本紙の取材陣は開戦110日目を迎えたロシアのウクライナ侵略戦争の惨状を伝えるため、3月に続き2回目のウクライナ現地取材を行った。13日から2週間、ウクライナの首都キーウを中心に、ロシア軍がウクライナ人に残した深い傷痕を探る。これに先立ち、ノ・ジウォン記者とキム・ヘユン記者は3月5日から2週間ウクライナ国境地帯を取材した。
バスが満員の乗客を乗せて走る。ワルシャワ、プラハなどの欧州各国の首都からウクライナの首都キーウへと向かう「国境を越えるバス」だ。
12日午後6時30分(現地時間)、ポーランドのワルシャワ西部にあるバスターミナルを出発した57人乗りの大型バスは満席だった。57人の乗客の中で、男性は2人の赤ちゃんを含む子ども4人と年を取ったおじいさんの、合わせて6人だけだった。
ゆりかごの中の赤ちゃんは、母親や祖母と交互に目を合わせてにっこりと笑った。1歳の赤ちゃんは母親の膝に立って楽しそうだった。通路を挟んだ隣の席に座っている年上の男の子を見たり、後ろの席に座っている人を見たりして、にこにこしながら声をあげた。赤ちゃんと母親のすぐ後ろの席に座っている女性は、バスが発車するやいなやサンドイッチを一口かじった。夕食だ。その後ろに座っている年配の女性は、しっかりと旅行用の簡易枕をして早めに眠りについた。
本紙取材陣は3月に3週間にわたってウクライナ西部と国境を接するポーランドに滞在し、戦争を逃れて国境を越えるウクライナ難民の様々な話を伝えた。季節が変わり、ポーランドのワルシャワはいつの間にか暖かい日差しが降り注ぐ初夏となっていた。湿気と冷気が合わさった強力な寒さが骨まで染みた3月とは異なり、気候は暖かくなり、街を通う人々の服装と表情ははるかに軽くなっていた。
2月末に始まった戦争はすでに3カ月以上続いているが、3月末~4月初めにロシア軍が首都キーウ周辺から撤退し、東部のドンバスを中心に戦線が膠着していることで、難民の数は大幅に減少した。本紙取材陣がポーランドの現場にいた3月8日のわずか一日で14万人のウクライナ人がポーランドに入国したが、その規模は6月現在で2万人へと大幅に減った。開戦から10日現在までポーランドに入国したウクライナ避難民は述べ395万人にのぼる。彼らの中の、他地での生活に耐えられず故郷に向かう人たちが、この帰国バスの主な乗客だ。
夕刻に出発したバスは4時間走り続け、夜11時にポーランドとウクライナの国境に到着した。国境検問所前に到着したものの、鉄製のフェンスを越えて検問所の中に入れたのは15分ほど待った後だった。先に到着した複数台のバスが通関手続きを踏んでいた。バスのドアが開くと人々がどっと降りた。一部は一斉にトイレに向かい、一部はタバコを取り出した。ひんやりとした夜の空気。乗客たちは、検問所の片隅に設けられた小さなテントでボランティアが配るコーヒーやお茶を飲んだ。暗い検問所の空に満月が浮かんでいる。丸くて明るかった。
「さあ、バスに乗ってください!」
午後11時30分。運転手が散らばっている人々を呼び集めた。バスが検問所の内側に入ると、ポーランド警察がパスポートを回収していった。「ウクライナ」と書かれた青いパスポートがほとんどだった。検問所のすぐ隣では、似たような57人乗りバスだが、二階建てで車高の高いバスが同じ手続きを踏んでいた。そのバスに乗っている乗客も、ほとんどが家路につくウクライナ人たちだ。
13日午前1時。バスの中で日付けが変わった。通関手続きを終えたバスが暗闇の中で15分待つと、今度はウクライナの軍人がバスに乗り込んできてパスポートを回収していった。午前1時43分、バスは再びエンジンをかけた。バスは漆黒の闇に包まれたウクライナの夜の空気をかき分けて進んだ。(下に続く)