原文入力:2011/11/18 20:10(920字)
ユ・シンジェ記者
事務室のガラス窓から3月の春の日差しが差し込んでいた。東京、北区、赤羽の5階事務室、チェ・インウォン(33)係長は眠気に耐えながらノートブックを覗き込んだ。突然ノートブックの画面がチェ氏の視界から消えた。からだが上に浮き上がった。「地震だ!」誰かが叫んだ。本箱が倒れた。天井の中の水道管が破裂したのか水があふれ出てきた。皆、倒れないように必死で机にかじりついていた。上下に揺れ動いた建物はまもなく左右に揺れた。日本生活10年目にチェ氏は歴史に残る地震に出会った。
2011年3月11日、東北大地震はソウル、麻浦(マポ)のすべてのアパートにも津波のように伝わった。50代の家政婦はテレビ画面を見て胸をかきむしった。規模9.0超大型地震の揺れの中に家政婦の一人息子もいた。他人の家の雑用をする彼女にとって息子は人生の全てであった。夫は息子が7才の時に亡くなった。中国、吉林省、ソランの田舎の村の若い未亡人にはお金が必要だった。超中(中学校)に入学した息子を寄宿舎に残して韓国に旅発った。韓国での生活は辛かった。息子だけは違う生活を送れるようにするという一念で持ちこたえた。
息子は両親と離れて過ごす他の子供たちとは違った。班長を引き受け全校で1~2番を争った。中国北京の大学に合格した。国費奨学金で日本に留学にも行った。韓国には行きたくないといった。「お母さんがそこで蔑視されたことを考えれば行きたくない」と息子は話した。息子は日本で良い職場を得た。韓国で世話して日本で出世させた息子は賢くて美しい嫁も連れてきた。それはすべての朝鮮族の夢だった。息子を考えただけでも母親は胸が一杯になる。そのような息子がいる所にぞっとするような地震が起きた。テレビ画面の中の原子力発電所から白い煙が広がり始めた。
東京/ユ・シンジェ記者 ohora@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/506141.html 訳J.S