原文入力:2009-01-27午後05:41:50
←1968年4月無念な‘殺人容疑’で起訴された在日韓国人イ・トクヒョン氏を弁護し名誉毀損で被告人となった日本人弁護士 正木ひろしに対する2審公判を傍聴しようと筆者とムン・イング(右側)弁護士が金浦空港で東京行き飛行機に搭乗する瞬間。
1968年2月,日本から感動的なニュースがソウルに飛び込んだ。無念な寃罪を着せられ獄中生活をする在日韓国人を自主的に弁護した日本人弁護士が反対に被告人となり裁判を受けているという。二つの考えが思い浮かんだ。この世でそんな立派な弁護士が日本にいるのか? 一方で在日韓国人弁護士たちは何をしているのか?
事件の内容はこうだった。1955年5月11日夜から翌日明け方までの間に日本,静岡県,三島市にある丸正運送店で、その主人である女性が首を切られて殺された。(それで‘丸正事件’という。)その事件の容疑者でトラック運転手の韓国人イ・トクヒョン氏と日本人助手鈴木某が強盗殺人罪で逮捕起訴された。二人の犯行否認にもかかわらず上告審で有罪が確定した。イ氏は無期懲役,鈴木は懲役15年だった。
この時、日本人の弁護士二人(正木ひろし,鈴木忠五)は真犯人はイ氏らではなく被害者の親戚三人だという確信を持ち<告発>という本まで出版する一方、記者会見等を通じて彼らの名前を公開した。予想通り名誉毀損罪で告訴された二人の弁護士は法廷に被告人の立場で立つことになり1審で有罪判決を受けた。そして控訴審で2審裁判を受けているところだということだった。
イ・トクヒョン氏の気の毒な事情と日本人弁護士お二人の献身に感動した人々が集いを開き‘イ・トクヒョン事件後援会’を作った。弁護士,文人,教授,市民運動家などが参加したその後援会(会長 ケ・チャンオプ弁護士)は詩画展などで募金活動を行う一方、報道機関とニュースレター‘イ・トクヒョン事件後援会報’を通じて広報戦も行った。私は<新東亜>に<イ・トクヒョン事件有罪の疑問点>という題名(副題‘丸正事件,再審の余地’)という文を寄稿した。上の二人の日本人弁護士がイ氏らの怨罪を明らかにするために書いた<告発>という本を韓国語に翻訳し(訳者ユ・グンジュ)出版した。
そして私はムン・イング弁護士とともに4月3日日本に渡っていった。東京に降り立った私たちは正木弁護士を自宅に訪ねた。彼は喜んで私たちを迎えてくれ私たちは書斎に案内された。
私たちは韓国国民とイ・トクヒョン事件後援会員たちが伝える感謝の言葉を差し上げた後、「このように韓国人イ・トクヒョン氏のために戦って戴き、またあらゆる苦難に遭われていて申し訳なく感謝する気持ちで一杯です」と丁重に挨拶した。ところが彼の返事は意外なものだった。「私はイ・トクヒョンという韓国人のために戦っているのではなく日本人の良心のために戦っているのです。」その一言に私は衝撃に近い感動を受けた。
私たちはその日の午後、二人の弁護士に対する名誉毀損事件の控訴審公判が開かれる東京高等裁判所法廷に行った。その日は正木弁護士が運送店女主人殺害事件の真犯人だと目星をつけた人を証人として呼び、自身で直接尋問する日だった。現場略図まで示して執拗に追及する場面では誰が被告人なのか識別するのが難しいほどであった。
←ハン・スンホン
二人の弁護士はイ・トクヒョン氏の再審を引き出すために名誉毀損の被告人となって法廷闘争を行ったが2審法廷もやはり1審と同じ判決(各禁固6月,執行猶予1年)を宣告することによって再審の希望は閉ざされた。
「適当な時期に韓国に来られてイ・トクヒョン事件の真実に対する話をして、また人権講演もされるようお願いします。」こういう私たちの招請に対しても彼はこういう返事をした。「私一人では決して行きません。獄中のイ・トクヒョン氏を釈放させて共に手を握って二人で行きます。」
しかしそのように言った正木弁護士は天国に先に逝かれ(1975年冬)、その数年後仮釈放で解放されたイ・トクヒョン氏一人だけがソウルに立ち寄った。
先に紹介した<告発>という本の序文で正木弁護士はこのように話している。
「日本人は西洋人の前では卑屈なくらいぺこぺこするのに、実際東洋の韓国人に対しては傲慢な態度で軽べつする。これは非常に恥かしいことだ。日本の良心のためにも日本人は反省して当然だ。」
去る1月17日、日本の京都のある大学でマサキ弁護士を追慕する行事が開かれた。私は今回の招請講演でこういう話をしてきた。
「日本の良心勢力,平和勢力,正しい勢力が社会的なマイノリティに留まらず日本社会の主流であり多数派に格上げされることを願う。」弁護士