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韓国「養豚場での拷問」、28歳のネパール人青年が6カ月で死亡するまで

登録:2025-04-30 08:52 修正:2025-04-30 09:44
[ハンギョレ21]
4年待って働いた場所は「刑務所」と呼ばれた畜舎
韓国政府、暴行の通報も放置…死亡後に介入
5年間で死亡したネパール人労働者85人のうち過半数が自殺
ネパール現地メディア「カンティプル」が報じたトゥルシさんに関する記事。見出しは「EPS(雇用許可制労働者対象韓国語試験)で出国したネパールの労働者たち、韓国で拷問受ける」=カンティプルより//ハンギョレ新聞社

 人付き合いが好きだった。機嫌がいいときはよく歌を歌った。韓国語試験の試験会場で友人を作るほど、外向的な性格だった。その友人たちと韓国の地をともに踏んだ。韓国で稼いだお金で家族の面倒をみて、事業も行う計画だった。雇用許可制の期間が終了してネパールに戻るのは2026年8月だった。しかし、28歳のネパール人青年のトゥルシ・プン・マガルさん(以下、トゥルシさん)は、その計画を実現できなかった。

 2025年2月22日、全羅南道霊岩(ヨンアム)の「○畜産」で、トゥルシさんは自ら命を絶った。雇用許可制で入国してから、わずか6カ月後のことだ。同僚たちは、トゥルシさんが社長とチーム長による持続的ないじめに苦しめられていたと証言した。トゥルシさんが亡くなる前にも、多くの労働者が○畜産を去った。事業主からの暴行を受けた同社の労働者は離職し、雇用センターへの通報もあった。しかし、後続措置は取られなかった。

 2月24日、移住労働者労働組合(移住労組)が事業主に抗議するために、○畜産を訪れた。そのとき、労働者たちが飛び出してきて、怒りのこもった証言を口にした。被害証言の動画がソーシャル・ネットワーク(SNS)上で拡散し、ネパールの大手メディアでも報じられた。そのときになって初めて、事業主は彼らを解放した。雇用労働部は3月12日、○畜産を勤労者への暴行と賃金未払の疑いで家宅捜索を行った。

 ○畜産の労働者7人は3月14日、光州(クァンジュ)で「民主社会のための弁護士会(民弁)」の弁護士たちと面談した。全員がトゥルシさんの近くで過ごしたり、トゥルシさんの死を目撃したりしたネパール人労働者だ。ハンギョレ21も、通訳のチェ・イェジンさんと移住労組のウダヤ・ライ委員長の助けを得て、面談の場に同席した。同僚たちの証言を総合し、トゥルシさんの短い人生を振り返った。

全羅南道霊岩のある養豚場でいじめ被害を受けた後に命を絶ったトゥルシ・プン・マガルさん(左から2番目)が2024年12月に友人たちと木浦に遊びに行った様子=被害労働者提供//ハンギョレ新聞社

■豚3000頭を育てながら、「食事も取るな」

 トゥルシさんは、アンナプルナ・トレッキング(ネパールで最も人気のあるトレッキングルートの一つ)で有名なネパールの都市「ポカラ」出身だ。韓国語試験を受けて各種の書類を準備し、韓国に来るまでに4年かかった。トゥルシさんは明るい人だった。「人々に積極的に近づき、話も上手でした。トゥルシさんを思い出すと、笑顔が最初に浮かんできます」。トゥルシさんのネパール人の友人のティカラムさんが述べた。

 トゥルシさんは2024年8月に○畜産に入社した。豚を3000頭ほど育てる大型の養豚場だった。しかし、この会社は労働強度といじめが想像以上に激しかった。「わずか3カ月間で体重が7~8キロ減りました。メスの豚80頭をよそでは35人が担当するのに、ここでは14人で全部しました。社長は『頑張ればできる』という考えだったようです。排泄物の清掃も、他の養豚場では5時間ほどかけるのに、われわれは1時間以内に終わらせなければなりませんでした。飛び回って仕事をしました。歩けば(チーム長が)社長にすぐに報告して、ひどい目にあいました」(コゲンドゥラさん)

 いじめの中心は、社長と彼を助けるネパール人のチーム長だった。職員は、仕事をするときも常習的に呼び出され、暴言を浴びせられたり、襟首をつかまれたりした。「殴られても、何も言えませんでした。(社長が)言えないようにさせました。恥ずかしくて、互いにこのような話はしませんでした」「社長がトゥルシさんを事務室に呼び、ボードマーカーで腹を刺す動きをしました」「食事を取っていたところ、チーム長がトゥルシさんをしかりつけ、『トゥルシ、私を見ろ。食べるな』と言いました。特に理由がなくても、頻繁にそのようなことをしました」

■社長が携帯電話を調べているのに、証拠をどうやって集めるのか

 いじめは体系的に口伝えで広まった。「『新人』が来ると、既存の職員が1名ずつ立ちあがり、『社長からこんなひどい目にあった』と言わなければなりませんでした。社長はこのように恐ろしい人で、元からいた人たちは、これほどひどい目にあったが、新入には丁寧にしていると言いました」(ナベンドラさん)

 労働部は、○畜産の賃金未払いなどの労働基準法違反の状況も確認し、捜査中だ。月4回の休みのうち1回だけ休ませるようにしたり、夜間労働をさせても手当てを支払わなかったりするなどの労働者の陳述を確保した。

 トゥルシさんは会社への適応に苦しんだ。「入社して10日ほど経ったとき、トゥルシさんは『あまりにも荷が重い、この会社では働けないようだ』と言いました。その後も一回ずつ『ここからどうやって抜け出すか』『出ていけるだろうか』と言ったりしました」(ティカラムさん)

○畜産の労働者7人が3月14日、光州で「民主社会のための弁護士会(民弁)」の弁護士たちと面談している=シン・ダウン記者//ハンギョレ新聞社

 雇用許可制で韓国に来た労働者は、事業主から不当な処遇を受けた場合、事業場の変更を申請できる。しかし、具体的に被害を立証するのは、労働者の役割だ。労使の立場が対立していると、最初から申請さえ受け付けないケースが多い。

 トゥルシさんも雇用センターに電話して被害届を出したという。しかし「証拠はあるのか。そのままでは(事業場の変更は)できない」という回答を受けたという。労働管理が厳しい職場では、証拠を集めることは至難の業だ。「会社に行くときにはポケットに何が入っているのかすべて調べられ、携帯電話は最初から持たずに入れさせます」「毎日監視されていて、知人にメッセージを送ってもすぐに削除します。証拠がないのです」

 2024年10月、同僚の労働者が社長から暴行を受け、事業場を変更する事件が発生した。血を流す動画まであったが、釈然としない理由で和解が成立した。そのころ、トゥルシさんもチーム長にいじめられ、社内でチームを変更した。しかし、そこでも悪名高い「朝会」を避けることにはならなかった。社長は1時間以上の朝会を1日に3回行い、労働者のミスを叱責したりした。夕方の朝会は夜9時を過ぎての退勤後にも行われた。「仕事をする時間より朝会の時間のほうが長かった」と労働者たちは語った。

■倒れた人に「演技か」「ネパールに帰れ」と暴言

 トゥルシさんの圧迫感は、2025年2月に入ると深刻になった。事件8日前の2月14日、労働者10人あまりが1カ所に集まって被害を糾弾した。集団辞職まで議論するほどだった。事件3日前の2月19日朝には、トゥルシさんが倒れることもあった。午前4時30分から工場の出荷場に出勤して仕事をしていたところだった。トゥルシさんの意識が回復しないため、会社関係者たちは彼を病院に運んだ。同僚たちはふたたび業務に投入された。

 病院から帰ってきても、トゥルシさんの体調が回復しないため、社長は「ネパールに帰れ」「演技か」と大声でトゥルシさんを罵倒したという。「社長が『前にいた兄や姉は、倒れても1、2時間すれば体調が良くなり、すぐに働いた。おまえ(トゥルシさん)は1日休んだのに、(痛いと)演技している』と大声で言いました。そして、『ネパールに帰れ』と何度も言いました」

 トゥルシさんは怒って「わかった」と答えたようだ。「社長がトゥルシさんに『ネパールに帰るのか』と質問すると、トゥルシさんが『ここで毎日悪口を言われ、いじめられるのなら、本国に帰る』と小さな声で言いました。すぐに航空券を手配したことを覚えています」とラケシさんが語った。

 社長はトゥルシさんと何人かの労働者を連れて、午後4時ごろ木浦(モクポ)のバスターミナルに出発した。それから木浦のあるモーテルで、仁川空港行きのバスの時刻表とネパール行きの飛行機のチケットを取り出した。トゥルシさんと同僚はそれをみて気持ちを変え、「(本国に)行かせないでほしい」と頼み込んだ。

 「社長が飛行機のチケットを渡したので驚きました。そのため、『ネパールには行かない』と言いました。トゥルシさんも『ここで働く』と言いました。するとチーム長が『そんな風に謝ってはいけない。ネパールのようにひざまずいて謝ってこそ、社長は許してくれる』と言いました。そのため、その場で(土下座を)しました」(ラケシさん)

 多くの外国人労働者が極限の労働環境に耐え、帰国を先送りする。韓国の雇用許可制の競争があまりにも激しいためだ。トゥルシさんも4年待って、ようやく韓国に入国した。わずか数カ月で手ぶらに帰るわけにはいかなかった。このような外国人労働者の事情を悪用する事業主が少なくない。

 「韓国で500人募集すれば、(ネパールでは)5000人以上が試験を受けます。長く待って苦労して来たのに、すぐにそのまま帰るわけにはいきません。ここで目標を達成したいからこそ、来たのですから」とティカラムさんは述べた。

■「他の日とは違い…突然笑って仕事をしました」

 ネパールに帰ったと思っていたトゥルシさんが、午後10時20分ごろ会社に戻ってきた。驚いた友人が尋ねると、トゥルシさんは「社長が契約を解約して本国に送ろうとしたようだ。そのままここで仕事ができると言った」と答えた。

 2月21日朝、チーム長は「全員の前で謝罪しろ」とトゥルシさんに再度要求した。社長は「いい」と言ったが、トゥルシさんの顔がゆがんだ。「そのときの表情が本当に良くありませんでした。あらゆる良くない考えをしたかのようでした。心の中で何かを少し考えたかのようでした」

 その日、トゥルシさんは1日中働き続けた。いつものように同僚たちと夕食を食べ、夜10時の「夕方朝会」を終えても残業した。なぜかそのとき、トゥルシさんは笑っていた。「(もう)そんなに悔しさはなく、他の日に比べて少し笑って過ごし、表情が良かったようだった」としたうえで、「その日は他の日と違っていました。(トゥルシさんは)笑って活発に作業をしました。突然、そんな風に変わったのです」

2月24日、全羅南道霊岩の○畜産事業主が怒った労働者たちに「皆さんの意志はわかった。離職できるようにする」で明言し、被害労働者たちがそれを動画に撮っている=移住労働者労働組合提供//ハンギョレ新聞社

 2月22日土曜日、朝が明けた。ある労働者が会社の建物の近くで電話をしていて、なにげなく視線を上げた。そこにトゥルシさんがいた。すでに亡くなっていた。事務室から離れて大声を上げた。トゥルシさんが死亡した場所は、会社の建物全体のなかで、監視カメラが設置されていない数少ない場所だった。

 同僚たちにとって、トゥルシさんの選択は他人事ではなかった。「あまりに心苦しく悲しかった」として、「自分のことのように考えた」と述べた。「次は私たちではないかと悩み」ながらも、「トゥルシさんの選択まではしないと、自分に言い聞かせた」と述べた。

 彼らは○畜産を「刑務所」と呼んだ。「そこは刑務所のような場所でした。座る姿勢、目つき、話し方まで、そこで言われたとおりにしなければなりませんでした。刑務所でさえ『そのような法律はない、その中にも自分の自由がある』と考えました」とティカラムさんは語った。彼らは休憩所にいるときも、誰かドアを開ければ、いっせいに立ち上がって両手を丁寧に合わせた。長い間に訓練されたジェスチャーだった。

2月24日、全羅南道霊岩の○畜産労働者たちが事業主に強く抗議するときも、手を丁寧に合わせている。彼らは立っている姿勢や目つきまでも社長に検閲されたと言う=移住労働者労働組合提供//ハンギョレ新聞社

■外国人労働者にとっての死の土地、韓国

 労働部によると、2024年の1年間で24人の労働者が○畜産を退社した。この事業場の最大の雇用人員(40人)の60%に達する人数だ。しかし、労働部の介入はなかった。労働者たちはトゥルシさんの死後に○畜産から出ることができた。

 現地メディア「カンティプル」によると、過去5年間に韓国で死亡したネパール人は85人に達する。半数以上が自殺による死亡だが、ごく一部しか韓国社会で知られることはない。「自殺を個人的な原因として片付けたり、事業主に見つかると考えたりして、証言できません。このように知られていない自殺はもっと多いです」とウダヤ委員長が述べた。

光州=シン・ダウン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1194865.html韓国語原文入力:2025-04-29 22:11
訳M.S

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