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"福島事故は文化のせい" …日本 議会‘無責任報告書’

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/542296.html

原文入力:2012/07/12 19:14(1143字)

事故調査委、責任者特定せず
"集団主義が原因" 曖昧 結論
外信 "陳腐な弁解" 相次ぎ非難

 日本の組織には会議が多い。 最終結論を下す前‘ネマワシ’という事前協議が何度も行われ、最後の会議では大概全員一致で結論が出る。 決定は組織全体が下した以上、それによって問題が生ずれば責任は組織全体のものになる。 良く見れば和合だが、裏面を見れば誰も責任を負わない無責任構造だ。

 日本国会の福島第1原子力発電所事故調査委員会が最近作成した報告書で事故原因をこういう日本の文化のせいにしたことに対して、外国言論がもう一つの問題点を指摘していた。 事故の根本原因を‘日本に根強い慣習と文化’のせいにすることによって、責任の所在を曖昧にさせているということだ。

 米国の<ブルームバーグ>通信は8日‘不満を残した報告書’という題名の社説で、国会報告書が「誰が誤りを犯したかを特定していない」と指摘した。 報告書は事故の顛末を具体的に叙述しながら、これを‘人災’だと指摘したが、「集団主義が原因」とか、「(責任ある地位に)他の人が座っていたとしても同じ結果になった可能性が十分にある」と書いている。 通信はこれを「責任回避で陳腐な弁解」と批判した。

 ジェラルド コティス米国、コロンビア大学教授もよく似た指摘をした。 彼は去る10日付の英国<ファイナンシャルタイムズ>に載せた‘福島事故を日本文化のせいにするな’という題名の寄稿文で 「文化によって人の行動が決定されるならば、誰も責任を負わなくても良い」とし「問題は人の選択であって、その文化的背景ではない」と指摘した。

 <ファイナンシャルタイムズ>は去る8日付東京発記事でも 「旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所事故が起きた後、日本の政治家と技術者は悲劇的にも事故の原因をソ連の原子力発電所設計や運用問題と規定して、日本原子力発電所の安全性を検証しなかった」とし「他国がこのような誤りを繰り返してはならない」と強調した。

 外国言論が指摘した問題の表現は黒川清 事故調査委員会委員長が書いた英語版序文に含まれていたもので、日本語版には入っていなかった。 委員会は去る5日「東京電力と原子力発電所当局が地震および津波対策を先送りしたことが事故の根源的原因」であり、「自然災害ではなく人災」 という内容の報告書を衆議院に提出した経緯がある。

東京/チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr

原文: 訳J.S