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‘米国撃滅’ 刻んだ 爆弾

原文入力:2009-02-27午後09:45:33
1940年 日本軍 貴重写真 公開

キム・ギョンエ記者

1940年代、太平洋戦争にひた走る日帝の狂気を浮び上がらせる写真が公開された。
3・1記念日90周年をむかえ、近現代史写真研究者チョン・ソンギル(68)啓明大東山医療院名誉博物館長が27日<ハンギョレ>に提供したこの写真は中-日戦争4年目の1940年、日本軍が爆撃機の前で2ヶの爆弾に各々‘一発必中,米塊撃滅’と‘蒋介石に贈る’という句を‘護符のように’書き込んでいる場面を含んでいる。

当時ルーズベルト米国大統領は日帝が仏領インドシナを侵攻した後、ドイツ・イタリアと‘3国同盟’を結んだことに怒って日本に対する屑鉄輸出を全面禁止した。しかし日帝はソ連と不可侵条約で対抗し、これに対し米国は石油輸出の全面禁止を断行した。石油の90%を輸入に依存していた日帝は結局、41年12月真珠湾奇襲攻撃で太平洋戦争を挑発する。チョン館長は「当時日本の有力報道機関で‘戦争広報用’に準備したが載せられなかった資料写真と見え、敗戦以後日本政府が‘公開不可目録’として分類しておいたものを6年前に入手した」と話した。彼は1943~44年‘神風’特攻隊員たちの姿等を含んだ写真5枚も共に公開した。

キム・ギョンエ記者ccandori@hani.co.kr

←1943年日本陸軍所属の爆撃機操縦士と航空隊員らが内陸と推定される限り基地で朝体操をしている。写真を公開したチョン・ソンギル氏は「当時日本軍爆撃隊員らは出撃する前に体操をした後、死を覚悟する儀式を行った」と話した。

 

←1944年日本軍神風操縦士たちが忠魂塔で死ぬことを誓った後、降りてきている。写真を入手したチョン・ソンギル氏は「大部分20代内外の少年兵だった彼らの手には‘桜の木から散る花びらのようにこの命をささげる’などの辞世の句が書かれた鉢巻きや女性たちが数を数えた結び目のようなお守りを持っていた」と話した。44年10月公式編成された神風特攻隊は11月フィリピン海で米軍エシックス号を‘自殺攻撃’して太平洋戦争末期、日帝の英雄に浮上したが崩壊以後日本政府はすべての記録を廃棄し歴史からその存在を消そうと試みた。

←1943年当時、東条英機首相が東京のある電気工場を訪問し旋盤機械を直接操作して見せている。太平洋戦争の長期化で軍需物資供給が難しくなり、日帝の首脳部はこのように現場を尋ね歩き生産を督励した。南京虐殺を主導し真珠湾攻撃をはじめとする2次世界大戦の間、首相として戦争を指揮した東条は44年7月マリアナ群島を連合軍に奪われた責任を負い席から退くが、翌年8月天皇の降伏宣言の後A級戦犯として逮捕される。拳銃自殺を企てたが失敗した彼は極東国際軍事法廷で有罪判決を受け48年12月絞首刑に処された。

←1944年神風特攻隊員と見える操縦士たちが指揮官に最後の出撃申告をしている。負傷したように松葉杖をついたまま助けを受けている海軍少佐の前で起立姿勢で立っている隊員らの沈痛な表情がとても悲壮に見える。写真を公開したチョン・ソンギル氏は「撮影者らが死亡した後、その子孫たちが所蔵していたものをやっと入手した」と明らかにした。

 

 

 

←1944年日本軍の爆撃機基地で戦死した海軍少佐の遺骨と位牌を慰霊塔に安置しようと隊員たちが査閲台の前をすぎている。写真を提供したチョン・ソンギル氏は「太平洋戦争末期、銃弾よけに追いやられた神風隊員らの最後が大部分こういう姿だった」と話した。

 

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/341359.html

原文: 訳J.S