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"勤労挺身隊ハルモニと共に泣きました"

原文入力:2010-07-16午後10:28:06(1387字)
三菱協議体 引き出したイ・クゴン事務局長

チョン・デハ記者

イ・クゴン(42)事務局長

強制動員 取材し‘行動’に出る
"被害者ハルモニと通話して共にオンオン泣きました。"

‘勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会’事務局長イ・クゴン(42・写真)氏は去る14日夜、ヤン・クムドク(82)ハルモニに電話をかけた。三菱重工業が勤労挺身隊問題を議論するために協議体構成に合意したという便りを伝達するためだった。彼は「先ず亡くなった被害者ハルモニたちの顔が浮び上がり、あれこれのことが思い出されて言葉がまともに出てこなかった」と話した。

大学院で近現代史を専攻した後<オーマイニュース>と<市民の声>で記者として仕事をした彼は2004年頃から日帝強制占領期間強制動員被害者問題に関心を持ち始めた。この過程で日帝時、三菱重工業工場があった名古屋の良心的市民たちが1986年からこの問題の解決に立ち上がり、99年3月には三菱重工業を相手に損害賠償請求訴訟まで提起したという事実を知ることになった。

2007年には光州・全南地域強制動員被害者たちをインタビューし<奪われた青春 帰らざる怨恨>という本も出した。

2007年5月名古屋高等裁判所勤労挺身隊損害賠償控訴審を取材しに行った彼は 「日本人たちが自ら立ち上がり助けているということが信じられないほど珍しかった」と言った。

だが、その一方では恥ずかしかった。国内の無関心のためだ。韓国言論で裁判の便りを日本通信を引用し短信として報道するのを見て、自己恥辱感を感じた。‘私が最も忙しい時は3・1記念日と8・15’という‘日帝強制占領下強制動員被害者遺族会’イ・クムジュ(91)会長の話を聞きながら顔が熱くなった。「自分の言葉に責任を持とう」という決心をした彼は、2008年3月に記者を辞めた後、勤労挺身隊ハルモニたちの人生を扱ったドキュメンタリー製作に出た。

「ちょうど仕事を始めようとしたら、2008年11月に東京最高裁判所で損害賠償請求訴訟が棄却されてしまいました。」

周辺では‘裁判も終わってしまったのに、どんな戦いをするというのか’と止めたが、彼は日本司法府の政治的判断をとうてい受け入れられなかった。「日本、名古屋訴訟支援会が三菱重工業本社前で行ってきた金曜抗議を継続することを決めたのを見て驚いた」という彼は、キム・ヒヨン牧師など光州地域後援者たちと力を集めて昨年3月に市民の会を結成した。市民の会は1人示威と名古屋訴訟支援会会員招請、署名用紙伝達など光州-名古屋間ピースロード(平和の道)を切り開き始めた。
イ事務局長は「名古屋訴訟支援会が24年間、孤独に継続してきた記憶闘争に市民会の力が加えられ新しい転機が作られた」として「わが政府と国会は最小4兆ウォン台の徴用被害者らの未払い賃金が日本で眠っているという事実を記憶し対日過去問題解決に出なければならない」と強調した。

光州/チョン・デハ記者 daeha@hani.co.kr,写真 イム・ヨンチョル ドキュメンタリー作家提供

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/area/430807.html 訳J.S