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韓国戦争の時 ‘刑務所集団虐殺’

原文入力:2009-03-02午後10:26:22
釜山・晉州・馬山3400人余り犠牲
真実和解委,初めての公式確認

クォン・オソン記者

←1950年9月1日釜山刑務所服役者たちが顔を埋めたままトラックの上にぎっしりと乗っている。この写真は英国の有名報道写真作家ポトゥ ハーディが撮影したもので国内言論に初めて公開されたものだ。真実・和解のための過去史整理委員会は2日「撮影時期と情況等からみて集団虐殺現場に移動する直前の姿と推定される」と明らかにした。真実・和解のための過去史整理委員会提供

真実・和解のための過去史整理委員会(真実和解委)は2日「1950年7~9月釜山・馬山・晉州刑務所などに収監された服役者と民間人最小3400人余りが軍人と警察などによって不法に犠牲になった事実を確認した」と明らかにした。韓国戦争勃発直後、後退する軍警が刑務所服役者たちを無差別的に殺害したという疑惑を国家機関が公式確認したのは今回が初めてだ。

‘刑務所服役者犠牲事件’は韓国戦争前に発生した済州4・3事件と麗水順天事件などで全国の刑務所20ヶ所余りに収監されていた最小2万人余りの服役者と拘禁された国民補導連盟員たちが韓国戦争勃発直後に軍警によって集団虐殺された事件だ。

真実和解委調査結果によれば、釜山刑務所では1950年7月26日から9月25日まで三回にかけて釜山地区特務隊をはじめとする地域警察,刑務官らが服役者と国民補導連盟員など少なくとも1500人を集団殺害した。犠牲者たちは戦争が勃発するや他の刑務所への移監などの理由で引きずられて行った後、釜山,沙下区トンメ山などの地で集団射殺され、一部は釜山,五六島近隣海に落とされて亡くなった。馬山刑務所ではほぼ同じ時期、少なくとも717人の服役者などが銃殺されたり馬山,亀山面近海に水葬された。晉州刑務所でも最小1200人の犠牲者たちが同様の方法で殺害された。これらの中で真実和解委が身元を確認した犠牲者は計576人だ。

真実和解委は「戦時だったとは言うものの大韓民国が統治していた非戦闘地域である釜山・慶南地域で南下する人民軍に同調することを憂慮し刑務所服役者たちと民間人だった国民補導連盟員たちを不法に殺害したことは犯罪行為」と指摘した。委員会は「服役者の多数が陸軍刑事法などに違反した懲役3年以下の短期囚で死刑囚ではなかった」として「これと共に刑が確定された既決囚を処刑したことは憲法が規定した一事不再理の原則に違反したもの」と判断した。

真実和解委はこれに伴い遺族に対する謝罪と慰霊事業支援,民間人犠牲内容の公式刊行物反映,人権教育強化などを国家に勧告した。委員会は‘刑務所犠牲事件’に対して2006年11月から職権調査を行っており大田・公州など当時の全国の刑務所に対する調査結果を今年中に発表する予定だ。 クォン・オソン記者sage5th@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/341788.html

原文: 訳J.S