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年末休暇控え…入隊3ヶ月後…‘信じがたい惨事’

原文入力:2010-11-24午前08:18:47(1734字)
ソ・ジョンウ兵長、休暇当日 気象悪化で出られず
ムン・グァンウク二兵 "平和は私が" 凛々しかったが…
家族たち "どうしてこんな事が" 嗚咽

ホン・ソクチェ記者、カン・ジェフン記者

←北韓の海岸砲攻撃で死亡した海兵隊ソ・ジョンウ兵長の遺族たちが23日夜、ソ兵長の遺体を移送した京畿城南市、盆唐区、栗洞の国軍首都病院で嗚咽している。城南/カン・ジェフン先任記者 khan@hani.co.kr

犠牲者たちの無念な事情
23日北韓の延坪島砲撃で20代の花のように美しい2人の若人 ソ・ジョンウ(22)兵長とムン・グァンウク(20)二兵が亡くなった。特にソ兵長は転役(訳注:義務兵役期間満了)を控え‘年末休暇’で出る筈だった日に事故に遭ったと知られ、同情が集まっている。

ソ兵長は事故一日前の22日、自身のミニホームページに "(船よ)必ず出航してくれ、(明日は)休暇だ、ちょっと出かけよう" という文を上げた。彼は今月初めから軍生活を終える13泊14日の年末休暇を準備していた。だが、主要20ヶ国(G20)首脳会議にともなう非常待機で休暇が一回延期になり、相次ぐ気象悪化で旅客船が運航できないまま23日まで休暇が延ばされたと知られた。

←左側からソ・ジョンウ兵長、ムン・グァンウク二兵

ソ兵長は「明日(23日)天気が良くないというが船が出ることを祈る」と書いたが、この日朝にも旅客船は出航できず、予期できない北韓の海岸砲射撃で彼の願いはついに叶わなかった。

ソ兵長は檀国大法大在学中に入隊した。父親ソ・レイル氏など光州南区、真月洞Dアパートに住む家族たちはソ兵長の遺体が安置された京畿城南の国軍首都病院に急いで来た。

この日、ソ兵長のミニホームページなどには彼を追慕する文が続いた。ネチズン オ・ドンヒョン氏は「(ソ・)ジョンウ、どういうことなんだ。本当にお前なのか。信じられない、今は」という文を残し、イ・ジョンフン氏は「今日が休暇だと言ったのに。どうしてニュースに名前が出るんですか。どうか安らかに休んでください」として惜しんだ。

←ソ・ジョンウ(22)兵長ミニホームページ

この日一緒に亡くなったムン二兵は海兵隊に入隊して3ヶ月後に被害に遭った。彼は去る20日、友人のミニホームページに 「軍隊くるな。韓半島の平和は私が守る」と文を載せる程に凛々しい軍人に成長した。だが、この日 北韓の砲撃で惜しまれながら亡くなった。

ムン二兵が亡くなったという便りが伝えられた後、彼の家の全北、群山市、寿松洞のSアパートでは家族の悲痛ななき声が絶えなかった。

ムン二兵の父親ムン・ヨンジョ(47)氏と母親、妹、伯父のムン・ヨング(57)氏などが集まり、到底信じられない便りに茫然自失していた。

特に先月9日、海兵隊ホームページ入隊将兵の便り掲示板に「グァンウク、蒸し暑い夏の天気で訓練を無事に終えるのに苦労した。青い制服に真っ赤な名札、格好いいんだ。これから海兵として再び生まれ変わることを期待しながら元気に軍服務を無事に終えられることを願う。立派な我が息子、頑張れ我が息子」と書いた父親は悲しみで話をつぐことができなかった。

伯父のムン・ヨング氏は「グァンウクが昨日、母親に電話してきて、元気だから心配しないでくれと言ったというのに、それが最後の電話になってしまった」として「どうしてこんなことになるのか」と惜しんだ。

ムン二兵は去る8月に海兵隊に入隊し、最近 延坪島に配置されたが、入隊3ヶ月目に惨劇に遭ってしまった。ムン二兵は今年のはじめに群山のある大学に入学し、性格が快活で優しく人気があったという。

ムン・ヨング氏は「早く兵役問題を済ませたいとし1学期を終え直ちに軍に志願した」として「どうか夢であって欲しい」と目がしらを赤くした。

ホン・ソクチェ記者 forchis@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/450266.html 訳J.S