30代後半のSさんは結婚して10年ほど。子どもはいない。子どもを産み育てるのは経済的負担が重いため、出産はあきらめた。コロナ禍以降、良い選択だという確信がいっそう強まった。世の中がさらに悪い方向へと向かっているようにみえるからだ。気候危機や環境問題などでより生きにくくなる世の中で、子どもを産むのは無責任に思えた。一方では、韓国社会は出産と育児に助けをくれないと考えている。職場に通っていた友人たちは出産後、偶然にもみな専業主婦になった。社会の助けが大きかったなら、友人たちのキャリアが断絶することはなかっただろうとSさんは言う。子どものいない彼女だけが10年間職場に通い続けている。
出産や子育てを韓国社会は助けてくれないという考えは、Sさんだけのものではない。ハンギョレが6日に世論調査専門機関グローバルリサーチに委託し、全国の19歳から44歳までの成人男女に対して実施したアンケート調査(9月10~13日)では、「出産や子育てを韓国社会はどれほど支援してくれていると思うか」との問いに「支援してくれない」と答えた人の割合が64.7%にものぼった。「支援してくれている」との回答は35.3%にとどまった。社会の支援はほとんどなく、出産と子育ての負担がほぼすべて個人にのしかかっているという認識が強いということだ。これは、政府の様々な政策的努力が人々の期待にほとんど応えられていないという現実を傍証している。
先進国の中で韓国は、出産と育児における「社会の役割」が小さい国に属する。それがうかがえる指標の一つである「国民所得(GDP)と比べた世帯に対する公的支出」の比率を見ると、韓国は経済協力開発機構(OECD)平均の2.31%より低い1.56%だ。38の加盟国の中で最も高いフランス(3.44%)の半分にも満たず、全体で6番目に低い。この数値が大きいほど、概して出産や育児などに対する社会的支援は大きくなり、個人の負担は減る。
社会の支援が期待に大きく満たない韓国において、出産や子育てはつらい旅程だ。実際に、「韓国社会は子を産み育てるのが難しい社会だと思うか」との問いに、回答者の87.6%が「そう思う」と答えている。女性では実に91%を超える。
子を産み育てるのが難しい社会は、親にとっても生きにくい社会だ。「全般的に、韓国社会についてどう思うか」との問いでは、生きやすいという回答は34.4%にとどまった一方、生きやすくはないという回答は65.6%だった。さらに「韓国社会の未来についてどう考えるか」との問いには、実に72.7%が「悲観的」だと答えた。回答者の絶対多数が、韓国社会の将来は暗いものになると考えていたのだ。
また、韓国社会を信頼してると答えた人の割合は27.3%に過ぎなかった。残りの72.7%は、韓国社会を信頼するのは難しいと答えた。
このように、社会に対する信頼と期待は、自らの生活に対して持つ安定感と将来の見通しよりも低かった。自分の生活は全般的に安定しているとの回答は60.2%、老後の生活は安定しているだろうとの回答は53.6%だった。
出産と結婚を選択する際、どれほど共同体の中で自身の潜在力を発揮しながら経済的で文化的な生活を享受できるかを意味する「社会の質」は、非常に重要な考慮対象となる。社会の質が低く、信頼できない社会だと考えた時、出産の忌避は合理的な選択となる。
実際に、どれほど信頼しているかを含め、社会の質が低いと考えている階層ほど、出産と結婚の意向も低かった。韓国社会を「信頼していない」と回答した人に占める出産したい人の割合は52.5%、結婚したい人は59.7%にとどまった一方、「信頼できる」と答えた人に占める出産したい人の割合は70%、結婚したい人は77%とはるかに高かった。社会を信頼しているかどうかによって、出産や結婚の意向に各17ポイント以上の差がついているわけだ。
このように、結婚と出産は社会に対する評価と反応の産物だ。価値観や自分の置かれた状況によって選択は変わるが、同時に個人を取り巻く社会的環境も選択に少なからぬ影響を及ぼす。ソウル大学のイ・ジェヨル教授(社会学)は、「悪化し続けてきた少子化という表面的な症状の裏には、深層的なある種の信頼や信念、価値を意味する『メンタルモデル』というものがある」とし、その核として韓国社会の激しい『地位財(positional goods)競争』を指摘した。より高い「地位」につくことを目指す過度な競争が信頼を弱め、不安を高めることで、結婚や出産をも忌避させているというのだ。
今回の調査でも回答者の絶対多数が、韓国社会は「競争圧力が強い」(88.9%)、「自分または自分の子どもと他人との比較が甚だしい」(89.2%)、「特定の年齢で特定の成功を得なければならないという圧力が強い」(88.1%)、「安定した仕事を得るのが難しい」(79.1%)、「住居の安定を得るのが難しい社会だ」(86.4%)と答えている。これらの数値は、不安と競争に捕らえられた韓国社会の現在地を示している。社会の質がこのように低い場所においては、結婚と出産は容易ではない選択だ。
子を産む意向のない回答者にその理由を尋ねたところ、最も多い26.5%がまず「子どもが幸せに生きることが難しい社会だから」をあげた。子を産まないSさんもそうだ。彼らは、我が子を不幸な社会で生きさせるくらいなら、産まない方がましだと考える。自身と未来世代にとって社会がどれほど生きるに値する場所かは、出産するかどうかを決める重要な変数だ。
韓国社会の階層間格差についても、回答者の87.8%が「深刻だ」と答えた。生きたい社会とは程遠い結果だ。さらに、自身のことを下層に属すると述べた回答者の70.9%が「子どもの世代も下層にとどまるだろう」と答えた。自身だけでなく子どもも下層で生きる可能性の高い、階層上昇の可能性が閉ざされた社会では、出産の意向は弱まらざるを得ない。
子どもに対する「無限責任」を重視するという文化的要因も、出産を忌避する原因として作用しているようにみえる。米国と欧州の多くの国では、親の責任は高校卒業または大学入学までであるのに対し、韓国の親の負担ははるかに重い。今回の調査でも、親が責任を取るのは高校卒業や大学入学準備まででよいと思うと答えた人の割合は16.9%にとどまった。大学を終えるまで責任を取るべきとの回答が35.6%、就職するまでが31.2%、結婚するまでが11.5%だった。83.7%が少なくとも就職するまでは責任を取るべきだと答えたわけだ。果ては、孫を育てることにまで責任を取るべきだとする回答も4.8%にのぼった。子に対して責任を負うべき期間が長ければ長いほど、育児負担は重くなる。親は子に対してほとんど無限の責任を負わなければならないと考えている一方で、社会はあまり手助けしてくれない「無責任な」現実においては、出産は個人にとっていっそう難しい選択となる。