原文入力:2011/09/07 11:47(1907字)
キム・グァンス記者
イ・ソソン氏の遺志受け継ぐ'遺影’希望のバス 外注ガードマン動員して阻む
キム・ジンスク委員 "いらっしゃるという話を聞いて引き止めて必ず降りて行ってお目にかかると言ったのに…"
←故イ・ソソン氏の葬儀4日目をむかえた6日午後、釜山韓進重工業影島造船所前で民主労総釜山地域本部が開いた‘労働者のオモニ イ・ソソン追慕の夕’行事で韓進重工業解雇者の家族がチョン・テイル烈士とイ・ソソン氏の顔が刷られた版画の絵を持ち解雇撤回を要求するスローガンを叫んでいる。 釜山/リュ・ウジョン記者 wjryu@hani.co.kr
"キム・ジンスクは何があっても死んではいけない。死ねば何もできないから必ず降りてきて共に戦わなければいけない。" ‘労働者のオモニ’イ・ソソン(82)氏の最後の遺言にはキム・ジンスク(51)全国民主労働組合総連盟釜山本部指導委員の名前があった。遺言を伝え聞いた市民はイ氏の遺影だけでも244日にわたり籠城中のキム指導委員に会うようにしようと6日夕方、釜山韓進重工業影島造船所を訪ねた。 しかし韓進重工業はついにイ氏の最期の道さえも外注警備を動員して遮った。
イ氏を追慕するために集まった市民はイ氏の遺影を持ち夕方9時30分頃、影島造船所正面前に行進した。追慕式に参加したチョン・ドンヨン民主党議員が「出入りの許可を受けた」 と市民たちに知らせて場所だ。チョン議員は保管していた携帯メールを見せてくれた。韓進重工業側高位関係者から来たメッセージには「出入りを許可するようにという指示事項を理事長に電話しておきました」と記されていた。
しかし韓進重工業側外注警備員はついにドアを開けなかった。韓進重工業前はすぐに涙の海になった。 「オモニが逝かれる、遺影を妨げるな」 、「お前らが人間ならばそこを開けろ」 市民たちの涙にぬれた呼び掛けが溢れたが、堅く閉ざされた門はじっと立ちはだかっていた。
「オモニが二回も電話をかけてきて‘いらっしゃる’と言われたが私が引き止めました。必ずクレーンから降りて行ってお目にかかりますと言ったのに、こんなふうに逝かれてしまいあまりにも申し訳ありません。」キム指導委員の痛恨な声が携帯電話につないだスピーカーから流れると市民たちは目がしらを濡らした。
韓進重工業はこの日、国会聴聞会以後に復旧した電気供給まで切ってしまった。 85号クレーン周辺は暗黒の中に悲しい慟哭が続いた。
これに先立ち、この日午前11時50分頃、ソウル大病院葬儀場を出発した希望のバスに乗ったイ氏の遺影は夕7時30分頃 韓進重工業影島造船所前Sアパート付近に到着した。彼女の魂を賛える労働者、市民80人がバス2台に分乗し、バスの最前席に故人の遺影を抱いた清渓(チョンゲ)被服労組(現 ソウル衣類労組)イ・スンスク(49)組合員が乗った。
パク・ケヒョン チョン・テイル財団事務総長は「からだの具合が悪くて1~2次希望のバスに乗れなかったチョン・テイル烈士のオモニがあまりにも切実に希望のバスを希望されていたのを見て、7月18日 財団が直接バスを借り3次希望のバス(7月30日)隊列に合流することに決めた後、すぐにお目にかかったが2時間後に倒れられた」として「今日、オモニの願いを叶った」と話した。
追慕集会は釜山市民を含めて400人余りが参加した中で臨時舞台で開かれた。イ氏が生前に労働者が籠城している現場を訪ねて行き励ます姿を写した映像が出てくるとあちこちですすり泣く声があふれた。この日 影島造船所前のほかにもソウル、蔚山(ウルサン)、慶南(キョンナム)、光州(クァンジュ)、済州(チェジュ)江汀マウル(村)など全国各地で労働者に寄り添って来たイ氏の生涯を振り返り御霊を慰めた。
葬儀委員会は7日朝8時、ソウル大病院で出棺した後 午前10時頃ソウル、大学路(テハンノ)で告別式を開く。その後、午後1時頃にソウル、清渓川(チョンゲチョン)のチョン・テイル橋銅像前で路祭を行った後、午後5時頃に京畿道、南揚州市(ナムヤンジュシ)、磨石(マソク)の牡丹(モラン)公園に安置する予定だ。
釜山/キム・グァンス記者 kskim@hani.co.kr、デジタルニュースチーム
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/495287.html 訳J.S