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親が米国で産み、捨てられた赤ちゃん…医者から贈られた名は「ローガン」

登録:2023-03-28 04:29 修正:2023-03-28 09:44
[ハンギョレ21] 
親が米国に来て生んだダウン症の赤ちゃん 
21番目の染色体が1本多いだけなのに…
ハンギョレ資料写真(写真は本文とは関係がありません)//ハンギョレ新聞社

 「いち、にの、さん!いきんでください!」

 黒髪の産婦人科医が繰り返し叫ぶ。ついに膨れ上がった赤ちゃんの頭が出てきた。医者が首をずいっと回すと、赤ちゃんは両目を見開いた。医者は水色の電球状のサクション器具で赤ちゃんの口の中の羊水を吸い取った。赤ちゃんの肩が徐々に現れ、体もすっと抜けた。

 「オギャー」と力強く泣く赤ちゃんを母親の胸の上にのせると、そばにいた父親も感動で胸がいっぱいになって涙が込み上げてくる。彼は全身から湧き上がる感動が口からほとばしりはしないかと、手で口を塞いでいた。産婦人科医は胎盤が出てくると産婦の会陰部を縫い、しばらく母国語で言葉を交わして病室を出ていった。

 しばらく赤ちゃんを眺めていた2人の看護師は、意味深長な視線を交わし合った。東洋の赤ちゃんであることを考慮しても、顔と手がはっきりしていたからだ。つり上がった目じり、小さな目、離れている両目、低い鼻、平たい顔。それだけでなく、すっと伸びた一文字の手相の線が手のひらを横切っていた。一目でダウン症候群であることが分かる。

 診察を終えた小児科医は遺伝子検査を依頼した。どうやらこの子の親と深刻な会話をしなければならないようだが、病院にはきちんと通訳できる人がいなかった。仕方なくタブレットの通訳アプリを開き、親と何とかつたない会話を交わした。赤ちゃんを産むために太平洋を渡って米国までやって来たその親は、診断そのものを受け入れなかった。

超音波で確認された心臓の欠陥

 翌日、息苦しそうにしている赤ちゃんから心配な心臓音が聞こえた。急きょ行なった心臓超音波検査で先天性の心臓の欠陥が確認された。直ちに小児病院の新生児集中治療室に移送された。親はどういうわけかついて来なかった。もしかしたら、母親の状態が心配で父親も残ったのだろうか。電話をかけてみたものの、呼び出し音がむなしく響くだけだった。2日後に母親は退院した。なかなか会えなかった。

 何日たったろうか。派手な服装ではやりのブランド物のバッグを持って現れた母親は、遠くから我が子をちらりと見たかと思うと、むっつりした表情で椅子に座った。社会福祉士は母親のメンタルヘルスを心配して病院内外のカウンセリングサービスを伝えたが、母親はあらゆる支援を拒否した。1週間もたたずに遺伝子検査の結果が出た。赤ちゃんの診断名は赤ちゃんの顔と同じくらい正確だった。

 「遺伝子検査でもダウン症候群であることが確認されました」

 親は何も答えなかった。赤ちゃんをちらりと見たかと思うと、すぐに病室のドアを開けて立ち去った。おそらく一握りの希望が指と指の間からすべて落ちてゆき、耐えられなかったのだろう。医療スタッフはあえて親を追わなかった。時間という良薬が気持ちを変えるはずだと固く信じた。

 いつのまにか赤ちゃんの退院日が近づいてきていた。赤ちゃんの病室の壁にかかるホワイトボードの上の名前欄には、まだ何も書かれていなかった。その間、親は一度も赤ちゃんを見に来なかった。連絡もなしに母国に帰ったということだけが聞こえてきた。赤ちゃんは名前も付けてもらえずに親に捨てられた。かわいそうな赤ちゃんの話を聞いた医療スタッフは、みなで集まって名前を付けた。空いていた名前欄に「ローガン」と大きく書いた。ついに赤ちゃんにも名前が付いたのだ。

ダウン症の子の28%が捨てられる

 出産後、意図せず赤ちゃんと別れなければならなかった母親を何人も見てきた。ほとんどの母親が悲しみに満ちた涙を流す。何カ月も愛をもってお腹の中で育て、自身の一部となった赤ちゃん。その赤ちゃんに会った途端に別れなければならないなんて。おそらく片腕が切られたくらいの痛みなのではないか。しかし、そうではない母親もこの世には存在した。単に21番目の染色体が1本多いから、心臓に穴があるから、普通の子とは見た目が違っているから、より多くの関心と治療が必要だから、はるか遠い米国の地に赤ちゃんを置いてこつ然と姿を消した母親もいたのだ。

 1993年にフランスで発表されたある研究結果*によると、パリ市内で生まれたダウン症の赤ちゃんの28%が捨てられたという。現代の西欧ではあまり起こらないことなので、他の研究結果は見つからなかった。しかし「完璧な子」を望む親の心理を分析した専門家たちは、このことを他人指向的完璧主義と言う。完璧主義者の親は自分や他人よりも子の完璧さに執着するという**。我が子の完璧さが、他人が自分を見つめる際の尺度になると信じているからだ。

頭から離れぬ問い

 抱っこしてくれる親が消えたローガンを抱いて窓の外を眺めた。はるか西の空を真っ赤に染めて日が暮れつつあった。あの青い海を越えたその国にも日が昇り、そして沈むだろう。地球の反対側で彼らは時にローガンのことを思うだろうか。どんな気持ちで赤ちゃんを置いて去ったのだろうか。何か事情でもあったのだろうか。母国に帰ってあれほど望んだ「完璧な赤ちゃん」を産むのだろうか。自身の犯した行いが天輪に背くものだったことに気づく日が来るだろうか。ローガンを探しにまた米国にやって来るだろうか。ローガンは大きくなってから生みの親を探すだろうか。終わりのない問いで頭がいっぱいになった。

 誰も答えられない問いが涙に変わりつつあった。砂浜で輝いていた星が空に昇った夜、私が祈った数多くの願い事の中で、最も切実なのはただ一つだけだった。ローガンがこのことを一生知ることがありませんように。単なる染色体の数のせいで親に捨てられたことだけは知ることがありませんように。

ステラ・ファン|米カリフォルニア州立大学病院小児科新生児分科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

*Dumaret, A. C., and D. J. Rosset. “Trisomy 21 and abandonment. Infants born and placed for adoption in Paris.” Archives Francaises de Pediatrie 50.10 (1993): 851-857.

**Piotrowski, Konrad。“Child-oriented and partner-oriented perfectionism explain different aspects of family difficulties.” Plos one 15.8 (2020): e0236870.

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1085150.html韓国語原文入力:2023-03-26 10:26
訳D.K

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