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[朝鮮族大移住100年ルーツ] ④ 成功と失敗 朝鮮族タウン 九老(クロ)に咲いた‘チンダルレ冷麺店’

原文入力:2011/11/07 22:25(5547字)
アン・スチャン記者




←去る9月、‘チンダルレ冷麺’社長キム・スクチャ氏がお客さんに出す料理を作っている。休みなく働き続けてきたためにキム氏は膝と腰が良くないが、まだ病院に行く暇がないと言った。イ・ジョンア記者 leej@hani.co.kr


ソウルで暮らす朝鮮族の半分にあたる6万人余りが九老・衿川(クムチョン)・永登浦(ヨンドゥンポ)に住んでいる。
貧困があふれているところで珍しい成功事例が生まれた。


ソウル、九老区は100年来の‘ベッド タウン’だ。貧しい労働者は九老で疲れきった体を休める。1910年代、裕福な日本人たちが九老・永登浦に繊維工場をたてた。日本人に雇用された朝鮮人労働者は九老の畳部屋で眠った。1960・70年代、軍事政権は九老に韓国初の産業団地を造成した。農村から上京した労働者は九老の借間で眠った。九老の工場が続々と閉鎖された1980年代、古い借間は主を失うところだった。その頃、中国東北地域から朝鮮族が集まった。ソウルで最も安い居住空間であり、地下鉄に乗れば首都圏各地の仕事場に出て行ける九老区、加里峰洞(カリボンドン)に朝鮮族は居を定めた。日帝により強制移住させられた朝鮮族の子孫たちは日帝が地ならしをした九老に住んでいる。

ソウル、九老の町では朝鮮族は身づくろいで区分される。 女たちのわずかな化粧は乾いた顔の上に浮いている。耳下まで剃り上げた男たちの髪にはワックス・ゼリーのツヤがない。中国東北の農村で育った彼らの身体には化学薬品の飾りがない。素朴な姿の朝鮮族は地面を見ながら歩く。他郷暮らしの疲れる重力が彼らの肩を地面に引き寄せる。


‘チンダルレ冷麺’食堂で朝鮮族はようやく気楽になれる。この冷麺屋にこぎれいなソウルっ子は来ない。たまに来ても朝鮮族が即座に分かってジロジロ見る。こちらは朝鮮族の解放区だ。朝鮮族は目をあげて相手を真っすぐ見つめる。30坪余りの冷麺屋は互いに交わす数奇な身の上話でいつも騒々しい。彼らは冷麺を食べる前に北韓産のチャクテ(生のたらこ)の炒めもので生ビールを飲む。「韓国のたらこはたらこじゃない。食べられない。」 自尊心の強い朝鮮族はそっと隠していた声を冷麺屋で取り戻す。


去る7月に発表された行政安全部統計によれば、12万6000人余りの朝鮮族がソウルに住んでいる。九老・衿川・永登浦地域に住む朝鮮族は6万人を越える。登録外国人基準で見れば韓国居住朝鮮族(36万6000人余り)の17%がソウル南西地域に密集している。基準を滞留朝鮮族に広げればその規模はもっと増えるだろう。 (注*)


それは人口学者の統計であって、商人は流れてゆくお金で見る。しんどい労働の代価として受け取ったお金がソウル、九老でまとまって流れてゆく。貧しい朝鮮族がひしめいているところから裕福な朝鮮族が誕生する。朝鮮族を相手にする商圏が形成されたのだ。


10余年前から密集した九老の朝鮮族食堂は‘簡体字’で看板を作って掲げた。 韓国人はなかなか読めない。彼らは流れ者の韓国人のお客を強いては求めない。キム・スクチャ(57)氏はチンダルレ冷麺ととうもろこし温麺を日雇い労働で疲れた同胞たちに出す。「加里峰洞だけでも…」‘チンダルレ冷麺’社長キム氏が指を折って数えた。「食堂が130店余り、カラオケは30店余り、食品店は10店余り、マッサージショップは4,5店ありますね。」キム氏は加里峰洞の朝鮮族商人が主軸となっている‘在韓同胞連合総会’の会長でもある。


一日の売上が数百万ウォンの朝鮮族食堂の社長は韓国居住朝鮮族の中で上流層に属する。ただしその割合で見ると朝鮮族の成功は珍しい。週末には朝鮮族の流動人口が数万人と推定される加里峰洞で朝鮮族の社長は百数十人だ。彼らは韓国国籍を取得している。そうでなければ事業者登録・税金納付などに困難が多い。「一旦‘乗り越えれば’韓国で豊かに暮らすという覚悟をして、あくせく働きますね。」 韓国国籍を得ることをキム氏は「乗り越える」と表現した。キム氏の60代の夫、30代の娘、20代の息子まで全員が乗り越えた。「国籍のない人々は無計画にお金たくさん儲けようという雲をつかむようなことを考えます。」(注**)数少ない成功を手にするためには国籍のほかに必要なものがもっとある。「元手がなければできないですね。」権利金・保証金・流動資金など5000万ウォンはなければ加里峰洞(カリボンドン)に30坪の食堂を出すことはできない。月に80万~150万ウォンを受け取り日雇い雑夫として仕事をする朝鮮族が将来開業を願うなら「夫婦が一緒に稼がなければならない」とキム氏は話した。 (注***)


中国から持ってきた元手を加えて冷麺食堂を開き、あくせく仕事をして‘金持ち’になった夫婦は一日5千ウォンの朝鮮族の憩いの場も営んでいる。


夫の月給は生計費に使い、妻の月給をそっくり貯蓄すれば3~5年後に5000万ウォンを貯めることができる。しかし、訪問就職(H-2)ビザの最大滞留期間は4年10ヶ月だ。お金を貯めても韓国で店を開くには時間がギリギリだ。彼らはお金を持って中国に戻り、住む家を用意した後に再び韓国に出てくる。中国にいればちょびちょび月給を払う働き口はない。 商売をするのも容易でない。東北の朝鮮族の集団居住地域が崩壊し‘朝鮮族経済圏’は沿海・内陸の大都市に移った。中国の大都市での生活は農村出身の朝鮮族にとってはまた別の挑戦だ。


これについて中国北京中央民族大パク・グァンソン教授は「居住地(中国)と経済活動地域(韓国)の分離が固定化され、朝鮮族が伝統的農民集団から超国籍市民集団に急速に変貌している」と分析した。韓国で金を稼ぎ帰国して、韓国行ビザをまた受け取るまでは失業状態に入る‘超国籍労働者(または失業者)’に変貌しているということだ。


移住労働の大枠から飛び出し定着しようとするならキム氏のような幸運が必要だ。1997年に韓国に来たキム氏の元手は中国にあった。彼女は大学卒業後、中国の雑誌社・出版社などで働いたエリートだ。夫はハルビン医大を出て大学の研究所で仕事をした。「中国でも中上流として暮らしていました。他の人より2~3倍は稼いでいたので。」キム氏は韓国に来て2ヶ月で食堂を開いた。中国にある財産を処分したことが助けになった。


‘チンダルレ冷麺’の向い側のまた別の朝鮮族食堂は去る1年余りの間に二三度看板と主人が変わった。「10人に3人は商いをしていながら無駄遣いをしますね。」無駄遣いはすまいとキム氏はあくせく働く。年中無休で食堂を開ける。従業員が夜11時に退勤してもキム氏は夜1時まで翌日に使う冷麺の出し汁を作る。進んで働き中毒になったキム氏のおかげで、その家族は定着を越え繁盛を目論んでいる。 韓国で名門私立大を卒業した20代の息子はデザイナーとして働いている。30代の二人の娘は専門職・事務職の韓国人と結婚した。「私たちの婿はいいかげんでなくきちんとしています。同じ年頃の同胞(朝鮮族)たちとは水準が違います。」(注****)


憩いの場の朝鮮族は日雇い仕事をし、運の悪い日は一日中ぼんやりと座っている。何年か働きお金を貯めて商売しても「10人に3人は無駄遣いをします」


キム氏は社会福祉施設を作って韓国に定着するつもりだ。「韓国では志高く誰彼なしにたくさん奉仕するでしょう。朝鮮族もそういうことを習わなくちゃ。」食堂のそばに建物を借り朝鮮族の憩いの場を用意したのも奉仕の一つだ。大部分の朝鮮族は韓国に来る時に20万~30万ウォンを持ってくる。その金では旅館代も負担になる。一日5000ウォンの憩いの場はたびたび長期投宿者の住居となる。


今、加里峰洞の憩いの場には20人余りの朝鮮族がいる。彼らは毎日人材市場に出て行き日雇い仕事をする。運が悪ければ一日中憩いの場の闇の中にぼんやりと埋もれていなければならない。憩いの場の冷蔵庫には中国香料とツナ缶詰とキムチの樽が入っている。棚の上には彼らが使い古した旅行カバンがある。いつでも出ていける準備を枕元に整え彼らは疲れきって眠りにつく。(注 *****)

アン・スチャン記者、アン・セヒ(世明大ジャーナリズムスクール)、イ・サンウォン(慶北大経営学部)インターン記者 ahn@hani.co.kr


就職ビザ30万人枠に遮られ待機者 長蛇の列


* 国内滞留朝鮮族45万余人の内、29万人余りが訪問就職(H-2)ビザで入国した。最大4年10ヶ月間、韓国で仕事が出来る訪問就職ビザには‘人員制限’がある。30万人余りが上限線だが、規模をこれ以上は増やさないというのが政府の方針だ。現在、中国には6万~7万人の朝鮮族が訪問就職ビザ申請結果を待っている。訪問就職ビザ滞留者29万人余りが中国に帰れば初めて彼らの番が回ってくる。一旦帰国すれば再びビザを受け取れる確率が高くないため、そのまま居座る不法滞留者は継続的に増えている。専門職・企業家などは在外同胞(F-4)ビザを受け取り韓国人と同じ法的身分を享受できるが、それに該当するのはごく少数だけだ。


←朝鮮族食堂が立ち並んだソウル、九老区、加里峰市場周辺通り.


韓国では日雇い賃金“それでも中国に行けば金持ち”


** キム・ジェヨン(仮名・54)氏は1980年代に韓国で鹿茸・熊胆粉を売った経験がある。その頃は仕事がなくて休む日がもっと多かったが、「儲かればあっという間に」と自信ありげに話した。経済的地位に対する彼らの‘自意識’はわかりにくい。韓国の日雇い賃金を受け取る彼らは自ら中国の富裕層を自任した。実際に韓国の金100万ウォンあれば中国の教授の月級以上だ。キム氏は「こんな暮らしでも中国に行けば金持ち」と話した。しかし、彼らが中国に行って金持ちになりすます基盤が弱まっている。加里峰洞の憩いの場の管理を受け持っているチ・テリム(50)氏は去る5月に故郷の延吉(ヨンギル)に行ってきた。「朝鮮族はいなくて漢族ばかりだったよ」と彼は話した。延吉は中国、吉林省延辺(ヨンビョン)朝鮮族自治州の首都だ。「同胞がいないので延吉(ヨンギル)で商売はできない」とチ氏は話した。彼は延吉でなくソウルで店を開くつもりだ。金を稼ぐために、稼いだ金で商売をするために朝鮮族は加里峰洞に更に来る。


共稼ぎでなければ貧困層生活も難しい


*** 建設現場を転々とするチュ・ヒョンシク(仮名・48)氏は「仕事がないから職場に勤めなければならない」と話した。朝鮮族にとって‘現場’は工事現場、‘職場’は工場を意味する。長く持っても4年10ヶ月のビザを受け取った朝鮮族に安定的な働き口を与える雇い主はいない。憩いの場で会い身上を把握した朝鮮族21人(男11人、女10人)は建設日雇い(7人),食堂補助(4人),家政婦(3人),看病人(2人),工場非正規職(1人)等として仕事をしていた。無職者も3人いた。賃金水準を考慮する時、共稼ぎでなければ貧困層の生活さえ維持が難しい。 子供の養育を犠牲にしても朝鮮族夫婦は一緒に韓国に出てこようと努める。


←‘在韓同胞総連合会’が運営するソウル、九老区、加里峰洞の朝鮮族憩いの場.

差別待遇に“仕事に出かける時は自尊心を引出しにしまう”


**** “私たち中国人は….”インタビューに応じた朝鮮族はたびたびそのように話を切り出した。中国より経済・文化的に優れた韓国に定着したいという朝鮮族も少なくなかったが、何人かの朝鮮族は率直な対話で寂しい感情を表わした。彼らは「中国人がどれほど豊かに暮らしているかも知らない人々」、「家もないくせに中国に家のある私たちを無視する人々」と韓国人を評した。その背景には人格冒とくがある。「仕事に出かけるときは自尊心は引出しにしまって出て行く」ソウル朝鮮族教会憩いの場の女性たちが話した。教会の憩いの場のヤン・メヨン伝導師は「仕事場に出て行けば私の接待を受けられないので、憩い場に戻れば‘歩く爆弾’になる」と話した。自身にひどい処遇をする韓国人に対する積もった怒りを朝鮮族女性はお互いに吐く。憩い場の壁には‘共同体宿舎規則’が貼られている。「憩い場でけんかをした人は全員退所」と記されている。


看病人の半分を占める…“男たちが恥ずかしいことを要求”


***** 看病人として働くキム・スクヒ(仮名・50代)氏は「韓国の男は恥ずかしくないのか」と尋ねた。「多くの男性(患者)が自慰をしてくれと言う」と彼女は話した。それに比べれば痰を取り大便のおむつを換え全身入浴させることはたいしたことでない。自身を奴隷として働かせようとする韓国人らの悪口を言いながら朝鮮族看病人女性は病院の隈で貧しく寒々しい食事をする。朝鮮族でなければ、看病人・食堂補助・家政婦など‘底辺の世話労働’を自ら希望する人はいない。彼女たちは最も醜かったり弱かったりする助けが切実に必要な韓国人たちを相手にしている。すでに国内の看病人の半数以上が朝鮮族だ。2010年3月現在‘全国看病人協会’に登録された10万7000人余りの看病人の内、60~70%が朝鮮族だ。


原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/504446.html 訳J.S