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[インタビュー]「『済州4・3抗争』の導火線を辿れば『3・1万歳』の精神に至る」

登録:2019-02-11 10:00 修正:2019-02-11 14:55
カトリック教済州教区のムン・チャンウ司教
カトリック済州教区3・1運動100周年記念委員長を務めるムン・チャンウ司教=ホ・ホジュン記者//ハンギョレ新聞社

 「1919年3月1日、非暴力平和運動である3・1万歳運動の精神が、解放後に済州島民の心の中にも熱く流れました。今回の委員会発足を通じて、まだ完成していない3・1万歳運動の精神を受け継いでいこうと思います。国と国の間に、地域と地域の間に、世代と世代の間に、金持ちと貧しい人たちの間に、女性と男性との間に正義が実現し、平和が成就する日を望む思いです」

 カトリック済州教区(教区長カン・ウイル司教)は先月23日、教区レベルでは全国で初めて「カトリック済州教区3・1運動100周年記念委員会」を発足させた。今月1日に会ったムン・チャンウ司教は、同委員会の委員長を務め、今年各種事業を行う。ムン司教はこれに先立ち、昨年は「カトリック済州4・3 70周年特別委員会」の委員長を務め、4・3の全国化に貢献した。

全国初の「3・1運動100周年記念委」  
昨年の「4・3 70周年」に続き委員長に  
「崔貞淑、姜平国、高守善が『万歳』を導いた」 
ミサ・宣言文・学術大会・ミュージカルなど 
 
47年「三一節記念大会」発砲事件で 
警察が“謝罪”の代わりに“弾圧”し抗争勃発

 今月6日、済州市我羅洞(アラドン)にある司教館で会ったムン司教は、独立を渇望した1919年の3・1万歳運動と、「反分断、統一運動」を目指して1947年3月1日に済州北小学校で行われた「第28周年三一節記念大会」は同じ文脈にあると強調した。

 「昨年末に4・3の70周年活動を終え、今年神聖学院(カトリック系学校)出身のチェ・ジョンスク先生についてのミュージカルを準備していたところ、47年記念大会から始まった済州4・3の精神が3・1運動と密接につながっていることを知りました」

 カトリック済州教区が全国初めて「3・1運動100周年委員会」を設置した理由だ。「日帝から解放されたが、完全な自主権を回復できないまま米軍政体制下に置かれるようにな った現実の中で、済州島民は1919年3・1運動の精神で一つになった祖国の解放と完全な独立を夢見ながら47年記念大会を開いた」とムン司教は話した。この日、集会を見物していた小学生や赤ちゃんをおぶった20代初めの若い女性ら6人が、米軍政警察の発砲で死亡した。にもかかわらず、警察は謝罪どころかむしろ集会参加者らに対する大々的な検挙令を下した。悪名高い西北青年団が済州島に押し寄せ、青年たちを無差別に捕まえ拷問するなど、済州社会が揺れ動いた。結局1948年4月3日、「弾圧なら抗争だ」と武装蜂起が起こった。

 ムン司教は「米軍政によって生き返った親日派が、民族の完全な独立と自立を要求した人々を“アカ”という柵で閉じこめ、残酷に虐殺した悲劇が済州4・3だった。朝鮮戦争でも“アカ”という名前で多くの人が無念にも殺された。戦後も自分たちが築いた既得権と政権に反対する人々を“アカ”に追いやり、残酷に弾圧してきた歴史の不当な過ちはまだ続いており、これが韓国社会を分裂させ、民族の統一を阻んでいる巨大な壁だ」と語った。

 1909年開校した 済州最初の女子校である晨星女学校は、1914年第1回卒業生として崔貞淑(チェ・ジョンスク、1902~77)、姜平国(カン・ピョングク、1900~33、済州最初の女子教師)、高守善(コ・スソン、1898~1989、済州最初の女性義士)らを輩出し、この3人は後日ソウルに留学し、「京城女子高校普済州3人衆」として3・1万歳運動の先頭に立ち、獄苦を経験した。その後も済州女性文盲退治、教育、医療、社会奉仕、文化など多方面で活動した愛国志士たちだ。

 カトリック済州教区は今年3月1日、司教座聖堂で3・1運動が持つ非暴力平和運動の精神を記念し、犠牲者の霊魂を慰める記念ミサを行う。また別の宗教関係者とも連帯し、3・1の精神を今日の済州に蘇らせる「3・1宣言文」を発表する計画だ。さらに5月には、抗日活動家であり教育者として生涯を生きた崔貞淑先生を称えるミュージカル『崔貞淑』を公演する。9月には3・1運動100周年記念学術シンポジウムを開き、崔貞淑、姜平国、高守善先生の業績にスポットを当て、当時のカトリック教会の姿を省察する時間を持つ予定だ。

 これに先立ちカトリック済州教区は昨年5月、済州4・3平和公園で「聖母の夜」行事を、10月には北小学校で「ロザリオ祈祷の夜」行事を開き、47年三一節記念大会の時のように観徳亭まで行進した。済州4・3平和財団が4・3を広めるために発行したパンフレット約3万部を全国の教会に送った。ムン司教は49年1月の「北村里大虐殺」現場で生き残った母親から、幼い頃から4・3の話を聞きながら育った。

 ムン司教は昨年の4・3行事のうちもっとも大きな意味を持つものとして、全国の司教が明洞聖堂で行った「4・3ミサ」を挙げた。彼は「今年で10周年を迎えるキム・スファン枢機卿の逝去後、社会問題をテーマにミサを行ったのは“4・3”が初めてだった。また、司教会の社会司教委員会名義で4・3の真実究明と治癒に積極的に参加し連帯するよう求める宣言文を発表したのも大きな意味がある」と振り返った。

ホ・ホジュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/religious/881549.html韓国語原文入力:2019-02-1020:26
訳M.C

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