その後、主戦場はマリウポリなどドンバス地域に移った。戦争が第1段階である「キーウ包囲戦」を経て、第2段階の「ドンバス攻防戦」に入ったのだ。ロシア軍はアゾフ海に面した要衝地のマリウポリを1カ月近く包囲した末、3月28日、都市の大部分を占領した。しかし、2カ月近く経った5月20日になって、ようやくアゾフスタリ製鉄所で徹底抗戦していたウクライナ軍から降伏宣言を引き出した。ドンバス戦闘が膠着状態に陥ったことを受け、英国のベン・ウォレス国防相らは4月末、プーチン大統領が5月9日の「第2次世界大戦対ドイツ戦勝記念日」を契機にウクライナに全面戦争を宣言するものと予想した。しかしプーチン大統領はそのような予想に反し、戦争の正当性だけを強調した。
ドンバスで攻防を繰り返していた戦況は、5月中旬に動き出した。ロシア軍が5月24日からルハンシク州のセベロドネツクとリシチャンスクを包囲することに成功したのだ。ロシア軍は、他の地域に配置された兵力を移動させるなど戦力を集結した末、1週間でセベロドネツク市内に兵力を投入することに成功した。
だが、ロシア軍がこの都市を完全に手に入れたとしても「傷だらけの勝利」にとどまるという指摘もある。米国の戦争研究所(ISW)は先月31日、戦況分析報告書で「ロシアがセベロドネツク掌握とドンバス戦闘に集中し、ウクライナの反撃が続いているヘルソン州で弱点を露呈している」と分析した。ヘルソン州はウクライナを東西に分ける大きな河川であるドニエプル川の西側でロシアが唯一占領中の要衝地だ。ハルキウ戦線でもウクライナ軍に進撃を許した。ロシア軍がドンバスに過度に集中し、これらの地域で劣勢になったことで、今後の戦闘で大きく不利になったという指摘だ。このような点を挙げ、戦争研究所は、ロシア軍がセベロドネツクを掌握しても戦況全体には大きな影響はないという見通しを示した。ウクライナ軍がこの都市の防御にこだわっているのもそのためだと、同報告書は説明した。
一方、最近無理な戦闘で下級将校の死傷者が増え、ロシア軍の士気が大きく低下したものとみられる。英国の国防省は最近、大隊や旅団規模の部隊に所属する将校らが後方で指揮する代わりに、低い段階の戦術作戦の前面に出て、かなり大きな被害を受けたと分析した。このため、ロシア軍がルハンシク州全体を掌握した後、余勢を駆って攻撃一辺倒の作戦を続けるのは難しいとみられる。当分は占領地統制を強化し「ドンバス解放」を成果として掲げることに集中する可能性が高い。国際戦略問題研究所(IISS)のサミール・プリ先任研究員は「キーウがロシア軍の手から滑り落ちただけに、ドンバス掌握は慰めになるだろう」と話した。
両国がこの100日間、戦争の多くの分水嶺を越えたにもかかわらず、勝負を付けられなかったという事実は、今後増える犠牲と再開されるべき平和交渉に暗い影を落としている。ウクライナ政府は先月23日までにロシア軍が占領した地域を除いた残りの地域で子ども232人を含め4600人が、激しい戦闘が繰り広げられたマリウポリでは6千~2万2千人が死亡したと推定した。これを全て加えれば民間人死亡者は最大約2万7千人に達する。
ウォロディミル・ゼレンスキー大統領などウクライナ当局者たちは、平和交渉の核心要素にならざるをえない「領土問題」と関連し、ロシアに譲歩しないという立場を繰り返し表明している。彼らは交渉開始の条件として「領土状況が2月24日以前に戻ること」を掲げている。ロシアが血を流して占領した地域から自ら退く可能性は低いため、ウクライナが実力で取り戻さなければならない。
プーチン大統領もドイツとフランス(以上5月28日)、トルコ(5月30日)など主要国首脳と最近行った電話会談で、平和会談が進展しない責任をウクライナに転嫁するのにとどまった。結局、ロシアとウクライナはいずれも、軍事的にこれ以上解決策がないと判断するほど戦況が膠着状況に至らない限り、平和交渉に応じない可能性が高い。不幸にも、真剣な対話が始まるにはまだ時が熟していないようだ。苦しみと犠牲はこれからも続くだろう。