本文に移動

「日本では済州4・3がひとつになる」…大阪で開かれた4・3犠牲者慰霊祭

登録:2019-05-02 10:39 修正:2019-05-02 15:06
昨年4・3慰霊碑を建てた統国寺で開催 
在日同胞・日本人・4・3団体など200人余りが参加
先月28日午後、在日本済州4・3犠牲者遺族会の主催で大阪市天王寺区の和気山統国寺で済州4・3事件71周年慰霊祭が開かれた//ハンギョレ新聞社

 「今、私たちの前にある済州4・3犠牲者慰霊碑は、済州4・3の記憶をよみがえらせています。私たちは慰霊碑に『記憶』『歴史』『追悼』『平和』『継承』という多くの願いを込めました。この慰霊碑が済州4・3が一つになることを象徴していると信じます」

 4月28日午後、大阪市天王寺区の和気山統国寺で行われた済州4・3事件71周年「在日本済州4・3犠牲者慰霊祭」で、オ・グァンヒョン在日本済州4・3犠牲者遺族会長は追悼の辞を通じてこのように明らかにした。日本国内の済州4・3を見つめるさまざまな見方が、この慰霊碑を通じて一つになるという意味だ。慰霊祭は在日本4・3犠牲者遺族会と済州4・3平和財団、4・3遺族会、4・3研究所、4・3道民連帯の関係者など200人余りが参加した中で行われた。

 追悼のあいさつが終わり、日帝強制占領期に舞踊家として名を馳せた崔承喜(チェ・スンヒ)の系譜を継ぐ在日同胞の朴仙美(パク・ソンミ)氏が「菩薩の舞」と済州4・3を描いた舞踊「風浪をくぐって」を披露した。歌手の任洙香(イム・スヒャン)氏の「アリラン」、在日コリアン青年ハンマウムのプンムル(民俗打楽器)公演も続いた。

大阪で行われた済州4・3事件71周年慰霊祭の参加者たちが、慰霊碑の祭壇に献花している//ハンギョレ新聞社

 大阪では1998年に初めて済州4・3慰霊祭が開かれた。その後、会館などを借りて慰霊祭を開催し、今年初めて慰霊碑が建てられた統国寺で慰霊祭を開いた。統国寺が敷地を提供したおかげで、在日本4・3犠牲者遺族会は昨年11月、済州4・3犠牲者慰霊碑をここに立てることができた。基壇には、済州島内の約170の村から持ってきた石を置いた。

 統国寺の崔無碍(チェ・ムエ)住職は「大阪には済州島出身者が多く住んでいるが、4・3と関連した歴史的評価をちゃんと受けることができなかった。『4・3を考える会』の関係者たちが慰霊碑を建てることを提案すると、その場で受け入れて統国寺で一番良い場所を提供した」と話した。

 ここで会った大阪市立大学の伊地知紀子教授は「大阪には在日済州人がたくさん集まって住んでいる。学生たちは学校のある地域の歴史を知らなければならないと思い、4・3を含め済州の歴史を教養科目として教えている。200人あまりの学生たちが授業を受けている」と話した。モミキユウイチロウさん(24・大阪市立大学文学研究科修士課程)は「大学で先輩を通じて済州4・3を知った。大学のある周辺地域の歴史として知らなければと感じ、慰霊祭に参加することになった」と話した。

大阪市天王寺区の和気山統国寺に建てられた済州4・3犠牲者慰霊碑//ハンギョレ新聞社

 済州4・3当時、日本の大阪などに密航した済州島民は少なくとも1万人を超えると推定されるほど、4・3と日本の関係は密接だと言われる。立命館大学の文京洙(ムン・ギョンス)コリア研究センター長は「植民地時代から済州島民が大阪に渡り、済州島と大阪は島民の生活圏として結ばれていたと言っても過言ではない。4・3前後の混乱期に済州島の人々が命がけで日本に渡り、その後、在日同胞社会のひとつの軸となった」と語った。

大阪/文・写真 ホ・ホジュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/892237.html韓国語原文入力:2019-05-01 19:10
訳M.C

関連記事