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“古い家くれれば新居あげる” 誘っておいて…3億より出しなさい‘ 不意打ち’

原文入力:2009-02-01午後10:28:50
[ソウルは開発中…‘第2龍山 ’あちこちに]
②鷹岩再開発 零細家屋主

クォン・オソン記者

←ソウル,恩平,鷹岩9区域住宅再開発地区で1月30日ある住民が撤去がo行われ骨組みだけが残った住宅の前を通り過ぎている。チョン・ヨンイル記者yongil@hani.co.kr

クォン・ギョンテク(37)氏は先月8日「家を空けてくれ」という裁判所の通知文を受け取った。ソウル西部地方裁判所から送られた‘強制執行予告状’には「債権者である再開発組合から不動産引渡し強制執行申請があったので13日までに自主的に履行して下さい。履行しない場合、予告なしに強制執行され、その費用を負担することになります」と記されていた。クォン氏はこの10年間この家の主人であったし、‘ソウル,恩平,鷹岩9区域住宅再開発地区’再開発組合の組合員だ。彼は「世の中に家主に家を出て行けと言ってこんなやり方もあるのか」として悔しさをぶつけた。

14.6坪住宅地 鑑定評価額やっと1億3千万ウォン
33坪アパート(注:日本で言うマンションに相当)4億越えて…追加分担金 ‘雪だるま’

家を奪われ移住費用も評価額の60%だけ受け取って
“龍山惨事 私にもやってきたようで恐ろしい”

クォン氏に何が起こったのだろうか? 悲劇は2002年に遡る。2002年6月、イ・ミョンバク当時ソウル市長は就任と同時に大々的なソウル再開発計画である‘ニュータウン政策’を発表した。数十年間、開発から疎外された江北郊外の住居価格が揺れ動き始めた。2005年12月‘住宅再開発地区’に指定されたクォン氏町内も例外ではなかった。

クォン氏は「初めて再開発の話が出始めた時は希望があった」と話した。後になって施工者に選ばれた現代建設の人々が町内に通ってきて「古い家をくれれば新居をあげる」と説得してまわった。すぐに再開発推進委員会が結成された。郵便物と電話,説明会等を通じて大々的な再開発広報もなされた。クォン氏を含む住民636世帯は「まさか家主には損害が行くまい」という考えに大きい疑いもなく組合に加入した。持分14.6坪(約48㎡)の家に住んでいたクォン氏は「当時組合で‘33坪アパートは大きい負担なしで入れます’と言って入居は心配もしなかった」と話した。

クォン氏のばら色の夢がこわれるまでに長くはかからなかった。組合で評価したクォン氏宅の鑑定評価額は1億3千万ウォン余り、33坪型アパートの元住民分譲価格は4億2千万ウォンだった。クォン氏はアパート入居のために分譲価格4億2千万ウォンから1億3千万ウォン余りを除いた2億8千万ウォンを追加で納付しなければならない立場に陥ることになった。クォン氏は「とうていそんな金を用意することはできない」と話した。クォン氏はソウル市内ある大学病院の施設管理契約職で年俸3500万ウォンを得ている。クォン氏の夫人キム・ヘヨン(30)氏は「家を買う時、銀行から貸し出し受けた2500万ウォンの借金が今でも残っているが、そんな大金をどうやって用意しろというのか」と話した。分譲権を売ろうかとも考えてみたが、この地域でプレミアムはすでに1千万ウォン以下に落ちている。周辺に1億4千万ウォンで暮らせる家はなかった。

住民たちは「組合幹部たちが必要な情報を適時に告示しなかった」と話した。家主たちの家屋所有権が組合に移る過程の‘管理処分計画’に対する住民総会が開かれたのは2007年10月25日だった。しかし鑑定価はそれから二日後の27日に住民たちに通知された。住民たちは自分の家の価格がどれくらいになるのか、再開発が終わった後のアパートに入居しようとすればお金をいくら追加で出さなければならないのかも分からない状態で総会を開いたわけだ。住民たちは非常対策委員会を作り11月初めに新しい臨時総会を要求する332世帯の署名を集めたが組合はこれを握りつぶした。区庁にも管理処分計画の不法性を訴えたが区庁は2008年3月結局認可した。

そして昨年12月1日工事が始まった。クォン氏自宅周辺はすでに廃虚に変わった。除去がきちんとなされずゴミの悪臭が広がり始めて工事騒音で子供たちがビクビクする。真冬なのにクォン氏はすぐに住む所からして問題だ。組合はクォン氏に分譲契約の時に移住費用として鑑定評価額の60%の7千万ウォンを与えるといった。彼さえも借金2500万ウォンとアパート分譲契約金2800万ウォンなどを除けば実際に受けとるお金は1700万ウォンだけだ。その金でアパートが完工する時まで耐え忍ばなければならない。クォン氏は「組合から分譲契約タイムリミットがすぎれば10%を越える延滞利子を払わなければなければならないとせきたててきたが、期間を越えようがどうすることも出来ない状況」と話した。

この地域の非常対策委員長であるイ・ミジョン(49)氏は「住民の大部分が序盤に転売をして出て行っており、‘戦えば変わるのか’と言って諦めた」と語った。残った家は10世帯余りだ。

クォン氏は「1999年から賃借して住んでいた家を2001年自分の家にした時は夢のようだった」として「いったいどこで何を間違えたのか分からない」と話した。「龍山惨事を見ると直ぐにも私にもやってくるようだったんですよ。外からはここでどんなことが起きているのか分からないでしょう。本当に寂しくて恐ろしいですね!」

クォン・オソン,イ・ギョンミ記者sage5th@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/336262.html

原文: 訳J.S