ。韓国側は、1945年8月当時広島に住んでいた朝鮮人約8万人のうち5万人ほどが被爆にあい、そのうち3万人が死亡したと推算している。だが、正確な被害規模は現在も不明で、論議が続いている。資料消失などによって実態を把握できないためだ。広島市は、日本人被爆者の犠牲者数が約14万人で、うち朝鮮半島出身の死亡者は5000~8000人だと推計している。米国のオバマ大統領も過去の訪問で朝鮮人被害者に言及し、「数千名の朝鮮人」と表現した。それによって、朝鮮半島出身被爆者が大きな傷を負った。

広島・長崎の朝鮮半島の原爆死亡者。広島は韓国側推定で約3万人、日本側推定で5000~8000人。長崎は韓国側推定で約1万人、日本側推定で1500~2000人//ハンギョレ新聞社

 解放(日本の敗戦)後、故郷に戻れず広島に残った朝鮮人は、朝鮮人に対する「差別」と被爆者という「烙印」に加え、壮絶な「貧困」という三重苦のなか、痛恨の年月を耐えなければならなかった。被爆によって原因不明の病気に苦しむ被爆者も多かった。被爆者2世で在日本大韓民国民団広島本部「原爆被害者対策特別委員会」の権俊五(クォン・ジュノ)副委員長は、「日本が起こした戦争とはまったく関係ない朝鮮半島出身の数万人が原爆被害にあったという事実を絶対に忘れてはならない。G7首脳にもそうした事実を伝えたい」と述べた。だが、権氏は、韓国人被害者には「機会は来ないだろう」として、苦々しいと語った。「朝鮮半島出身の被爆者は、日本にとって、被害者であり加害者である二重性を示させる存在です。日本政府は(19日の面会に)参加させないでしょう」。これは、過去の経験を通じて学んだ現実でもある。オバマ大統領が広島を訪問した時も、日本人だけでなく韓国人被爆者も会わせるようにしてほしいと何度も要請したが、受けいれられなかった。

広島平和記念公園にある「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」。韓国人被爆者と在日本大韓民国民団を中心に1970年に作られた慰霊碑は、広島市の反対で当初は公園の外に建てられ、1999年5月に現在の位置に移された=広島/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 今回のG7サミットには尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領も招待された。韓国大統領の広島訪問は今回が初めてだ。尹大統領が韓日関係の中心的な懸案である強制動員被害者の賠償問題で一方的な譲歩案を提示したなか、G7サミットでも韓国人被爆者問題が排除される場合、韓日関係改善に冷や水を浴びせかねない。広島で会った人々は、7~8日にソウルで予定されている韓日首脳会談で尹大統領が「韓国人被爆者」問題を岸田首相に伝える必要があると語った。

 韓国人被爆者を支援している「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の中谷悦子広島支部長は「G7首脳が原爆の惨状を知るために朝鮮半島出身の被爆者に会うことは、ごく当然のことです。これらの人々をいない人として扱ってはなりません」と述べた。中谷氏はさらに一歩踏みだし、広島で韓国と日本の首脳が会い、被爆者問題について議論することを望むと訴えた。「ふたたびこのような歴史が繰り返されないためには、日本の直接謝罪がなければなりません。韓国と日本がともに朝鮮半島出身被爆者の実態を適切に把握することも緊急の課題です」

広島/キム・ソヨン特派員

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広島・長崎、朝鮮人被爆者が多かった理由は

 広島と長崎に朝鮮人被爆者が多かった理由は、両都市が日本の代表的な軍需都市だったためだ。

 「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会」が2010年に出した報告書「広島・長崎朝鮮人原爆被害に対する実情調査」によると、広島の朝鮮人人口は、1930年の7189人から1945年には8万4886人にまで増加した。長崎も同期間に4944人から6万1773人に増えた。

 日本は、1931年9月の満州事変と1937年7月の日中戦争の15年にわたる戦争の泥沼に陥った。その直後の1938年に国家総動員体制が構築され、翌年から本格的に朝鮮人強制動員が始まった。最終的に、1945年8月6日に広島、8月9日に長崎に原子爆弾が投下され、朝鮮人はそれぞれ3万人と1万人が死亡したと推定されている。

 米国は日本を降伏させるため、それまでは爆撃の被害をさほど受けていなかった軍需都市を原爆投下の対象にした。日本海軍の中心地だった広島には、三菱重工業広島造船所、東洋工業株式会社、広島港運株式会社などがあり、長崎には三菱長崎造船所などがあった。米軍が最終的に標的とした都市は広島・小倉・新潟・長崎だった。

広島/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1090320.html韓国語原文入力:2023-05-03 08:21
訳M.S

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